本日のコトノハ

嘘はそれが嘘であると白状した時、初めて嘘になる。

「ジャーナリストは、真実でないとみずから心得ている事柄を語る。しかも、それをしゃべりつづけているうちに、真実になるかもしれないと願っている。」ベネット

ウィリアム・ジョン・ベネット(1943年7月3日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、哲学者。

日本テレビの久保伸太郎社長は3月16日会見し、同局の報道番組「真相報道バンキシャ!」が、虚偽証言に基づき岐阜県庁の裏金づくりを報じた問題で、同日付で辞任したと発表した。また、足立久男報道局長を罷免するとともに出勤停止3日、袴田直希報道局次長を同3日、担当プロデューサーとデスクをそれぞれ同5日とする処分も明らかにした。

 番組は2008年11月に放送。岐阜県の元建設会社役員による「岐阜県の土木事務所による架空工事を受注したように見せかけ、裏金をつくった」との証言を基に、県が裏金づくりをしていると報道した。このため県が調査をしたが事実を確認できず、偽計業務妨害で元役員を告訴。岐阜県警は今月9日、同容疑で元役員を逮捕した。県警によると元役員は容疑を認めたうえで「情報提供謝礼ほしさに虚偽の証言をした」と供述。これに対し、日テレは「謝礼要求もなく、支払っていない」と説明し、16日の会見でも改めて否定した。

テレビの、それも報道番組が証言の裏取りをせず、視聴率欲しさにエキサイティングなネタに飛びついた結末がこれだとは実に情けない話である。ゴシップを記事にするような週刊誌ならいざ知らず、多額のスポンサー料を貰って、しかも電波という限られた者しか使用することが許されていないテレビというメディアにおいてなんとも軽率の謗りを免れない。

また、情報提供に謝礼金が支払われるというシステムにも疑問である。本来であればこの種の情報は、まず県警などに持ち込まれるべきものである。それを、テレビ局など捜査権のない相手に持ち込み、内偵もしないまま不用意に相手に対して聞き込みを行えば、当然相手はその前に証拠を隠滅してしまうであろう。県は架空工事の発注についてその事実を確認できなかったとしているが、実際にはどうであったか。穿った見方かも知れないが、この手の裏金作りのスキームなど使い古された手なのである。もし元建設会社役員の話が真実であったとして、最初に県警にその話を持ち込んでいれば結果は全く違ったものになったかも知れないのだ。

インターネット全盛の時代にあって、テレビ業界が少しでも視聴率を稼ぎたい台所事情は理解できなくもない。だがバラエティ番組ならいざ知らず、報道番組が信憑性の薄い情報を流すようになっては、もはや我々視聴者としては見る意味を失ってしまうのである。今一度メディアとしての責任について、再考せねばならない時期にきているようだ。

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エジプトはナイルの賜物

「エジプトはナイルの賜物」ヘロドトス

ヘロドトス(紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)は古代ギリシアの歴史家

帝国データバンクが3月4日発表した企業意識調査によると、2009年度に正社員の採用を予定していない企業は45.9%と、昨年調査の30.4%から急増した。採用見送りは中小企業で53.5%と過半数に達し、大企業でも23.8%だった。派遣、パート、アルバイトなど非正規社員の雇用も「予定はない」が58.6%となり、昨年調査の39.0%に比べ急増したという。

また、厚生労働省が2月27日に発表した1月の有効求人倍率は、前月より0.06ポイント低い0.67倍で、2003年9月以来の低水準だった。また総務省が2月27日にまとめた1月の完全失業率は4.1%で、前月より0.2ポイント改善した。

有効求人倍率は、1999年の0.48倍を底に2007年まで順調に上昇してきたが、ここにきて再び減少に転じた。昨年9月に起こった、いわゆる“リーマンショック”以後、企業は先行きの不透明感もあり、新規の採用を手控えざるを得ない状況である。それにしても、日本という国はリスク管理において脆弱であるように思えてならない。その原因の一つには、基軸通貨がドルである事もあるだろう。つまり、二国間貿易においてドル建てで取引をすると、当然に為替リスクを負うのは日本側になってしまうのであるから、元々アンフェアなのである。

世界の金融市場では、ドルはもはや基軸通貨たり得ないという論調もでてきているが、だからと言って円やユーロも決して安泰とは言いがたいのであるから、今や世界の金融市場を牽引する国家が存在しないとも言える。つい最近まで爆発的な成長を続けてきた中国でさえ、北京オリンピック以後成長が鈍化しており、景気がいいとされていた、“BRICs”を形成する他の国々つまりブラジル・ロシア・インドですらその落ち込みは深刻である。

このような冬の時代には、来るべき春に備えてしっかりと地中に根を張り巡らせることが大事だと言われる。すなわち、あまりリスキーな勝負をせずに地道に種を撒くことが大事だということである。また、ここ数年間で“本物”と“紛い物”とがふるい分けられるとも思える。今まで、非合法な、あるいは狡いやり方で金儲けをしていた人間や企業はこの先の数年でそれまでのやり方が通じなくなり淘汰され、その後に真っ当にやってきた人間や企業が生き残るのである。荒れ果てた大地には、良い作物は実らない。一度全てを水に流して、その後に残った肥沃な土地に新たな種を植えることが肝要である。

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武士に武士道、商人に商売道

「〝商売道〟なぞというと、いかにも時代おくれのセンスにみられようが、たとえどんな時代にあっても、このことを忘れて経営は成り立たない。武士に武士道があるがごとく、商人には〝商売の道〟がある。それは、世界に共通する「ビジネス・ルール」なのである。」石田退三

石田 退三(1888年11月16日 - 1979年9月18日)は、元豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)社長、元トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の社長・会長・相談役。戦後のトヨタ自動車を建て直し、「トヨタ中興の祖」と呼ばれる。

ついに、ゲームの違法コピーに司法の判断が下された。違法にコピーされたゲームソフトを任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」で使えるようにする「マジコン」という機器を巡り、任天堂やセガ、ハドソンなど主要ゲームメーカー54社が、中国系のソフト販売会社5社を相手に販売禁止を求めた訴訟で、東京地裁は27日、輸入・販売の差し止めと在庫の廃棄を命じた。また同地裁は、輸入・販売禁止の仮執行も認めた。被告が主張する「ユーザーが自分で作ったソフトも使えるようにする機器」という言い分は退けられた格好である。

その背景には、2007年11~12月に任天堂が海外の7サイトを対象に行った調査で、違法ソフトのダウンロードが1億回以上確認されたということがある。これまでも中国は、ゲームだけでなく、映画やドラマ、音楽など違法なダウンロード天国になっていたが、北京オリンピックを前にして先進国であることをアピールするため、一斉摘発を行った過去があったが、日本企業側が直接的に手を下すことができずにいた為、今回の判決はゲームメーカーにとっては朗報となろう。

ゲームメーカーは、この種の問題に対し「違法ダウンロードサイト及び違法コピーゲームを動作させる機器の存在が、ゲームソフトの販売を阻害している。」と主張する。同種の問題は音楽業界にもある。しかし、違法ダウンロードや違法コピーがなくなったからと言って、CDの販売数が伸びたという話は聞かない。業界が音質を犠牲にしてまで施したコピーガードはいつの間にか姿を消してしまった。そこまでして守った作り手側の権利は、結局リスナーからは本末転倒の謗りを受け、メーカーの利益の増大にも結びつかなかった。

その根底の考えには、ユーザーあるいはリスナーが、そのゲームないし音楽に対して、対価を払ってまでは手に入れる程でもないが、ただなら試してみたいという思いがあるからに他ならない。つまり、コンテンツとしてきちんと対価を払うほどの魅力を感じていないということである。

もちろん、違法ダウンロードサイトや違法コピーを容認するものではないし、知的所有権を軽んずる文化は決して豊かな社会だとは言えない。然れども、メーカーがユーザーやリスナーが本来そのコンテンツに求める楽しみや、利便性を切り捨ててまで権利を守るという姿勢であれば、消費者はそのメーカーの姿勢に対して反発心を覚えてしまうものなのである。そのバランス感覚は非常に難しいものではあるのだが・・・。

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藍より青し

「青は藍より出て藍より青し。」荀子

荀子(紀元前313年 - 紀元前238年)は、中国の戦国時代末の思想家・儒学者。孟子の性善説に反対して性悪説を唱えた。

報道によると、ピンク色の派手なスーツで一際目立つ存在の井脇ノブ子衆議院議員が、経営難に陥っている静岡県菊川市国際開洋第一高を2年後に閉校し、今春の入試合格者28人に入学辞退を求める意向であることが分かった。

井脇ノブ子衆議院議員というと、つい先日も自身が理事長を務める財団法人「少年の船協会」(東京都豊島区)が、別の学校法人「国際開洋学園」に多額の借金を肩代わりさせていた事が明るみに出たばかり。小泉劇場の勢いに乗って、比例代表で当選を果たした井脇議員であるが、たった28人の生徒達の夢や希望を踏みにじるようでは、国を導いてなどゆけるはずもない。

静岡県によると、国際開洋第一高校は全寮制で、今春の入試定員100人に対し、外国人留学生20人、日本人8人の計28人が受験。定員割れにより全員が合格した。そのうち4人が既に入学手続きをしたというが、この時期に閉校を発表するのであれば、ずっと以前に資金繰りは悪化していた筈で、それが分かっていながら入試を実施し、かつ入学手続きまでさせたというのであれば、これは負債の穴埋めに使うつもりで受験費用や入学費用を稼ぐ為の入試であったのかと、疑わざるを得ない。

また県は「この時期に改めて新たな入学先を探すのは非常に厳しい。まず学校側が受け入れ先を探すべきだが、県としても、私学協会を通じて各校に再募集をお願いするなど対応を考えたい」とコメントしているそうであるが、理事長である井脇議員は未来ある子供達のために、必死になって受け皿となるべき学校を探すなり、「国際開洋学園」に代わって国際開洋第一高校を経営してくれる相手先を探すべきである。それもしていないとなれば、国会議員に立候補した事自体、自身のネームバリューを高め、国際開洋第一高校(静岡県菊川市)及び同第二高校(和歌山県日高川町)の生徒集めをする為であったのか、という見方をされても致し方ないであろう。

井脇議員の説明によれば、小中学生などを対象に海上研修を行っている財団法人「少年の船協会」は1988年7月、運行停止により売りに出された青函連絡船を研修船として約2億8000万円で購入し、さらに約5億5000万円を掛けて改修。その改修資金として、学校法人「国際開洋学園」から約3億6000万円の融資を受けた。同学園はその約3億6000万円を同協会に対する貸付金として資産計上したが、返済が2000万円しかなされなかった為、残額約3億4000万円を2005~06年度に損失処理したという。

研修船はその後約6年間にわたって使用されたが、1999年に韓国企業に約6000万円で売却した。つまり、この時点で財団法人「少年の船協会」の損失が約4億3000万円、学校法人「国際開洋学園」の損失が3億4000万円の併せて7億7000万円にも上るのである。またこれとは別に、学校法人「国際開洋学園」に対しては、日本私立学校振興・共済事業団も2高校の校舎建設費用などとして、計4億7800万円を融資したが、3億2000万円の返済が滞っていたという(一昨年12月に和解)。

そもそも財団法人は、事業からの収入だけでなく、個人や法人からの寄付、国や地方自治体からの補助金等で成り立っている公共性の高い法人である。特に2008年12月以前に設立された法人であれば所轄官庁の監督下にあり、それ故に公益性を何よりも重視される。また日本私立学校振興・共済事業団も、平成19年度事業報告書によれば、その収益の殆どが補助金収入であり、その額じつに約3280億円である。

その金は当然、国民の血税から賄われている訳であるから、少し乱暴な言い方をすれば、約11億円もの損失が井脇議員の為に国民に覆い被さったことになるのである。基本である学校経営を疎かにして、功名心あるいは山っ気を出して国会議員になったのであれば、それは今回入学を辞退しなければならないかも知れない生徒たちのみならず、国民に対しても大きな裏切り行為である。もはや教育者としても失格者と言わざるを得ないであろう。人間は所詮性悪なるものなのか・・・。

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鼠の気持ちではチーズしか得られない

「鼠の気持ちではチーズしか得られない。 大きい獲物を得ようとするなら狼の気持ちになれ。」映画「錨を上げて」より

ジョー・パスタナーク製作の軽い味わいのMGMミュージカル。監督ジョージ・シドニー、出演フランク・シナトラ、ジーン・ケリー

今年のアカデミー賞は、ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー夫妻が、主演男優賞および主演女優賞をダブル受賞するかどうかということで例年になく注目を浴びているが、それとは全く違う意味で楽しみなゴールデンラズベリー賞(通称ラジー賞)が2月21日発表された。ラジー賞は、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の作品や俳優を選んで表彰する。

名称について少し調べてみると、『「ヤジ」を意味する「Razz」から命名された「Razzie Award」が正式な賞名だが、「Razz」のもうひとつの意味である「Raspberry」(ラズベリー:木イチゴ)の実を模したトロフィーのデザインにより「Golden Raspberry Award」とも呼ばれる。また、ラズベリーには、ブーイングの音、という意味がある。英語の「ラズベリータルト(raspberry tart)」が「fart(おなら)」 と韻を踏んでいるため、おならをまねた音を指すようになった。』との説明を見付けた。

そこで気になる受賞者であるが今年は、“お騒がせセレブ”パリス・ヒルトンと映画「オースティンパワーズ」などでお馴染みのマイク・マイヤーズに決まった。パリス・ヒルトンは、「ザ・ホッティー・アンド・ザ・ノッティー」で最低主演女優賞とカップル賞に選ばれたほか、ロックミュージカル映画「レポ」で最低助演女優賞に選出され3冠を獲得、一方、マイク・マイヤーズは、「愛の伝道師ラブ・グル」で最低主演男優賞、最低作品賞、最低脚本賞にも選ばれた。

だがこのラジー賞、決して馬鹿にしたものでもない。去年は、エディ・マーフィーが一人三役を演じた「マッド・ファット・ワイフ」で最低主演男優賞・同助演男優賞・同助演女優賞を受賞。過去10年を振り返ってみても、シャロン・ストーン、ハル・ベリー、ベン・アフレック、ジェニファー・ロペス、マドンナ、ロベルト・ベニーニ、マライア・キャリー、ジョン・トラボルタ、ブルース・ウィリスなど、綺羅星のような大スター達が同賞を受賞しており、良くも悪くも注目されていなければ受賞できない賞だということが分かる。そういう意味では、ラジー賞にさえノミネートされない作品及び俳優が、本当の意味での最低作品であり、最低俳優と言えなくもない。

それは、私たち個人レベルで見ても同様の事が言えるかも知れない。他人から高評価を受ける、あるいは著しく低評価を受ける人間は、ある意味個性の強い人間であると言える。他人の目を気にせず自分らしく生きていると、どうしても折り合いがつかない時もあるし、「出る杭は打たれる」の諺にもある通り、足を引っ張られる事もある。だが全く目立たず埋没してしまっている人間は、低評価もされないが、決して高評価を受けることはない。

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社会保険事務所不要論

「所得は権利とともに義務を伴なう」トーマス・ドルモンド

トーマス・ドルモンドは、イギリスの生物学者。

社会保険庁職員の自己保身は、国民の我慢の限界をとうに超えている。2月21日のニュースによると、厚生年金記録の改竄問題についての調査で、社会保険庁が質疑応答書を用いた事業主への調査で、職員側から厚生年金記録改竄を持ち掛けたのか否かについて積極的に調べていなかったことが分かった。

その質疑応答書の質問項目は次のとおりで、そこに職員側から改竄を持ち掛けたか?という質問項目がなく、その背景について、長妻昭議員をはじめとする民主党は「改竄への関与で懲戒処分を受けた職員は、来年発足する日本年金機構に移行できなくなる」との懸念を抱いているからだとみている。

質問▽一定期間さかのぼり記録改竄の届け出をしたことがあるか。▽こうした届け出をした経過や理由は何か。▽職員に相談したことがあるか。▽(あると答えた方に対して)相談の詳しい内容や当時の担当職員名は。▽その他に、参考となる事項があれば教えてください。

問題となった改竄の手口には大別して、標準報酬月額(従業員が毎月貰う月給及び諸手当を含めた月平均額に基づき等級分けしたもの)の引き下げと、加入期間(従業員が健康保険・厚生年金保険の対象者となってから、退職等を機に対象者となくなるまでの期間)の短縮があり、その両方ともが厚生年金受給額の減額に繋がる。

では、何故このような改竄をしなければならなかったのか?その背後には、社会保険事務所職員側と事業主の間で利害の一致があったのである。即ち事業主側の事情としては、経営難により保険料の支払いが困難になったり、事業主負担分を減らしたい思惑があり、社会保険事務所職員側の事情としては、保険料の滞納率を少なくし徴収成績をあげたいという思惑があったのである。まさにお役所的な発想であるが、それ以前に事業主側が企業の社会的責任を果たさずに、あるいは果たせずにいる事情があるだけに、職員にだけその責任を負わせる訳にもいかない。

だが、実際に社会保険(労災保険・雇用保険・健康保険・厚生年金保険など)の負担者たる事業主の方々に話を聞くと、日本において従業員を雇用するのに掛かるコストが高いという声が多い。例えば、一般的な小売業で月給20万円の従業員(満20歳)を一人雇うとすると、月給以外に労災保険 1,000円、雇用保険 1,800円、健康保険 8,200円、厚生年金保険 15,350円、児童手当拠出金 260円の合計 26,610円が掛かるのである。これは確かに体力のない中小企業には決して安くない金額である。社会保険制度自体が制度疲弊を起こしているとは言えないだろうか。これを機に、日本全体で社会保険料や税金を含めた社会保障や富の再分配など、制度見直しへの議論が高まることが望まれる。

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成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。

「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。」アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ出身の理論物理学者。

米経済誌フォーブスが2月19日、2009年の「日本の富豪40人(Japan's 40 Richest)」を発表した。今年「ヒートテック」などの売上げが好調だったカジュアル衣料品チェーン「ユニクロ」を擁する株式会社ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の資産額が61億ドル(約5706億円)で初めてトップになった。2位は人気パチンコ機「フィーバー スター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨」や「フィーバー愛の戦士レインボーマン'70」等を持つ、業界最大手のメーカー株式会社三共(SANKYO)の毒島邦雄名誉会長で52億ドル(約4864億円)、「ニンテンドーDS」や「Wii」などの家庭用ゲーム機メーカーで、昨年首位の任天堂株式会社の山内溥相談役は45億ドル(約4209億円)で3位だった。

ちなみに、アメリカの歴代富豪の資産額を調べてみた。1位は石油王ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアで資産額は1896億ドル(約17兆7370億円)、2位は鉄鋼王アンドリュー・カーネギーで同じく1005億ドル(約9兆4017億円)、現存する富豪で一番資産額の多い(歴代5位)のが、マイクロソフト株式会社のビル・ゲイツで617億ドル(約5兆7720億円)だった。※いずれも、2009年2月19日現在の為替レート(1ドル=93.55円)で換算。

こうやって、比較してみると富豪といえども、日本とアメリカではそのスケールにおいて大きな隔たりがある。役員報酬自体大きな差があるのであるから致し方ないが、日本の企業ではいくら会社が好成績をあげても、役員に対してアメリカほどの評価が与えられていないことが分かる。

ただ、日本の富豪に挙げられた上位3名が、それぞれの会社に与えた功績は決して少なくない。その全員が創業者あるいは創業者の後継者であり、会社をここまでに育て上げる過程では、一般人には計り知れない程の苦労や挫折があったはずである。その割りには、アメリカほど高額な報酬が与えられていないのは、日本にまだ“金儲け”に対する罪悪感というものが根底にあるからだろうか。

もちろん、評価の基準は報酬だけではないし、高額な報酬だけが人に満足感を与える訳ではない。何をもって成功したと定義付けるのかも、人それぞれの価値観である。だが、日本においては一般的に5億円以上の資産を保有している者をもって“金持ち”としている。そう考えれば、日本の3人も“大金持ち”には違いない。だが、僕が思うにその方々も金持ちになるために頑張ったのではなく、自分が目指すビジネスモデルを社会に認めてもらいたい一心で走り続けた結果、気付けば金持ちになっていたのではないだろうか。

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R-1ぐらんぷりから何を学ぶ?

「ユーモアとジョークは世界中どこの国でも通じるものだ」本田宗一郎

本田 宗一郎(1906年11月17日 - 1991年8月5日)は、日本の実業家、技術者。本田技研工業の創業者。

2月17日(火)19:00、史上最多の3400人がエントリーした「R-1ぐらんぷり2009」が開催された。ゴールデンの枠での放送は今回が初めて。今年その頂点に立ったのは、計4回の決勝進出を誇る中山功太(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)。シュールなネタを得意としており、対義語ネタや、あるあるネタ、一人コントなど、独自の視点から繰り出されるネタには根強いファンがいる。

いわゆる「ピン芸人」のみが出場できるこのR-1ぐらんぷり。本家M-1グランプリとは違い、芸歴による出場規制はない。ちなみにR-1の“R”は「落語」の略だそうだ。漫才と違って、ボケに対するツッコミがない分、自己完結型の笑いが求められ、漫才とは一味違ったお笑いが楽しめるのである。

R-1ぐらんぷりの放送前に控え室の模様が映し出されるのだが、出場者は全員同じ場所に控えており、談笑している者や、ネタの仕込が間に合わずに必死に絵を書いている者や、黙々と練習をしている者、カメラを向けられるとサービス精神旺盛に他の出場者のインタビューをする者など、舞台とは一味違う素顔が見られるのは、ファンにはたまらないものがる。

それにしても人を笑わせることは、本当に難しいと思う。その場の空気もあり、相手の受け入れ態勢もあり、もちろんネタの出来もあり、しかも人によって何が面白いと感じるのかが違うのである。一流の芸人ともなれば、その時の会場の顔ぶれや反応を見て、ネタをチョイスしたり、更にはその場で即興ネタを作ってしまったりするそうである。これには、相当の人間観察眼と、場の空気を読む力、日頃からの訓練、情報収集能力などが必要とされるのだから、並みの人間にできる芸当ではない。

だが、僕らのような素人にも参考にできる部分は大いにあると思う。例えば、その場の空気を読むこと。自分をアピールすることだけに躍起になっていたのでは、周囲が白けていることにすら気付かない。こうなっては、コミュニケーションが成立しないことは言うまでもない。

あとは、日頃から色んな事に興味を持って、情報を収集すること。自分の興味のある事だけに注目していたのでは、偏った人間になってしまう。そうならないためにも、幅広く情報を収集しストックしておく事、そうすれば相手が振ってきた話題にも柔軟に対応できるというものだ。それでも分からない事が出てきたとき、質問するなり後で調べるなりすれば、それが自分の知識として脳に焼きつくのである。だが、それでも相手を笑わせるまでに至るには、随分と越えなければならないハードルがある。

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G7終わって、一転辞意7

「日本の政治家といふ奴は政治で飯を喰はうといふのぢやから良心の切売をするのが公然の商売となりをる。」内田魯庵

内田 魯庵(慶応4年4月5日(1868年4月27日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。

中川昭一財務金融担当大臣がついに辞任した。先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見に、酩酊状態で臨んだことなどの責任を取り、2月17日午後7時前麻生太郎首相に辞表を提出、受理された。

あの記者会見での体たらくを見て、目を疑った方も多かったのではないだろうか。僕自身も最初見た時には、脳に何かしらの障害が出て、言語障害がおこっているのだと思っていたのだが、あろうことか(中川財務・金融担当大臣の言葉を信じるならば)風邪薬とアルコールを併用していたという。しかも気圧の下がっている飛行機の中で飲むなど、医師や薬剤師でなくても知っている初歩の常識である。

会見の様子は、全世界に同時配信され、この失態により日本が負ったマイナスイメージは、計り知れないものがある。麻生政権にとっても大打撃であることは間違いないが、事はそんな矮小な問題ではなく、日本の政府自体の信用の失墜なのである。外国から見て、「日本はあの程度の人材しかいない国なのか?」と思われれば、日本企業の株価や、国債、通貨等の価格にも影響を及ぼす。それは、この不況のさなかにあって傷口に塩を塗るようなものである。

だが、いつも思うのは日本のマスコミが、国民に対して政治家の不祥事や読み間違いなどのミスを面白がって報道することに対しての疑問である。確かにテレビというメディアにとって、視聴率という分かりやすい数字を稼ぐためには、単調な国会の様子などではなく、スキャンダルを扱ったほうが効果的だという事は、ある程度は理解できる。だが、問題が矮小化され過ぎていて、国民に国全体の姿を見せるに至っていないのである。

2月16日に行われた衆議院財務金融委員会でも、肝心の国の財政状況や金融・経済を議論する以前に、G7前に中川財務金融担当大臣が飲んだ酒の量について、「飲んだのか?」という質問をし、それに対し中川大臣が「飲んでいない、嗜んだだけ」答え、それについて「嗜むのと、飲むのとはどう違う?」と突っ込むという場面があった。こうなれば、茶番を通り越してもう喜劇というしかない。その結果が辞任に繋がったのであるから、本人も笑うしかないだろう。もちろん酒と同じく苦い笑いだろうが・・・。

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日本が世界で埋没しないために

「人各々能、不能あり、我れ孔明たる能はず、孔明我れたる能はず」伊藤仁斎

伊藤 仁斎(寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。

深刻な雇用情勢の悪化を追い風に、今農業に熱い視線が集まっている。農林水産省が予算約12億円を投じて、平成20年度から始めた「田舎で働き隊!」事業の説明会に、大学生やリタイアした団塊世代の人々が殺到しているという。

田舎で働き隊!事業について農林水産省は、「農村の活性化には、それを担う人材が必要となるが、高等教育機関や安定した就業の場が少ないことなどから、農村では青年層を中心に都市部への人口流出などが進み、活性化の担い手となる人材が不足している。
一方、都市住民の間では農村への関心が高まっており、また、都市住民が農村と協働して農村活性化に向けた取組に携わり、外部の者ならではの「気付き」をきっかけとして、農村の活性化が進展している事例も見られる。
このように、都市と農村の協働は、農村の活性化を図る上で有効な手段の一つであると考えられるが、その推進のためには、農村と都市部等の人材をつなぐ有効かつ汎用性の高い仕組みの存在が必要である。
このため、「田舎で働き隊!」事業(農村活性化人材育成派遣支援モデル事業)において、都市部等の人材を農村の活性化のために活用するための人材の仲介業務を支援することとする。」と当該事業の必要性について説明している。

僕自身も、昨年7月6日に開催された「新農業人フェア」という帰農・就農の説明会に行ったことがある。そのときは正直言って冷やかし半分だったが、大学生くらいの人や、若い女性、退職後のサラリーマンらしき人、家族連れで来ている人もいて、すごい活気に満ちていた。
会場内には、日本全国から最先端の農業技術を持った農業共同組合や、農業法人などが集まり、各々のブースには説明を聞きに来た人による順番待ちの列ができていた。僕自身も幾つかのブースに赴いて説明を受けたが、殆どの農業プログラムは1年が1タームになっており、誰でもが参加できるほど気軽なものではないと感じた。

もちろん相手は動物であり、作物であるから遊びでやれる程生易しいものではない事くらい理解しているつもりだったが、本当に農業をやりたいという熱い想いがなければ、1年という期間は現在職業を持っている人間にとっては、ちょっとリスキーな賭けになる。もう少し気軽に農業を体験できる術はないものかとも思ったが、農業というものはどれもその位の時間を掛けないと、本当に体験したことにはならないという事が、各ブースの方々の説明から理解できた。

つまり、農業に多少の興味があっても、そこに飛び込むまでの障壁が高いのである。また農業・林業・水産業・伝統工業、そのどれもが後継者不足に悩んでいる。だが、後継者を育てるノウハウがなかったり、単純に賃金を払う余裕がなかったり、あるいは産業として衰退していっており折角育てても与えるべきパイがなかったりと、それら産業が抱える構造的な問題もある。

世界的な不況のさなか、日本を救う道があるとすれば、それは恐らく“日本らしさ”を極めることである。日本人には、世界でも類を見ない手先の器用さや勤勉さがある。また、治安の良さというのも諸外国に比べれば、まだ売りにはなる。それら日本人の強みを今こそ最大限に活かし、それを世界に向け発信することである。江戸時代末期~明治時代初期の文明開化の頃、日本は欧米列強に畏怖し、また憧れ、西洋の文化や慣習をこぞって採り入れた。そうやって、約240年の鎖国によって遅れた文明を取り戻そうとしたのである。

だが実際には、ドイツの医師・博物学者であるシーボルトがそうであったように、かつて西洋人が憧れた日本の美しさは文明開化と引き換えに失われてしまったと感じていたのである。その日本は今やすっかり、アメリカのコピー国となってしまった。しかし、日本が取り戻そうとした文明が実は虚像だったということが、今回の世界同時不況で明らかになったのだ。今からでも遅くはない、日本は自分の足で歩き出すべき時を迎えている。

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戦争とは、流血を伴う政治である。

「政治とは、流血を伴わぬ戦争である。一方、戦争とは、流血を伴う政治である」毛沢東

毛沢東(1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍人、思想家。中国共産党の創立党員であり、中華人民共和国の建国の父とされている。

イラク戦争後の復興支援のためクウェートに派遣されていた航空自衛隊の撤収業務隊が帰国した。自衛隊によるイラク派遣は、イラク戦争初期の2003年(平成15年)12月から行なわれていた。その目的は、イラクの国家再建を支援するためとされている。陸上自衛隊は「人道復興支援」のため、比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワの宿営地を中心に活動し、2006年(平成18)7月に撤収した。輸送部隊は2008年12月に撤収。その後も約130人の撤収業務隊が現地に残り、航空自衛隊への装備品送り出しや輸送任務で利用した施設の解体などの作業を進めていたが、今回の撤収で自衛隊のイラク支援活動はすべて終了した。

しかし、イラク戦争(第二次湾岸戦争)とは一体何だったのか。当時ブッシュ元大統領は、「イラクが大量破壊兵器を保有しており、それが世界にとって脅威になる。」等の理由から開戦に踏み切った訳であるが、実際には大量破壊兵器などは存在しておらず、その事が発覚してからも戦争をし続けるブッシュ政権に対して、世界の世論が一気にイラク戦争に否定的な見解を示すようになっていったことは記憶に新しい。その際ブッシュ大統領は「イラクの無条件査察の拒否に対して開戦したのであって、大量破壊兵器が存在するために開戦したわけではない。」とのコメントを発表し、イラク戦争の正当性を強調したが世界からの信用を失った後となっては、合理性に乏しい言い訳に過ぎなかった。

イラクのサダム・フセイン元大統領は、後のFBI(米連邦捜査局)の取調べで、イラクが査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした。」ためであり、化学兵器などの大量破壊兵器は「(第一次)湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった。」と証言している。そのことからも、当時のイラクは世界の脅威には到底なりえない軍事力しか有していなかったことが分かる。もちろんアルカイーダとの関係も噂されており、テロリズムの脅威という意味おいては、野放しにできない存在であったことは事実であるが、フランス、ドイツ、ロシア、中華人民共和国などが強硬に反対を表明していたにも関わらず、世界の国々を担ぎ出してまで実行する程の戦争であったのか、というと甚だ疑問である。

では、イラク戦争の真の目的は何だったか。最も多い見解が、まずイラクを親米化する事でイラン、シリア、その他反米諸国に「民主化のドミノ倒し」を起こさせる。その当時ブッシュ政権の中枢にいた、ラムズフェルド元国防長官をはじめとするネオコングループによると、フセインがアラブ世界で支持されることがイスラエルの危機につながると考えられていた。イスラエルは、元々ユダヤ人の国であり米国でも大きな支配力を発揮する彼らの思惑が働いたと考えられなくもない。

もう一つが、ブッシュ元大統領の個人的な権力欲。当時二期目の再選を目指していたブッシュ大統領は、経済政策をはじめとする諸々の政策で実績を上げられていなかった。そんな折起こったのが“911”のテロ事件。国内に燻っていたブッシュ政権への批判の目を外へと逸らし、国民共通の敵を作ることで政権に対する不満のガス抜きをし、なおかつ戦争に諸外国を参加させることにより、自国内の軍需産業を活性化し、景気対策としたのではないかという説。

それらは、どれも公式に裏付けのある見解ではないが、火のない所に煙は立たないというのもまた事実である。国内におけるモノ作りを軽視し、マネーゲームに奔走してきた米国が、今回の世界同時不況で負った傷は相当に深く、1兆1860億ドル(約90兆円)の財政赤字は地道に働いて埋められる程生易しい金額ではない。オバマ大統領に対する現在の期待が万一失望へと変わったとき、待っているのはカンフル剤的な景気対策を求める議会や、国内世論である。そのとき、オバマ大統領が反米的な国々に対して、新たな戦争を仕掛けないと誰が言えるであろう。日本としても、米国との距離のとり方を日米安保条約も含め、真剣に考え直すべきときに来ていると思うのである。それは、私たち国民一人一人が当事者になるであろう深刻な問題なのである。

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芸術は人生のブドウ酒である。

「芸術は正直なところ、人生のパンではないが、ブドウ酒である。」リヒター「断片」

ジャン・パウル(1763年3月21日 - 1825年11月14日)はドイツの小説家。本名、ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター。

2月14日付けの報道によると同日午前2時過ぎ頃、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」で有名になった、東京都杉並区阿佐谷北の通称「トトロの住む家」から出火し、木造平屋建て約70平方メートルを全焼したことが明らかになった。

「トトロの住む家」は1929年頃建てられた洋風住宅で、約20年前に偶然この家を見つけた宮崎駿監督が、著書「トトロの住む家」で取り上げ、写真やイラストで紹介したことで、広く世間に知られる事となった。しかし昨年7月に所有者が転居して空き家となり、存続が危ぶまれた為、地元町会が保存を求める署名活動を実施。約6300人分の署名が集まった。

杉並区の計画によると、2008年度に土地約850平方メートルを購入。総事業費約4億円を掛け、2010年度に公園として整備することが決まっていた。警視庁杉並署は、放火の疑いもあるとみて調べているという。そうであるならば、ジブリ映画のファンにとっては大変な損失であるし、放火した人間がいるのだとすれば、まことに残念なことである。

この事業費が高額なことに批判的な人間の犯行ではないかと思い、2008年度東京都杉並区阿佐谷北の地価公示価格を調べてみたが、平米当り542,000円~491,000円であるので、杉並区が同公園事業費として支出する額としては妥当な金額であり、保存するための必要経費としては最低限必要な金額と言って差し支えないと思う。            

この不況の時期、一部のファンの為に区が約4億円もの事業費を投じて公園整備をすることに、それを快く思わない層がいるであろうことは想像に難くない。だが、そんな思いを持った人間の放火であるならば、好意的に見たとしても一番卑怯なアピール手段である。たった6300人程度の署名で約4億円もの支出を決める杉並区も、随分思い切った事をしたものだとも思うが、その決定に反対であるならば、同じくそれ以上の署名を集めるべきで、それをせずして放火という手段で抗議をしたというのであれば、絶対に許されるべきではない。

ただ、「トトロの住む家」の件には、多くの示唆も含まれている。大阪府を例にとると、橋下府政になってから多くのハコモノや事業の見直しが図られた。例えば大阪府立国際児童文学館、大阪センチュリー交響楽団、府立上方演芸資料館(ワッハ上方)であるが、これらを維持管理していく為には、多額の費用を要する。だが、無くして欲しくないと思う人も多くいる。だから結局は受益者負担という結論になってしまうのである。一部の人にだけ必要だという類のものの為に、増税をされては堪らないという人が少なからずいるのである。

文化・芸術を愛する人々にとっては、甚だ理解しがたいであろうが、「倉廩(そうりん)実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。」という言葉にもあるとおり、まずは経済的に余裕がなければ文化・芸術を愉しむ心の余裕も持てない。悲しいかなそれも現実のことなのである。

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政治家に不可欠なもの

「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ。」ヴィクトル・ユゴー

ヴィクトル・ユゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランス・ロマン主義の詩人、小説家。

麻生太郎首相の郵政民営化に関連する迷走発言に対して、ついに小泉純一郎元首相が動いた。小泉元首相は2月12日、自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」に出席し、麻生首相のこれまでの迷走発言について「怒るというよりも、笑っちゃうぐらい、ただただ呆れている」と痛烈に批判した。

小泉元首相はまた、定額給付金問題を含む2008年度第二次補正予算関連法案についても「本当に3分の2を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていない」と麻生首相を牽制。法案が参院で否決された場合の衆院再可決に疑問を呈した。その上で「参院の意見と調整して、妥当な結論を出してほしい」と見直しを求めた。また「あの時は賛成したけども、実は反対だったとは言いたくないからね。」と麻生首相が今回した「私は郵政民営化に賛成じゃなかった。」という発言に対する意趣返しをした。

これほど、一国の首相の発言がフラフラすることも珍しい。何故これほどまでに発言が二転三転するのか?一つ目には、物事を余り深く考えずに発言していること。二つ目に、自分の中に根幹となるべき考えが定まっていないこと。三つ目に、周囲の意見を尊重し過ぎること。四つ目に、人間の心理というものに疎いこと。五つ目に、(これが一番問題なのであるが)自分に自信がないこと。

これら五つの原因は互いに関連して作用しあっており、重複する部分も含んでいるが、この点小泉元首相は、頑固なまでに主義が一貫していた。実施した政策には、功罪あって手放しで評価はできない部分も多い小泉氏ではあるが、こと発言ということに限って言えば、非常に分かりやすく、かつエモーショナルであったため、有権者も郵政民営化の何たるかを深く考えずに、当時自民党に投票した人も多かったであろう。麻生首相の「有権者は郵政事業4分割について理解していなかった。」という発言は、あながち的外れとも言えないのである。だが、投票した以上は有権者に、その分割方法について異論を述べる資格はない。

政治家たるもの、日本をどう導いていくのかというビジョンを明確に持っていなくてはならない。また、目先の選挙のことばかりを気にして発言や行動をしていては、大きな事業を実行することはできない。選挙民の意思を、代理して国会に持って行くべき国会議員が、自己の保身ばかりに汲々としていては、選挙民から見放されるのは当然である。私たちは選挙活動中にだけ頭を下げる政治家を見ることにも辟易としている。自分の発言や主義にはもっと自信を持って任期をまっとうして欲しいものである。

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クローン技術で人は幸福になれるのか?

「死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。」ソーントン・ワイルダー

ソーントン・ワイルダー(1897年4月17日 - 1975年12月7日)は、アメリカの劇作家、小説家。

平成21年1月23日発行の「Theriogenology」誌に掲載された研究論文によると、2000年に絶滅したブカルドというヤギの一種がクローン技術により復活したという。しかし残念ながら、その命は誕生からわずか数分間しか持たなかったそうである。絶滅に瀕した種のクローン作成はそれまでにもあったが、公式に絶滅が確認されている種に応用した事例はこれが初めてのことだという。

記事によると、当時狩猟の対象とされたブカルドは200年の間に個体数が激減した。今回使用した冷凍保存の皮膚サンプルは、その最後の1頭から1999年に採取したもので、皮膚サンプルから抽出したDNAを、本来の遺伝物質を抜き取った家畜ヤギの受精卵に注入してクローン胚を作成したものだという。

それにしても、すごい時代になったものである。つい先日もアメリカに住む女性が愛犬のクローンを、韓国にあるRNL BIO社に5万ドルの料金を支払って蘇らせた事がニュースに取り上げられた。RNL BIO社はクローン犬や絶滅危惧種のクローンの「製造」実績がある企業で、「体細胞核移植」と呼ばれる、卵子の核を取り除いてクローン元の遺伝子を持つ細胞を注入する技術を用いてクローンを製造するそうだ。

しかし、クローンの作成が成功したといっても、それが即マンモスや恐竜のクローン作成に繋がると思うのは早計に過ぎるというものだそうで、たとえクローン胚を作れたとしても、大昔に絶滅したそのような動物種にはクローン胚を体内に宿す適当な代理母が存在しないという理由で、技術的にはまだいくつものハードルを越えねばならないらしい。

今回のブガルドのクローンも208個の胚を移植したが、妊娠に至ったのはわずか7ケースで、うち実際に誕生したブカルドは1頭だったという。ただしそのブカルドの新生児も、誕生してからすぐに呼吸不全で死亡している。解剖の結果、肺組織の異常が確認されたがほかのすべての臓器には問題がみられなかったという。クローン個体のDNAはドナーと同一であっても、細胞間でDNAを移植することで発達時に異常が生じる可能性が高いという。

倫理的にも日本ではまだまだ受け入れられそうにないクローン技術であるが、技術的には動物のクローンよりも人間のクローンの方が簡単だという技術者もおり、そうなれば映画「ペットセメタリー」の世界も、いずれ現実のものとなる。あの映画では、呪術の力を借りて生き返らせたが、クローン技術はそれにも匹敵する芸当をやってのける夢のような技術なのである。

だが、忘れてならないのは、万一見た目がまったく同一の人間を蘇らせる事ができたとしても、記憶までもが一緒でないと本当に蘇ったことにはならないという事だ。それはあたかも、記憶喪失になった人間のごとしである。自分に強い思い入れがあっても、相手がそれをまったく知らないという状況を想像してみて欲しい。その時のショックは、相手を失った時以上のものなのではないだろうか。思い出は心の片隅にそっとしまっておく方が、良いと思うのだが・・・。

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絶対に負けられない戦いとは

「私はバッジョをピッチに送り出す時、一つだけ指示をする。『90分間で一度だけでいいから君らしいプレイをしてくれ』とね」 カルロ・マッツォーネ

カルロ・マッツォーネ(1937年3月19日 - )は、イタリア・ローマ出身のサッカー監督。

2月11日(水)サッカー南アフリカワールドカップアジア最終予選第4戦、日本×オーストラリアの試合が行われ、0-0のスコアレスドローに終わった。結果オーストラリアが勝ち点10となりグループ1の1位をキープ、日本も勝ち点8で2位をキープした。この試合、日本代表としてはホームゲームでもあり、どうしても勝って勝ち点3を稼ぎ、オーストラリアと同率首位にしておきたかったのである。というのも後に控えるバーレーン戦、アウェーゲームのオーストラリア戦を余裕を持って戦いたかったからである。

最終予選では、10チームがグループ1とグループ2の2つに分かれ、各組上位2チームまでがワールドカップ本大会に進出。3位同士はプレーオフを行い、さらにオセアニア地区1位との大陸間プレーオフを戦い、勝ったチームがワールドカップに出場する機会を得る。つまり、ぎりぎりの位置をキープするのではなく、1位をキープしておかなければ、万一3位にでもなった場合には、余計に2試合を戦い、それに勝利する必要に駆られてしまうのだ。

それにしても、私たち日本人は贅沢になったものだ、一昔前つまり「ドーハの悲劇」で有名な1994年アメリカワールドカップの時代なら、ワールドカップに限りなく近づけたというだけで、拍手喝采ものだった。それで当時代表の主要選手だったラモス瑠偉や三浦知良は英雄になれたのだ。その後「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1998年フランスワールドカップ、2002年日韓共催のワールドカップ、2006年ドイツワールドカップを経て、私たちの中で日本はワールドカップに行って当たり前、という感覚がすっかり定着してしまった。

人間の欲求が、段々エスカレートしていくことは「マズローの欲求五段階説」でも説明されつくしていることであるが、それにしても最近のマスコミ等の報道には辟易とするものがある。1試合負けただけで、すぐに「岡田監督解任」やら、「次期監督はヒディンクかベンゲル」など、人やチームを長い目で見ようともしない。もちろん競技である以上は勝つことも大事な事である。勝つことを第一義としないのでは、日本国としてその競技に金を出すこともできない。

しかし、日本代表がワールドカップに行けなかったところで、世界が滅ぶわけでもあるまい。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある。」と実況の川平慈英が叫んだところで、世の中に絶対に負けられない戦いなど、そうそうあるものではない。それは、勝たなければ命を落としたり、守るべき大事な何かを失い、二度と取り戻す事ができない。そんな、緊迫したシーンにのみ使われて良い言葉だ。

ワールドカップ予選などは選手にしても、敗戦のあとに「気持ちを切り替えて、次の試合頑張ります。」という、所詮その程度のものなのだ。サポーターやマスコミももっと広い心で、チームや監督の事を応援して欲しいものだ。90分間で一度のファンタジックなプレーで観客を魅了する、ロベルト・バッジョのような選手の不在も残念な事ではあるのだが・・・。

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先人の知恵に学ぶ

「賢者とテーブルに向かい合って一対一の会話は、十年間にわたる読書勉強にまさる。」ロングフェロー

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807年2月27日 - 1882年3月24日)は、アメリカ合衆国の詩人。

今日ある人のお宅を訪問した際、その人の畑で採れた水菜を貰った。その方の家にお邪魔したときには、いつも色々なものを貰う。大体は畑で採れたものが多いが、行けば色々な菓子をだしてくれたりして歓迎してくれるのだ。その方の家には、近所のお年寄りの友人たちがいつも集まっているのだが、僕が行ったときには仲間に入れてもらって、地元の話や昔の話を聞かせてもらう事にしている。

新聞などに載らないそういう口コミ情報というものが、僕にとっては意外に有難く、また面白いのだ。確かにお年寄りの話は大体において長く、同じことの繰り返しになることも多いので、テンポが遅く我慢を必要とする場面もあるが、先人の知恵というのか、年の功というのか、さすがに人生の経験を積んでいるだけあって、ヒントになる事がいっぱいあり、いつも勉強させていただいている。

例えば戦争の話などもそうであるが、終戦から64年も経つと実際に経験した人が少なくなってくる。その戦争を経験した人が口を揃えて言うことは、映像や本などで語られるそれは、得てして綺麗に脚色がしてあり、生々しくグロテスクなこと、為政者にとって都合の悪いことは全部カットされている、というのだ。

本当に悲惨な戦場の様子は、フィルムが消失したり、生存者が残っていない為、記録として残されていないのだそうだ。そう言われれば確かにそうなのである。本当に語り継がれるべき歴史は消滅し、あるいは為政者の都合で一般人の目には触れることのないままお蔵入りしてしまう。

だが、もっと恐ろしいのは、現実に戦争を経験した人達がこの世からいなくなった時である。人間の想像力には自ずと限界があり、自分の経験から似た情報を記憶の片隅から引っ張り出してきて、未知の出来事が起こった時、頭の中で自分が理解しやすいように変換する。だが、それは近似値であって、正解ではない。実際と想像の間には自ずと隔たりがある。

人間の想像力というものは、所詮その程度の精度なのである。その人間にとって、大事な実体験の語り手がいなくなったとき、誰が戦争の悲惨さや恐ろしさを伝えていくのか。前述したような本や映像は、とても真実の歴史を伝え切れているとは言えない。そんな媒体で、追い付けるほど現実の歴史は甘くはないのである。今この時代に、もっとお年寄りの意見を聞き、その知恵を生かさねばならない。

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戦国武将が女性に人気なのは?

「われわれは、われわれの歴史のなかにわれわれの未来の秘密が横たはつてゐるといふことを本能的に知る。」岡倉天心「東洋の理想」

岡倉 天心(1863年2月14日 - 1913年9月2日)は明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者。

最近、戦国武将が若い女性の間でアツいらしい。きっかけは、「戦国BASARA」というプレイステーション2用のゲーム。様々な戦国武将が所狭しと走り回り、何百人もの敵を剣を使った必殺技などでなぎ倒すアクションゲームである。ちなみに、人気武将は1位真田幸村、2位伊達政宗、3位上杉謙信だそうで、そのような戦国武将を好きな若い女性を「戦国乙女」と言うらしい。でも、戦国武将と言えば、昔は男性が憧れる対象と相場が決まっていた。では、何故今若い女性に戦国武将がウケているのか。

これは、ゲームの影響が大だと思うが、戦国武将がそれぞれものすごく美形に描かれており、かつ声の渋い声優がアフレコをしている。これだけでも、人気は出そうなものだが、その上それぞれの武将に個性を際立たせるエピソードがあって、キャラクターをより魅力的にしている。それに日本男性が無くしつつある、“父性”や“男気”“強さ”を彼ら戦国武将に求めているというのが、一般的な見方である。

一般的に女性は男性に比べて歴史、特に日本史には興味を持ちにくいと言われる。それは脳の仕組みによるものなのであるが、その女性が歴史に興味を持つことは決して意義の少なくないことである。僕自身もそうであったが、歴史についての本を読んだり、映像を見たりしたことで、現代がなぜ今のようになっているのか。その当時起こった事にどんな意味があったのか。一つづつ紐解いていくことで、それらがあたかも織物のように幾重にも折り重なって、互いに作用していることが理解できるようになる。

その上で、今まさに起こっている事、これから起こるであろう事を考えたとき、人が経験則から判断するのと同じように、歴史をなぞってみると、未来に起こりそうな事もなんとなく分かってくると思うのである。昔はありがちに「過去のことなんて振り返ってどうするんだ」と思っていた時代もあったが、今は自分史も含めて過去を知り、それについて考察することは一種の趣味のようになってしまった。

過去について知り、未来に起こりそうな事について想像する力を養えば、今起きているような巨額詐欺事件や、安易に他人を殺傷するような事件など起こらないと思うのだ。つまり、それらの人物は押し並べて自分が起こした事件のその後について、想像する力が欠如しているのではないかと思うのである。近視眼的に物事を捉えるのは、それほど恐ろしいことなのだ。

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金銭への強い執着心

「金は奴隷となるか、さもなくば主人とならん。」ホラティウス

クィントゥス・ホラティウス・フラックス(紀元前65年12月8日 - 紀元前8年11月27日)は、古代ローマ時代の南イタリアの詩人。

突然だが、日本テレビ系列で毎週土曜日21:00から放送されているドラマ「銭ゲバ」から目が離せない。主人公は俳優松山ケンイチ。原作はジョージ秋山で「週刊少年サンデー(小学館)」に1970年(昭和45年)13号から1971年(昭和46年)6号まで連載された。

原作のあらすじは、「優しい母親とろくでなしの父親との間に生まれた、左目に生まれつき醜い傷のある主人公が、幼い頃に貧乏であるがゆえ様々な苛めや迫害に遭い、成長するにつれ徐々に歪んだ人格になっていく。長じて大企業の社長一家に取り入り、陰で金銭の為に殺人を繰り返すことになる。遂には、社長一家を死に追い込み、企業の乗っ取りに成功し、政界進出も果たす。しかし、栄華を極めた主人公も最期には・・・。」という成り上がりもの。

ドラマ版では原作と比較して、時代背景と左目の傷の成り立ちに違いがあるものの、主人公の金に対する執着心や、成り上がっていく為の周到な根回し、その主人公に集る父親、主人公に骨の髄までしゃぶり尽くされる人のいい社長一家、その昔主人公に弟を殺され、悪の限りを尽くす主人公の尻尾を捕まえようと執拗に追いかける刑事など、魅力的でひと癖もふた癖もある登場人物がドラマに一層の深みを加えている。

僕が衝撃を受けたのは、主人公が口癖にしている程の「銭ズラ。」「金のためなら、なんでもするズラ。」という徹底した拝金主義思想。その言葉を口にしているときの目のギラつきは、私達に忘れかけていたハングリー精神を思い起こさせてくれる。また、主人公には「人間に大事なのはお金じゃない、大事なのは心。」という、母親が生前口にしていた言葉を信じたい気持ちも片隅にあり、潰れかけの定食屋の人々が本当に金じゃなく、心を大事にして暮らしているのを目の当たりにして、心が揺れ動いたりするのである。

ドラマの劇中では現在の「派遣切り」の問題や、「格差社会」の問題にも切り込んでおり、主人公の「格差なんて今に始まったことじゃない。昔からあったことだ。」「貧乏人はいなくてはならない。そうでないと金持ちが困るのだ。」という言葉には、私達が日頃思っていてもなかなか口にすることが憚られるような社会への風刺が込められており、妙に考えさせられるのである。

この主人公に反感を覚えるのか、応援したい気持ちになるのか、あるいは共感するのか、それは視聴者の生い立ちや境遇によって、まったく違う感情を抱くであろうし、人によっては主人公が荒み過ぎているので、吐き気すら覚える人もいるだろうが、僕は主人公を支持している。そのような生き方をしていて、決して幸福にはなれないと思うし、金持ちになったところで主人公に心の平穏が訪れるとはとても思えないが、ただボンヤリと生きているよりは幾らかはマシだと思うのである。決して賛成できる生き方ではないが・・・。

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福沢諭吉「心訓」

「一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
 一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
 一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。」 福沢諭吉「心訓」

福沢 諭吉(天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士)、著述家、啓蒙思想家、新聞時事新報の創刊・発行者、教育者、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者。

上の一節は、僕が幼い頃より実家の壁面に貼られている福沢諭吉の「心訓」といい、七則からなる教訓である。実際には福沢諭吉の作ではないらしい事が分かっているが、この際そのような事は問題ではない。文中に書かれている事はどれも大事な事ばかりで、一つとして無駄なものはないのであるから。

この教えをずっと見ながら育った僕ではあるが、実を言うと昔はこれが壁に貼ってあるのが嫌でたまらなかった。その文字を父が書いたということもあって、何やらいつも父から説教されている気分になるのだ。

そんな事情で、昔は見るのも嫌だったこの「心訓」が、ある年齢から妙に心に馴染むというのか、一々合点がいくようになった。恐らく学校を卒業して、社会に出て働くようになってからの事であろうと思う。そんな中、自分が心底打ち込める仕事になかなか出会えなかったり、それどころかするべき仕事がなかったりした時代もあった。

現在やっている仕事は、血筋というものもあってか僕にとっては天職とも言える仕事である。もちろん、その中でも不得手なものがあったり、時には想像を絶するようなトラブルに巻き込まれたり、何かと気苦労も多く、気乗りのしない時もあるにはあるが、大局的に見て毎日が楽しく、また充実し、人様からの信頼も得、そして何よりその人達の為に自分の持てる力を存分に振るえる機会がある、ということが僕にとって生きる目的となっているのである。

それが持って生まれた“天運”なのか、自分から掴み取ったものなのか、今の僕にはまだ答えは出ない。だが人生という長い旅路の果てに、ふと振り返った時、自分が生きている間に為したことは、自分のためだけではなく、周囲の人々やひいては世界の人々にとって少しでも有意義なことであったのだと思いたい。そういう生き方を志向したとき、福沢諭吉の「心訓」は珠玉の言葉の数々で、自らの進むべき道を優しく照らしてくれるのである。

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精神は時間を凌駕する

「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」サミュエル・ウルマン

サミュエル・ウルマン(1840年 - 1924年)は、アメリカ合衆国の実業家、詩人、教育者

今日ある方と会って話をした。その方は大正11年生まれであるから御年87歳である。その方から相談したい事があるとの申し出を受けて自宅兼オフィスに訪問した。

その方の持論は、薬を服用することが逆に身体を蝕み、本来人間が持っている自己回復能力を低下させるというものである。その考えに基づき薬をまったく使わずに、様々な病気の原因を取り払うマシンと、その診断システムを開発したのだという。そこで僕に対しての相談内容は、どうすればそのマシンとシステムを世の中に広めることができるのか?ということであった。僕が相談に対してどう答えたのかは、本題ではないので割愛させて頂く。

その方は、現在の仕事をする以前、百貨店向けに帽子などを卸す商社の営業マンをやっておられたそうだが、ある事がきっかけで薬漬け医療の現状に危機感を憶え、薬を使わない治療の方法はないものか、と考えたことがきっかけで30代の頃この世界に飛び込んだそうだ。僕にとって医療の専門的な話は、正直理解しにくい部分もあったが、薬を使わずに病気が治ったり、体質が改善されるならば、今の医療費の肥大化の問題や、地域の医師不足の問題も解消され、日本の国益にも適うのではないかと思う。

だが、僕が驚きを持って話を聞いたのは、そういうことではなく、むしろ87歳という年齢になっても未だ衰えぬ夢や希望をその方が持っているからに他ならない。曰くそのマシンとシステムの量産を大企業に発注するのではなく、東大阪や堺の高い技術力をもった中小企業と一緒に生産し、地元経済の浮揚に寄与したい。曰く橋元知事に掛け合って、大阪発の未来医療を世界に向け発信していきたい。

曰くみんなが健康で平和に暮らせる世の中を創る手助けをしたい。そして何より人生の最期に病気で苦しまずに安らかに天寿をまっとうできるようにすること。僕はそんな夢や希望を生き生きと語るおじいさんが存在するということが、今の日本の若者達にとって何物にも勝る人生の教科書になり得ると思うのである。

その後も、経済の話や戦争の話、飼っている猫の話などで盛り上がったが、その話はまたの機会に・・・

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見切り千両 無欲万両

「貯蓄十両 儲け百両 見切り千両 無欲万両」邱 永漢

邱 永漢(1924年3月28日 - )は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれる。

皆さんは神王リョウ(本名:山本亮)という人物をご存知だろうか。「~28歳 月収2000万円~夢を生きる幸せなお金持ちへの、成功法則!~」の著者であり、総資産は30億円以上とも言われるカリスマ投資家である。恥ずかしながら僕は知らなかった。だが、神王氏の生活ぶりや、言動などに人間の本質を見た気がして、妙に興味を持ってしまった。

2月5日の産経のWEBニュースの中に神王氏のインタビューが掲載されていたので、その発言の一部を抜粋してみると。

1.食事は1日1食コンビニ弁当
「でも風邪もほとんどひかないし、大きな病気はしたことがない。半年に一度、健康診断を受けてますが問題はない。1食はだいたい夜中の2、3時くらいに食べる。」

2.徹底的な合理主義
「人間が最もエネルギーを使うのが消化活動。だから昼間働いている時に消化でエネルギーを使いたくないんです。」

3.睡眠時間は3時間で相場が開く9時に起床
「3時間睡眠でも健康でいられるように、と試したサプリは100種類以上。毎日10種類近く飲んでます。健康には非常に興味がある。健康になれば、同じ1時間で倍の仕事ができるようになるじゃないですか。」

4.独自の投資スタイル
「僕、新聞も読んだことないんです。よくパソコンを何台も並べて四六時中情報に囲まれている人もいますが、そういう投資スタイルは僕には向いてない。疲れるだけ。」

5.デジタルの世界の中に居ながら、アナログな人間心理を重視
「投資家は4勝6敗で十分。イチローもそう、4割でトップバッターです。じゃあ、なぜ利益が出るか。4回勝った時に大きく利益を出し、6回を小さく負ける。負けは難しい。損切りをいかに早くできるか。自分との闘い。心理学が大きくかかわっているわけなんです。」

6.金に溺れることなく、本当に大事なものを見失わない
「お金を手にして変わったことは選択肢が増えたこと。ラーメン店行ってもトッピングが頼めなかったのが、頼めるようになったとか。でもお金を持ったら幸せになる、は嘘。自分が心からやりたいことをやらないと幸せになれない。僕はお金の面では成功したが、心の中には物足りなさがあった。それは何なのか、探していた。」

7.ポジティブで、行動することを是とする
「やるか、やらないか悩んだ時、絶対にやるを選ぶ、が僕のルール。失敗も何年後かには絶対にいい経験になっているはずですからね。」

サプリメントで、健康維持をするという点については賛同しかねるが、いわゆる投資家と呼ばれる人物の多くが、どちらかというと内向的で引き篭もりがちなイメージの強い中で、“行動する”ことを重要視し、また金を稼ぐことを目的とせず、それを夢を叶えるための手段であると割り切っているところが、他の投資家とは一味違う点である。

また、多くの投資家がデータや、グラフなど無機質な情報から投資行動を決定するのに対し、神王氏は心理学をもとにしている点が面白く、特に損失が膨らみそうな時の見切りへの感覚がすばらしい。凡人は負けが込んでくると、それを必死で取り戻そうとして、より深みにはまっていくという失敗を重ねる。かの天才軍師、魏の司馬懿仲達も派手さはないが、負けない戦いをすることを第一とした人物である。最期に勝利したのが同じ天才軍師でも、派手な戦いや奇策を得意とする蜀の諸葛亮孔明でなかったことは、ただのラッキーだけではないのである。

ただ、これだけ金を稼いだ人間が行き着いた結論が、「金だけでは幸せにはなれない、自分が心からやりたいと思うことをやらないと幸せにはなれない」であり、自ら行動を起こし、そして夢を実現した人間のみが持つ重みがあって、私たちにも大いに参考になる部分がある。ちなみに、神王氏は今年の4月に念願が叶ってロックバンドとしてデビューするそうである。なんとも名前負けしない人物である。

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取り上げた傘がボーナスに化けた!?

「銀行家とは、日が照っている時に時に人に傘を貸し、雨が降り出した途端に返してくれと言ってくる連中である。」マーク・トウェイン

マーク・トウェイン(1835年11月30日 - 1910年4月21日)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。

アメリカ人の常識には度々驚かされるが、今回の件は腹に据えかねる思いをする方が多いのではないだろうか。サブプライム問題からリーマンショックへ脈々と続く世界同時不況のさなか、企業業績の悪化に対する金融安定化法に基づき、政府から公的資金の注入を受けた各金融機関の経営陣が2007年度に合計約16億ドル、一人当たり平均260万ドルもの高額な報酬や賞与を受け取っていることが分かった。また、各銀行が証券取引委員会に提出した年次報告書によると、資本注入を申請した金融機関は計116行に上り、これまでに1880億ドル税金が使われたことも分かっている。

これに対しオバマ大統領は、近くこれら金融機関経営陣の報酬制限などを発表する。オバマ大統領は予てより、これら経営陣の高額な報酬や賞与について「国民の税金で救済してもらっているこの時期に、あまりにも無責任であり、恥ずべき行為だ」と語気を強めており、彼らの報酬を大統領の年間給与とほぼ同水準の50万ドルまでに制限する方針である。オバマ大統領が考える新たな金融機関支援対策では、これら金融機関が抱える不良資産の買い取りや、追加的な公的資金の投入が必要になる見通しで、国民がこの不況で困窮しているさなかに、厳しく報酬制限を設けることが、理解を得るためには不可欠であるとの判断である。

日本でもかつて、1991年2月のバブル経済崩壊の折に公的資金が投入されたが、1995年12月住宅金融専門会社処理のため6850億円が投入された事を皮切りに、1998年3月には銀行21行に対して約1兆8000億円、1999年3月銀行15行へ約7兆5000億円もの税金が、国民生活が逼迫している時に湯水のように使われた。しかも、これと同時に公定歩合の引き下げや、量的緩和政策が施され、それまで保有していた資産が一気に値崩れを起こした。

つまり、アメリカでもかつての日本と同じような状況が起きている訳であるが、国民感情はおよそ両国とも同じようなものであろう。即ち「銀行屋は景気のいい時には自分達だけ儲けて、儲からなくなったら途端に国に助けてもらうなど、なんて都合のいい奴らだ!」と。確かに僕自身もそう思う部分もある。昔からよく使われる喩えで、「銀行家とは、日が照っている時に人に傘を貸し、雨が降り出した途端に返してくれと言ってくる連中である。」という表現がある。なんとも非情に思えるこの喩え話であるがこれは紛れもない真実である。現実に金を必要としている人間には、銀行はなかなか金を貸さない。反対に金が余っている人間には、向こうから借りてくださいと言ってくる。それが世の中のリアルな姿なのだから、実に世知辛い話である。

ただ、考えてもみれば、これは至極当たり前の話で、返してくれそうにない相手に貸してばかりいると、銀行経営としては放漫の謗りを免れないのである。確実に返してくれそうな相手にのみ金を貸すのが、銀行としては一番健全な経営なのである。そんな当たり前の経営をしてこなかった事が、今回の世界同時不況に繋がったのだと考えれば、たとえ傘を取り上げられても大きな心で許さねばなるまいか・・・。 

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溺れた時に藁をつかんではならない!?

「良心なき知識は人間の魂を滅ぼす。」ラブレー

フランソワ・ラブレー(1483年 - 1553年4月9日)はフランス・ルネサンスを代表する人物で、「ガルガンチュワとパンタグリュエル」で知られる。

「泣きっ面に蜂」とは、まさにこのようなことを指すのであろう。米国でサブプライムローンの返済が滞り、住居を差し押さえられる人が急増しているが、そんな弱みに付け込んで現金を騙し取る詐欺の手口が横行している。

サブプライムローンとは、「プライム層」つまり、優良顧客向けではない層向けの補完的なローンを指す。日本では、低所得者向け住宅融資だと捉えられているが、実はそうではなくいわゆる信用度の低い、デフォルト(債務不履行)の可能性が高い層に対してのローンのことである。

全米の数万人が被害に遭ったとされる今回の巨大詐欺事件であるが、米国の報道筋によると、「差し押さえ回避会社」などと称した業者がまず、ウェブサイトに広告を出したり、債務者にダイレクトメールを送りつけたりする。しかるのちローン返済に行き詰まった人から相談を受けると、「債権者である銀行と交渉し、このまま住み続けることができるようにします」などと詐言を呈し、その手続報酬を現金や銀行振込みなどで前払いさせる手口が一般的であるという。

債務者からすれば、このような事態になれば再起不能である。ただでさえ、生活資金に窮しているところ、住む場所も奪われ、その上手元に残っている僅かの当座資金まで失ってしまっては、自己破産するしかなくなってしまうだろう。ただ、その自己破産ですら実際には相応の手続き費用が掛かるのであるから、それもできないとなれば後は夜逃げをして痕跡を消してしまうしかなくなる。もちろんすぐに債務がなくなる訳ではないが、そのうちその債務も消滅時効を迎える。もちろん時効の中断はあるが、債権者としても回収見込みのない債権に拘るより、適正な時期に損失処理をした方がコスト的にも見合うであろう。

そもそもこのサブプライムローンには本質的な欠陥があった。つまり住宅としての担保価値の算定段階における欠陥と、借り手(債務者)の信用力の調査段階における欠陥である。それをファンド方式にして、世界各地にバラ売りし貸倒れリスクを分散するあたりは、さすがに金融先進国たる面目を保っているが、根本的な部分、つまり金融屋としての商売の基本が抜け落ちてしまっているのだから、早晩破綻するのは目に見えていたのである。

この問題に対し、米連邦捜査局などは詐欺グループの摘発に全力を挙げるとともに、詐欺の手口を公表することで、これ以上被害者がでないよう取り組みを続けている。だが悪質業者の中には債務者の救済をする為の慈善団体であるかのように装う者もおり、その手口が巧妙である為、債務者の目には正式に政府から認められた団体との区別がつきにくく、さらなる被害が拡大することが懸念されている。

溺れた時に藁にすがってしまう人間の気持ちは分からなくもない。本当に窮地に立たされると、冷静な判断ができなくなることも理解できる。だが、日頃から自分なりに情報を集め、将来に潜んでいるリスクへの対処方法を予め用意しておくことはできる筈である。もちろん、知性にも個人差があるから、そんな時こそ周囲の人間がカバーしてあげないといけないのだが、今回の米国での事件は、そんな人間の良心を逆手に取った事件だけに余計に憤りを感じるのは、僕だけではないはずだ。

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いま中国に学ぶべき事とは

「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである。」 ミル

ジョン・スチュアート・ミル(1806年5月20日 - 1873年5月8日)は、イギリスの哲学者にして経済学者であり、社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた。

先日日本の非正規雇用者の約12万5000人が今年の3月までに職を失うだろう。という内容の報道があったが、今中国ではそれとは比べものにならない程の失業者が出ている。

中国共産党が2月2日、農民工約1億3000万人のうち、15%強の約2000万人が金融危機による工場閉鎖などで失職したことを明らかにした。農民工とは、農民でありながら雇用主に雇われて働く肉体労働者の呼称であり、特に貧困地帯である内陸部の出身者が沿岸部を中心とする都市へと流入し、単純労働者として軽工業に従事する者を指す。

中国の人口が現在12億7627万人、対する日本が1億2776万人であるから、約10倍の人口である。この数値を基に今回の中国の失業者問題を日本に置き換えてみると、約200万人が失業した計算になるのである。先日の日本の失業者が約12万5000人であったから、日本のじつに16倍の失業者が出た計算になる。

日本においてすら、失業問題がこれだけの社会現象になっているのに、中国においてはその16倍の失業者が出ているのだから当然大問題になる。中国共産党の関係筋は、農民が起こす暴動や抗議行動は、これまでは土地の強制収用や環境汚染などが主な原因となっていたが、これ以後失業が新たな要因になる可能性があるとの見解を示している。

中国においては、昨年8月24日まで開催された北京オリンピック景気が一段落すると、都市部で大量の失業者が出ることは当初から予想されていたことである。日本においても愛・地球博や自動車産業のお陰で景気の良かった愛知県で最も多く約2万人の失業者が出ているが、中国都市部のそれは一段と深刻である。

その背景には1978年に当時の共産党総書記である鄧小平が主導した市場経済の導入(「改革解放政策」)がある。その結果、沿岸部を中心に急速に工業化が進むこととなるが、それと同時に沿岸部と農村部における地域的経済格差を生み出す原因となったことは記憶に新しい。それ以前の中国では戸籍に「農業戸籍」と「非農業戸籍」の二種を設け、人口移動を厳しく制限し、就職先としても国営企業しか存在していなかった。それが改革開放政策後には人口移動も自由化し、それまでも貧しかった内陸部の人々が沿岸部に職を求めて移動するようになった。それ以後彼ら農民工は都市部の単純労働者として現在の中国の経済発展を下支えしてきた。

だが恐るべきは、中国の経済成長力である。不景気で成長率が鈍化したとはいえども2008年度も9%を維持している。これはひとえに人民の「豊かになりたい」という枯渇した気持ちが根底にあるのではないか。かつての日本が昭和20~30年代に経験したような事が今まさに中国で起きているのである。家の中に便利な電化製品が増えたり、マイカーを所有したり、毎シーズン流行の洋服に着替えたり。そういった一般消費者レベルの購買欲求は、少々の不景気でも挫折することがない。つまり将来に対して希望を持っているからこそ、国全体としても底力を失わないのである。

そう考えると、物質的に満ち足りてしまった感のある日本の場合には、この状況を打破するには時間が掛かるかも知れない。これから、物質的ではない精神的な豊かさとは何か、ということを真剣に考え直す時代の転換期が到来している。

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すべて多く与えられた者は、多く求められる。

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」新約聖書「ルカによる福音書」より

日本の国技とも言われる大相撲の世界に、スキャンダルの嵐が吹き荒れている。それにしても大麻というものは、かくも人を狂わせるものなのか・・・。

神奈川県警は2月1日、大相撲の十両力士、若麒麟真一(本名・鈴川真一)容疑者(25)の大麻取締法違反容疑事件で、同容疑者を送検した。県警の調べに対し、若麒麟容疑者は「ヒップホップが好きで、三年前から音楽CD販売店の事務所に出入りしていたら大麻を吸っている人がいて興味を持った」と供述しているという。

若麒麟容疑者は、元露鵬や元白露山が解雇された原因となった2008年9月のドーピング検査の簡易検査では陰性だった。その後再検査を2回受けたが、それでも陰性であったという。こうなると、ドーピング検査の信頼性についての疑念が出てきてしまう。陰性だった他の力士達も、実際にはどうだったのか、と訝る気持ちになるのは僕だけではあるまい。それほど今の大相撲の世界は、八百長疑惑も含め信用が地に墜ちてしまっているのだ。

大麻について少し調べてみると、今回事件になっている大麻とは、一般に乾燥大麻(マリファナ)といわれるもので、出回っている大麻の約80%がこの乾燥大麻であるという。タバコやコカイン、ヘロインなどと比べ、精神依存度や身体依存度が低く、オランダやインド、ラオス、ジャマイカ、イビザ島、モロッコなどの国や地域では、個人が嗜好品として使用する程度の量なら、刑法に抵触しない為、日本人の中にも大麻の吸引をその目的のひとつにして観光する人も少なくない。

ただ日本においては、麻薬及び向精神薬取締法等において、輸出入・所持・販売・譲渡・栽培等について明確に規制されており、違反すれば当然のことながら懲役刑が科される事がある。故に日本国内で生活する者はすべからく定められたルールに則って生きていかねばならない。その法律がどれだけ時代に則してなかろうと、それはいい訳にはならない。まして大相撲の幕内力士ともなれば、国民の模範とならねばならない存在である。

フランスにノーブレス・オブリージュ (noblesse oblige)という言葉がある。「貴族の義務」あるいは「高貴な人間の義務」という意味の言葉で、一般的に財産、権力、社会的地位を有する人間には、それに相応した責任や自覚が伴う、という考え方であるが、テレビなどの公共性の高いメディアに出て活躍する力士は、それなりの社会的義務が伴うことを自覚せねばならない。それがプロスポーツの世界で生きていくという事の意味であると思うのだが・・・。

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鉄は人間を殺さない

「鉄は人間を殺さない。殺すのは手である。その手は心にしたがう。」ハインリッヒ・ハイネ

クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(1797年12月13日 -1856年2月17日)は、ドイツの詩人、作家、ジャーナリスト。

文部科学省は1月30日、小中学生の児童の携帯電話所持について、学校内への持ち込みを原則禁止すべきだとする指針を都道府県教育委員会などに通知した。ただし、保護者が緊急連絡手段としての学校内への持ち込みを、学校長に申請した場合に限り、授業中等には学校で預かる事などを条件に認められるとした。

以前から、小中学生の児童が携帯電話を所持することに対しての弊害については、様々な議論が巻き起こっていた。近年悪化が著しいのは、携帯サイトを使ったネットいじめや、有害な出会い系サイトの被害者になるケースである。

携帯電話各社も有害なサイトを閲覧できなくするフィルタリングサービス等を提供するなどして対策を講じているが、それとて万能である筈もなく、有害サイトの開発者はそのフィルターに引っかからないよう巧みにサイトを制作する。子供達の側からすれば、その旺盛な好奇心から、禁止されると逆に見てみてくなるという皮肉な結果を生んでいる。

小中学校では今回の通知以前から、その9割以上が学校内への持ち込みを禁止していたというから、これらの問題は単に学校内での所持を禁止しただけではなくならない事は、このデータからも明らかである。ただ、中学生に限っては携帯電話をよく使う児童よりも、そうでない児童の方が概して学校の成績が良いというのは事実なようである。

文部科学省が2008年4月に、全国の小学6年生と中学3年生を対象に行った「全国学力・学習状況調査」によると、中学3年生については、国語A・算数A(知識問題)、国語B・算数B(知識の活用問題)の4種類の学力調査において、携帯電話を「持っていない」生徒の平均正答率が携帯電話での通話やメールを「ほぼ毎日している」生徒よりも、0・9%~6・2%も高かったという。

このようにしてみると、今回の学校への携帯電話持ち込み禁止の通知は、児童をネットいじめや有害な出会い系サイトから守ることを本義としている訳ではなく。どちらかと言えば、昨今の小中学生および高校生の学力低下の原因を、携帯電話での頻繁なメール交換や、長電話等に求めているが故にその所持を禁止する、という側面の方が強い気がしてならない。

だが、携帯電話は大人達の殆どが認める便利なツールであることには違いない。現代ビジネスの世界で携帯電話の存在を否定したのでは、およそ仕事にならないであろう。いつの時代もそれが世の中にとって、便利で有用なものであればあるほど、それを使う者のモラルや、それを養う為の教育が重要となるのは、その昔トンネルの掘削の労力をより削減しようという信念の下に製造されたダイナマイトが、人を殺める為の道具として使われた事を例にとっても明らかであろう。それはアルフレッド・ノーベルから我々現代人に対する警鐘かも知れない。

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医師や薬剤師と対等の関係を築く

「神は癒し、医者は治療代をとる。」ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(1706年1月6日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。

ここでも、消費者(患者)の意思は、どこかへ置き去りにされているようだ。

ジェネリック医薬品メーカーの「沢井製薬」(大阪市淀川区宮原)の調査によると、調剤薬局を訪れた患者が、新薬とジェネリック医薬品のどちらも選べる処方箋を持参した場合、ジェネリック医薬品について常に患者に説明する薬剤師は全体の14.3%程度に過ぎないことが分かった。このほか患者から訊ねられれば説明するとの答えが51%程度。なんと説明していないという回答が22%もあったそうだ。厚生労働省は、省令で薬剤師に対しその説明を義務づけているが、これでは十分に守られているとは言いがたい。

ちなみにジェネリック医薬品とは、成分そのものやその製造方法を対象とする特許権が消滅した新薬について、特許権者ではなかった医薬品製造メーカーがその特許の内容を利用して製造した、同じ主成分を含んだ医薬品をいう。新薬の開発には巨額の費用と膨大な時間を要するために、開発企業は特許権を取得する。ジェネリック医薬品の場合は、その費用を要しない為、比較的安価に医薬品を製造販売できる。なお特許権の存続期間は、原則として特許出願日から20年の経過をもって終了する。

日本では、黒柳徹子さんが出演する東和薬品㈱のCMの中で「ジェネリック」と連呼しているので、徐々に耳慣れてきているが、あのCMが象徴するとおり、医薬品の知識のない患者が医師や薬剤師に対して、新薬ではなくジェネリック医薬品を処方してもらうのを主張する事に、なんとなく遠慮がある。そこには、販売者と消費者という関係ではなく、先生と患者という関係に起因する遠慮がある。私たち消費者に、効能が同じであれば、より安価な医薬品を選択する権利があるにも関わらずだ。

普及率等において、ジェネリック先進国と言われる、イギリスやアメリカと比べ日本の普及率は15%程度と低い水準に留まっているのは何故か。それは、日本において「代替調剤(薬剤師と患者が相談した上で、医師が処方した医薬品を、同一成分のほかの薬に代えることのできる制度)」や「一般名処方(医師が処方箋を発行する際、商品名ではなく、一般名で薬を処方する事)」などの制度があまり浸透していない為だと言われている。

日本においては、医師や薬剤師が新薬を一般名ではなく、製薬メーカーの商品名で覚えていることが多く、大手メーカーであることの安心感もあって、なかなかジェネリック医薬品に切り替わっていない。それに対し、欧米諸国では医療現場や大学でも商品名を使うことはなく、必ず一般名を使用している。

また、日本では2006年4月まで代替調剤を行うことができなかったことも普及を妨げる大きな理由となっていた。だが、2006年4月より、医療制度改革に伴い、医師が許可すれば薬剤師が患者と相談して、ジェネリック医薬品を調剤できるようになった。また、2008年4月より、医療制度改正に伴う処方箋様式が変わり、処方医のジェネリック医薬品への変更を不可とする指示がない限り、ジェネリック医薬品への代替調剤が認められるようになった。この改正により、日本でも普及が進むことになるかも知れない。

だが忘れてならないのは、商売としての病院あるいは薬局の視点である。安価なジェネリック医薬品に対抗するため、大手製薬メーカーはサービス合戦に必死である。病院や薬局も同じ売るなら、儲かる方が良いに決まっている。そのような理屈で患者が本来選べるはずのジェネリック医薬品を選べずに、あるいは選べる事すら知らずに高い新薬を処方されているのだとすれば、これは病院や薬局の欺瞞である。私たち消費者(患者)も、主張すべきところは主張し、医師や薬剤師と良好な関係を保ちつつ、医療費を抑制していくことが日本全体の社会保障費の抑制にも寄与するはずである。

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日本的雇用の問題とは

「教えることのできない子供というものはない。あるのは子供達にうまく教えられない学校と教師だけである。」M・アドラー

マックス・アドラー(1873年~1937年)は、オーストリアの社会主義者。新カント主義とマルクス主義との統合を目指し、認識論に足跡を残した。オーストリア社会民主党内では左派に属する。

神戸市にある私立甲南大学がこの就職難の時代、学生達を守るためにある方策を打ち出した。甲南大学によると、企業から内定を取り消されたり、内定辞退を求められた学生のほか、倒産などで就職先を失った学生を対象に、在学期間の延長を1年まで認めるとのことで、卒業時期は2009年9月か2010年3月の選択制であるという。費用面でも、これまでのように故意に単位を残し、留年するより遥かに安く、就職できなかった学生にとっては朗報である。他の大学でも同様の動きがあるのではないか。

根本には日本の企業が横並び的に“新卒”にこだわる風土にも問題がある。1991年バブル経済崩壊までの日本においては、終身雇用を前提として人材の採用がなされていた。では、何故「新卒一括採用」が始まったのか?歴史的背景を探ってみると・・・。

第二次大戦後、日本は復興の為、大量の労働力確保が至上命題となった。企業は若い労働力を低廉な賃金で確保する為に、定年までの雇用を基本的に保障し、労働者に対して会社への忠誠心を植え付け、「今は安月給でも頑張って、辞めずに働き続ければ段々給与は上がっていくんだ。」という共通認識の下、遮二無二働かせた。また、企業内における人口ピラミッドも、新卒を採用することで、非常にバランスのとれた年齢分布になるというメリットもあった。

しかし、バブル経済の崩壊が日本的雇用に劇的な変化をもたらした。企業はそれまでの大量雇用をやめ、必要な人材だけを残す小数精鋭型の組織を指向するようになっていった。その当時も失業率の上昇・学生の就職率が低下し「就職氷河期」という新語ができるほどの社会現象を生み出した。それまでの終身雇用制度は崩壊し、ベテラン社員であってもいつ解雇されるか分からないという、欧米型の実力主義型の雇用制度へと変容していった。また、人件費の高い正社員の採用を控え、人件費の安い非正規社員(契約社員・派遣社員)や、パート・アルバイトに正社員なみの仕事と責任を求めるようになっていった。

こうして、歴史的背景とともに雇用問題を切ってみると、新卒一括採用には以前ほど重要性がなくなっているように感じる。だがこのような不況下においても、企業が求める優秀な人材は、卒業と同時に確保したいのが企業の本音である。新卒一括採用の見直しが叫ばれて久しいが、企業側の論理から言えば、それを止めることは難しいことだと言える。その前提には、学校の卒業時期が横並びだという問題があるからである。学生が好きな時にいつでも学べ、卒業時期も自由に選べる。そのような制度改革が必須である。まず学校制度を変えない限り、今のような問題はいつまで経っても無くならないだろう。

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父と娘、時を超えた会話

「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直その中にあり。」孔子

孔子(紀元前551年‐紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家。儒家の始祖。

今日知人と話をしていて、非常に心温まる思いがしたので書き留めておこうと思う。

その知人とは80歳代の老夫婦である。その老夫婦には、かつて息子が二人いた。うち一人は昨年病気で他界した。当時43歳だったそうだ。その息子には、妻と二人の子供がいる。息子は工業高校を卒業後、ベアリングの製造工場でエンジニアとして働いていた。会社の上司や同僚からの信頼も厚く、良き社会人であり、また良き夫、良き父親であったようだ。

その息子の二人の子供のうちの一人、つまり老夫婦にとってはお孫さんにあたるわけであるが、上の孫(男子高校生)が今年父親と同じ工業高校を卒業し、父親が生前勤務していた会社への就職が決まったそうだ。

折悪しく100年に一度の大不況の時代、平成21年3月高校新卒者の求人・求職・就職内定状況は、平成20年11月末現在で就職内定率78.0%で、男女別に見ると、男子は83.1%、女子は71.6%。となっており、10人に2人は内定が決まらない状況なのである。しかも製造不況であるから、内定が取れたからと言って、実際に入社するまでは決して安心できるものではない。そんな時代に就職が決まっただけでも、凄いことだと思うが、それが亡き父の遺志を継ぐような道を辿るというのは、なんともドラマチックである。

しかし、話はこれだけで終わらない。なんと、二人の孫のうち下の子(女子中学生)が、今春父親と同じ工業高校を受験すると言い出したそうなのだ。そのきっかけは、父親の遺品を片付けていた時の出来事である。お父さんの事が大好きだったその女の子は、ふと一冊のノートに目を留めた。それは、父親がかつて工業高校で勉強していた時のノートだったのである。

その中には、勉強熱心だったのだろう、製図や電気に関する事がビッシリと書き込まれていた。女の子は時の経つのも忘れ、吸い込まれるように、遺品のノートを読み耽った。それは、あたかもノートを介した父と娘との無言の会話のようであった。

そのノートを読み終えた時、彼女の夢は決まった。父親と同じ工業高校に行って、父親と同じ会社で、父親と同じエンジニアとして活躍すること。彼女は実際に、父親がかつて勤務していた会社の社長に会って、「将来ここで働きたいです。」と談判したそうだ。

その工業高校には全校生徒合わせても女子はたった二人しかいないそうだ。不安なこともあるだろう。何よりも祖父母が、野獣の群れのような中に女の子が入る事が心配でたまらないらしい。だが、その女の子はきっと心に決めている違いない、「どんな困難があっても、お父さんが遣り残したことを私が引き継ぐんだ」と。

夢を見付けられない若者が多いと言われる昨今、このような若者もいるのだと思うと本当に心強い。と同時に子供達の二人共が、後を継ぎたくなるような父親とは、どんな生き方をしたのだろうと思う。躾だと言って、単に口うるさいだけの父親は掃いて捨てるほどいる。だが、背中で子供達に生き方を教えられる父親は、そうは居ないのではないだろうか。聞いていて思わずグッと込み上げてきたエピソードでした。

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頭と体はバランスよく鍛えるべし

「賢くなろうとして本や黒板に教えを乞うてはならない。 天と地と林と木の葉とは、本当に子供らを賢くするであろう。」ヤン・アモス・コメニウス

本名は、ヤン・アーモス・コメンスキー(1592年3月28日 - 1670年11月15日)は、チェコのモラビア生まれの宗教家にして教育者。

報道によると、文部科学省が実施した「全国体力テスト」の結果を受け、大阪市教育委員会は1月27日、同市のデータを2月中に、その分析や対策とともに公表することを決めたそうだ。橋下徹知事は「市町村別公表が絶対必要」と述べ、平松邦夫市長も「公表したうえで対策を考えるべきだ」と話していた。なお文部科学省は、学校単位や都道府県教委による市町村別結果の公表を禁じているが、市町村教委が自らのデータを公表することは認めている。

去る1月21日、小学5年と中学2年を対象に初めて実施した「2008年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査」のトップは男女とも、小5が福井、中2は千葉であった。なお「週3日以上かつ1日2時間以上の運動をしている」と答えた層の合計点は、そうでない層より小5男女とも高かったとしており、習慣が運動能力に大いに関係していることが証明された。

参考までにその他の順位も見てみると、各種目を10点満点に換算した合計点は小5が男女とも福井、秋田、新潟の順。中2は男女とも千葉、福井の順で3位は男子が秋田、女子が茨城だった。福井と秋田は全国学力テストと同様、トップクラスだった。

私たちの一般的な感覚からいっても、2日に一回ペースでトレーニングを続けないと、筋力や肺活量はアップしないというのがある程度常識となっている。週3日以上というのはつまり、2日に一回以上だということなのであるが、勉強だけでなく体力も付けなくてはいけないという風潮には賛成である。

というのも、頭だけ又は体だけが極端に発達した状態というのは、人間としてのバランスを欠いていると思うからである。ゆとり教育の時代を経て、日本人の学力が低下したことが殊更問題にされたが、僕自身はそれ程憂慮すべき問題なのか、と当時疑問に思ったものである。ゆとり教育を始めたきっかけは、それまでの詰め込み教育からの脱却を図り、たくましく生きる力を育もうというコンセプトだった筈である。

それは、つまり多少学力が落ちても、もっと大切な事、例えば礼儀であったり、人とのコミュニケーションであったり、文化的な活動であったり、生きる為にはむしろそちらの方が大事だという考え方があったから始まった。だから学力が落ちるのは、ある意味当然の帰結なのである。

それと、同じことが体力の面でも現れている。受験の為の授業に時間を割くあまり、体力を付けることを疎かにしては、勉強からドロップアウトしたものや、受験科目以外の科目にすばらしい才能を発揮する生徒達の活躍の場を奪ってしまうことになり、またゆとり教育以前の、画一的な価値観でしか人間を測らない社会になりはしないかと心配なのである。

ライバルと切磋琢磨することは、自分を磨く上で非常に大事なことではある。しかし、データの公表が現場の教師達に対するノルマ、つまり一定レベルの学力・体力を生徒達に叩き込むべき行動指針となり、結果追い詰められた生徒がへとへとになっていくのを僕は見たいとは思わない。

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結局は自分自身のせい?

「経営がうまくいくのもいかないのも、国がうまくいくのもいかないのも、外部ではなく内部に原因がある。」松下幸之助

松下 幸之助(1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家。

日本人経営者の中には、外国人なら安く働かせても良いという、とんでもない勘違いをしている者がいるらしい。

1976年に創業した、輸入及びオリジナルの衣料品や雑貨を販売する人気セレクトショップ「BEAMS(ビームス)」(本社:東京都新宿区北新宿4-16-12 新光ビル)の商品の縫製を受託している愛媛県内の縫製工場が、外国人研修生及び実習生として働いていた複数の中国人女性に違法な低賃金労働をさせていたとして昨年6月頃、中国人女性ら9人に約800万円の未払い賃金を支払うよう、管轄の八幡浜労基署から勧告を受けた。

ちなみに、外国人に対する労働条件については、厚生労働省労働局によると、「日本国内で就労する限り、日本人、外国人を問わず、原則として労働基準法、最低賃金法等関係法令が適用される。」と明確に規定されており、また、労働基準法には「国籍を理由とする差別的取扱いの禁止」についての規定や、「強制労働・中間搾取の禁止」についての規定が定められている。つまり外国人の技能実習生及び一定の研修生の場合には、日本人労働者と同様の最低賃金が適用されるのである。

ここで少し技能実習生と研修生の違いについて、言及せねばならない。まず外国人研修生とは、開発途上国への国際貢献と国際協力を目的として、日本の技術・技能・知識の修得を支援する制度である。出入国管理及び難民認定法上、報酬を受ける活動が禁止されていることもあり、一般には労働基準法上の「労働者」とはならす、最低賃金も適用されない。しかしながら、実態によっては労働基準法上の労働者に該当する場合があり、この場合は、最低賃金が適用される。

次に技能実習生とは、外国人研修制度と同様に開発途上国の人材育成への協力を目的とした日本の制度であり、研修を修了した外国人研修生は同制度を利用することで、研修で習得した技能を雇用関係の下で更に実践的に習熟することができる。期間は最長で2年間(研修と合わせて最長3年間)で再技能実習は認められていない。入管法上の在留資格は特定活動。受入れ事業場との雇用関係の下に報酬を受けることとされており、労働基準法上の「労働者」に該当することから、最低賃金が適用されるとしている。

ここで本題に戻るが、工場の経営者によると、慢性的な人手不足から、2005年から外国人研修・技能実習制度を使い中国人女性9人を採用。発注元からの無茶な納期を守るため、繁忙期には月200時間を超える残業をさせたという。

この問題の本質にはいくつかのポイントがある。まず一つには、日本人労働者が贅沢になり、給料の安い、きつい仕事をやりたがらなくなったことが挙げられる。工場経営者の言う「(縫製の仕事は)給料が安く、日本人の若者は来ない。」というのは紛れもなく本音である。それともう一点、消費者が安いものしか買わなくなったことである。メーカーとしては国際競争力を上げる為に、価格を安く設定せざるを得ない。

だが、そうなれば企業利益も圧迫される。となると、経営者が次に考えることはコストの削減、とりわけ人件費の占める割合については過敏になり易いと言えるだろう。国内産業の空洞化が叫ばれて久しいが、私たち消費者の“より安い物を”という消費性向が国内から優良な仕事をなくさしめ、結果的に失業者を増やす結果となった事は実に皮肉である。

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自ら許す気持ちを持つ努力を

「他人のなした悪を許すことは、弱い人間にとって大いなる努力であっても、少なくとも人を憎むという悩みより脱せよ。許すことができなければ、せめてはその悪を忘れよ。」ユッセ「春の夜」より

1871年(明治4年)に旅館として開業した老舗、京品ホテル(東京都港区高輪4-10-20)を、経営悪化により2008年10月20日付け解雇された元従業員労働組合が廃業に反対し、占拠および自主営業を続けていたていた問題で、東京地方裁判所は1月25日、元従業員らを同ホテル施設から立退きさせるとともに、立ち入り禁止とする強制執行を行った。

同月15日に同裁判所が、「使用者による事業の決定は、事業者が自由に行いうる」との理由で京品実業株式会社の申立てを認め、元従業員側に明渡しを命じる仮処分を決定したことに伴うもので、執行の際には労働組合と警視庁の機動隊員・執行官らが激しいもみ合いとなり、怪我人をもだす結果となってしまった。

実はこの京品実業株式会社の債権は、リーマンブラザーズ証券が設立した債権買取の子会社・サンライズファイナンス株式会社に全て売却されており、更にこのサンライズファイナンス株式会社も、サブプライム問題に端を発した米国発の世界金融危機と2008年9月14日のリーマンショックの影響で同年9月16日に東京地方裁判所に負債額約3639億円で民事再生法の適用を申請していた。その際京品ホテル側は、131人の従業員のうち正社員39人とパート社員30人を解雇した。従業員らは「ホテルは赤字でなく、土地転売を目的とした不当解雇だ」と反発し、強制執行の間際までホテルと飲食店の自主営業を続けていた。

午前9時過ぎから始まった立退きの強制執行では、警視庁の機動隊員ら約200人が出動し、元従業員らともみ合いになったが、それも約30分のやり取りの後やっと収束した。その後会見した東京ユニオンの渡辺秀雄委員長は「私達が旗を降ろさない限り問題は絶対解決しない。(経営側には)解雇を撤回させる。」と話し、元従業員らが加入する同ユニオン京品支部の金本正道支部長は「こんな悔しい思いのまま終わらせる訳にはいかない。必ず、必ず戻ってきます」と訴えた。

今月15日に建物明渡しの仮処分の決定がなされた際には、「5万人以上の応援署名も集まり、決定は出たが、執行されてもあきらめず自主営業を続ける」と話していた金本支部長であったが、その思いはこれで完全に断たれる事となった。経営側の京品実業株式会社(2008年10月20日廃業)は「裁判所の力で違法状態は是正された。世間をお騒がせし、深くおわびする」とのコメントを発表した。

それにしても、経営者側と元従業員がここまで対立することも珍しい。もちろん、どちらの言い分にも一定の根拠もあり、表沙汰にならない様々な思いや事実があることは想像に難くないが、元従業員らにとっては酷であるが法的に見れば完全に経営者側に軍配が上がる。過去には、天王寺公園横から動物園へと続く歩道で、カラオケ店を営んでいた人々が立退きの強制執行を受けたことがあったが、彼らにしても法的には路上を不法占拠していたのであるから、法治国家としてはそれを認めるわけにはいかないのは、致し方のない事なのである。

確かに、経営側のミスが原因でこれまで働いていた場所をいきなり奪われるのであるから、気持ちがそれを受け入れられない、頭の中で整理ができない、というのは人として十分に理解できることではある。しかし、このまま判決に逆らって元の職場にしがみついていても、元従業員の方々に明るい未来は待ってはいないと思うのである。経営側の京品実業株式会社も決して自ら進んで廃業したわけではあるまい。経営者としてもそれは苦渋の決断だったに違いないのだ。

何故このような結末になるのか。思うに人の社会にはお互いの立場になってみないと分からない事というのが往々にしてある。元従業員の方々も少し想像力を働かせて、経営者の胸の内に思いを馳せてみてほしいと思う。決して好き好んで、老舗の京品ホテルを廃業し、従業員を解雇したのではない事が理解できれば、今のような結末にはならなかったはずである。相手を憎むことでは、絶対に幸福にはなれない。辛く苦しいことには違いないが、相手を許す気持ちを持つことが大事である。

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大不況は大好機でもある

「農村は国家の真実の富の源泉である。」ケネー

フランソワ・ケネー (1694年6月4日-1774年12月16日)フランスの経済学者、医師。

雇用情勢が悪化する中、第一次産業を見直す動きが若い人を中心に活発化している。2008年12月24日農林水産省や関連団体が、派遣切りなどの雇用問題に対応するため設けた窓口へは連日のように相談者がつめ掛け、2009年1月20日には累計で3000件を突破した。農林水産業は以前から後継者不足に悩んでいた背景があり、この未曾有の大不況の下、若い働き手を確保しておこうと同業界の法人や団体からの求人もここにきて急増しているという。

ここで、産業別に就業者数の推移を見てみると、1953年当時には1559万人いた第一次産業従事者が、2007年には272万人にまで激減しており、構成比においても1953年当時39.8%だったものが、2007年にはわずか4.2%となっている。反対に、第3次産業の従事者は、1953年に1402万人だったものが、2007年には4342万人と激増し、構成比においても1953年の35.8%から、2007年には67.7%となっており、日本の労働人口がいかに生産する側から、それを売ったり、利用したりする側へシフトしていったのかが数値となって表れている。

現在の日本においては、たった4%程度の人々が、国民の衣食住の原材料となる農作物や海産物を提供し続けているのであるから、食料自給率は到底100%になるはずもない。ちなみに、この間食料自給率は、生産額ベースの総合食料自給率で、昭和35年当時93%だったものが、平成18年には68%となっており、穀物自給率にあっては、昭和35年当時82%あったものが、平成18年にはたった28%に激減していまっている。我々はこの50年足らずの間に食卓に上るものの殆どを、外国からの輸入に頼らざるを得なくなってしまったのである。

食の安全性に対する関心が高まる中、農林水産業への新規就業者が増えることは、雇用問題・後継者問題・食料問題・人口過密あるいは過疎の問題・土地住宅問題・独居老人問題など様々な問題を一気に解決する起爆剤となる可能性を秘めている。

若い人達は、今まで農林水産業を始めとするいわゆる3K職場を嫌う傾向にあった。だが、この不況はそんな若者をして、図らずもそれらの産業に目を向ける機会を創出した。思えば我々消費者が“より安く”を追い求め過ぎた結果が、中国の毒入り餃子であったり、メラミン入り粉ミルクへと繋がったのだと言えなくもないのである。

自分たちのものは、自分たちで作る。そんな、当たり前のことをもう一度やってみよう。今回の不況は我々にそんなメッセージを送っているのかも知れない。それは、高度に行き過ぎた資本主義経済へのアンチテーゼでもある。

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なにかできること、ひとつ。

「自なくして他なく、他なくして自なきは、全なくして個なく、個なくして全なきが如くである。」安倍能成

安倍 能成(明治16年(1883年)12月23日 - 昭和41年(1966年)6月7日))は、日本の哲学者、教育者、政治家。

サッカー元日本代表MFの中田英寿氏(32)が1月22日、サッカーのチャリティーマッチなど慈善事業を行う一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」を設立した。同じく元日本代表の前園真聖氏や名波浩氏らがメンバーの「TAKE ACTION FC」を結成し、世界各地で試合やサッカー教室を開催するという。

財団の公式ホームページの中で中田英寿氏は、「人々が“参加しやすく”、“楽しめ”、それが直接的・間接的な支援につながっていく誰にとってもプラスとなるような機会を提供していきます。その輪を大きくしていくことで、ひとりひとりの行動が地球上の問題解決に繋がっていくことを目的とします。『なにかできること、ひとつ。』まずは楽しみましょう。」と呼びかけている。

財団の目的として、
①元プロサッカー選手で編成されたサッカーチームを全国に派遣し、試合やサッカー教室などのイベントを各地で開催し、そこから得た収益を対価として各選手に支払うことでセカンドキャリアを創出し、持続可能な活動にすること。

②楽しみながら試合を見に行くことが、実は世界のこども達のためになる、というしくみを作り、自然な形でチャリティーへ参加するきっかけを作る。それにより、人々のチャリティーに対する考え方の変化につなげること。

③サッカーを通じたイベントの集客力を利用し、それと併せた予防接種や、エイズ教育といったプログラムを実施することにより、それらについての教育や予防接種の機会の拡大をすること。
などを主な活動内容に据えている。

「なにかできること、ひとつ。」僕は、このキャッチフレーズに大変共感を覚えた。元日本代表のサッカー選手という抜群の知名度を活かし、自分たちが最も得意とする分野で社会に対して何かできることはないかと考える。

しかも、それが現役を退いた選手のセカンドキャリアの創出にも繋がっていることが、非常に素晴らしいと思った。サッカーの元日本代表選手といえども、その遺産で生活を維持できるのはほんの一握りだと聞く。しかも、マスコミ不況の時代であるから、タレントや解説者の枠もそれに応じて減ることになるであろうから、その生活は決して安泰ではないのである。

主催者・協賛者・参加者・観客・受益者などみんなにとって、無理なく続けられるチャリティーや支援のあり方。“三方良し”の関係がそこにはある。この先、資本主義に代わりうるイデオロギーとして、この社会資本主義ともいうべき仕組みは、100年に一度の大不況とも言われる時代にあって、その光明となりうる可能性は十分にあると思う。

個人レベルの行動を考えるに際しても、この「なにかできること、ひとつ。」という考え方は、心豊かに毎日を生きるための大切なキーワードであるに違いない。何も大それた事をする必要はない。自分にできることで誰かのために何かをする。それが、根本原理である。

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虚構にまみれた幸福

「人生の意義は偽を憎み、真を愛することを学ぶにある。」ブラウニング

ロバート・ブラウニング(1812年5月7日‐1889年12月12日) はイギリスの詩人。

「虚構の暴走列車」小室哲哉被告(50)は借金まみれになった当時の自らの姿を、そう評したという。

著作権譲渡をめぐる5億円にのぼる詐欺罪に問われた、元音楽プロデューサー小室哲哉被告の初公判が1月21日、大阪地方裁判所で開かれた。保釈以来、約2カ月ぶりに公の場に現れた彼の髪は短く切られ、落ち着いた感じの茶色に染め直されていた。検察側の冒頭陳述では、かつての億万長者が借金まみれになった経緯や2002年に再婚した妻・KEIKO(本名:小室桂子)の歓心を買うため、さらに借金のスパイラルに陥った様子が詳らかになった。

検察側の冒頭陳述によると、再婚した当時すでに、小室被告は借金まみれだった。しかし「破綻への道を進んでることは分かっていた。でも、破綻する直前までKEIKOを思い切り楽しませてやりたい、思い切り贅沢させてやりたいと思った」「結婚した1年目が、人生で一番贅沢をしたと思う」と偏執的な愛情の示し方しか知らない過去のヒットメーカーは語ったという。

さらに小室被告が設立した、イベントのプロデュースを中心に行う芸能事務所「トライバルキックス」の社長である平根昭彦氏は供述調書の中で、小室被告が妻KEIKOさんの機嫌を取るために毎月100万~200万もの小遣いを渡していたことも明らかにしたという。

また、資金繰りが破綻寸前の頃年利60%の融資を受けた際には、「僕もお金、返せそうにないし、仕方ないね」などと述べたといい。約18億円の借金に追われ、利息だけで月3000万円の借金返済が重くのし掛かっても「1発当てればすべてチャラになる」と本心ともただの虚勢とも取れるような発言をしていたという。

2008年11月に大阪拘置所で自らが綴った書面の中で小室被告は、今回の被疑事実について「音楽のかけらもない暴走列車に急ブレーキをかけていただき、虚構の列車が止まった」とした上で「日々反省を深めている。更生の機会を与えていただけるのならば、残りの人生を音楽家として多くの人に喜んでもらえる作品を作りたい」と謝罪の言葉の述べている。

かつて、女性の心理を描かせれば彼の右に出る者は居ないとまで言われ、当時のヒットチャートの上位を独占し続けてきた小室被告。女心の機微を隅々まで知り尽くしていたはずの彼が、何故妻のKEIKOさんが、借金までして贅沢な暮らしをしても、喜ぶはずのない事が分からなかったのであろうか。家庭の温かさというものを知らずに育った小室被告は、KEIKOさんと再婚して初めて、家族や親戚を持つことの喜びを知ったという。

それまで、利害関係者に囲まれ、ドライな人間関係を続けてきた彼が、生まれて初めて知った家庭の温もり。それは、決して高級マンションに住むことや、高級外車に乗ることではなく、もっと慎ましやかでも本当の意味で小室被告の成功を祈ってくれている人々と、共に生きることの喜びであったはずである。恐らく妻のKEIKOさんも同じ気持ちであったであろうと思うと、何故もっと早く自らが築き上げた虚構の暴走列車から飛び降りる勇気を持てなかったのか、と残念な気持ちでいっぱいになる。

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新時代における個人の責任とは

「われわれが当然なすべきことをなすは賞賛に値せず。なんとなれば、それはわれらの義務なるがゆえに。」アウグスティヌス

アウレリウス・アウグスティヌス(354年11月13日 - 430年8月28日)は、古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者、古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家。

アメリカ合衆国史上初めての黒人大統領の誕生である。彼の登場は世界の新時代の幕開けとなるのであろうか。民主党のバラク・オバマ氏(47)が日本時間21日午前2時、アメリカ連邦議会議事堂前での就任式で宣誓し、第44代大統領に就任した。就任式の聴衆は会場内外で約250万人に上り、米国史上最大の就任式になった。

就任演説の中でオバマ新大統領は「我々は重大な危機にある。わが国は(イラクやアフガニスタンで)戦争状況にあり、敵は憎悪と暴力のネットワークを持っている。経済状況も悪く、その原因は一部の人々の貪欲(どんよく)さと無責任さにあるものの、我々は困難な選択を避け、次世代への準備にも失敗している。」と、これまでアメリカが冒した数々の失敗を素直に認め、

「我々は責任を持ってイラクから撤退し始め、イラク人に国を任せる。そしてアフガンでの平和を取り戻す。古くからの友人とかつての敵と共に、核の脅威を減らすために絶えず努力し、さらに地球の温暖化とも戦う。」とイラク駐留米軍戦闘部隊の撤退によってイラク戦争を終結させ、アフガニスタンでの対テロ戦争に全力を掲げる意志を示した。

また、地球の温暖化問題にも真剣に取り組む姿勢を示したことは評価に値する。これまで、世界最大のCO2排出国であったアメリカ及び中国が京都議定書に批准していなかった為、世界の足並みが揃わなかった経緯があり、これによって温暖化対策は一歩前進することであろう。

また「新しい責務を果たすべき時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格を定義し、精神をみたすものはない。」と、今アメリカが抱えている未曾有の大不況など様々な難題に対して、国民は国家にその責任を求めるだけではなく、自分たち一人一人の問題として、責任を持つことへの自覚を促したことは、お祭り気分で演説を見に来ていた聴衆に、背筋を伸ばさせるに十分だったのではあるまいか。

アメリカ合衆国はこれまで、自由と平等の国を標榜しながら、その実決して平等ではなかった。アメリカ独立宣言の草稿を書いた5人委員会のメンバーの邸宅でさえ、黒人奴隷を召使としていたのである。つまり、アメリカの独立・自由・平等とは、これまでは白人のそれだったといえるであろう。

オバマ大統領の就任により、直ちに黒人、黄色人種、ヒスパニック系などマイノリティーに対しての差別がなくなるわけではない。だが、大きなチェンジに対する一歩であることは間違いない。これから、“世界市民”として私たちが出来ることは何か。それを考えることを国家に任せきりにするのではなく、私たち一人一人が自覚と責任を持って、考えそして行動すべき時代の到来である。

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不正を許すとどうなるか

「不正を非難する人とは、己れが不正をなすことを怖れて非難するにあらずして、不正を被らんことを怖れて非難するなり。」プラトン

プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。

国民の社会保障制度の一端を担う健康保険が詐欺によって不正に使われた。

奈良産業大学の元助教授で、同大学の初代野球部監督でもあった新田泰士総監督(50)が、奈良県三郷町内で2006年に開業した整骨院において、部員の氏名を使って架空の施術の申請をし、医師の診療報酬に当たる療養費を不正に受給していた疑いがあることが今月19日、明らかになった。

奈良県によると、部員の保護者が2008年9月ごろ、大阪府に「行ったことのない整骨院の施術の通知書が来た」との情報を寄せたことにより問題が発覚した。不正な受給総額は数百万円に上る可能性もあり、奈良県と近畿厚生局が実態を調べている。部員らによると、病院に行かない月にも名前を書かされていたり、回数が水増しされていたりしたという。

記者会見に臨んだ藤原現監督によると2007年以後、新田氏から「氏名の記入漏れがあった場合や、ケガの時にすぐ対応するため」と頼まれ、白紙の療養費支給申請書を毎月数十枚受け取り、同時に渡される部員のリストを基に20~30人に署名させていたという。

背景に整骨院の経営難があったということだが、新田氏は日頃から部員らに「これは詐欺の紙や」「すまん。詐欺やけど、今月も協力して」などと言って署名させており、読売新聞の取材に対し、新田氏は「軽はずみで“詐欺”と言ったかもしれないが、不正の認識はなかった」と話しているという。

この療養費の不正受給については「対象者,医療機関等,はり師,きゅう師又はあん摩マッサージ指圧師が正当な理由なく前項の立入調査等に応ぜず,又は虚偽の報告をしたとき,若しくは著しい不正が発覚した場合は,医療費等の支払を停止し,又はこの事業の対象から除外することができる。」と明記されており、また刑法に照らしても詐欺罪の構成要件を満たしており、立件は免れないだろう。

だが、これらの不正請求や水増し請求は、何も非日常の話ではなく、我々の周りでもほぼ常態化しているのではあるまいか。掛かり付け医に対する遠慮からか不正を糾弾する事に対し、二の足を踏むケースはままあると聞く。前述した立ち入り調査も、患者からの確かな証言や裏づけがあって初めて効果を発揮するもので、書類上辻褄が合っていれば、それを覆すのは困難であるように思われる。

しかし、不正を見逃すとその先に待っているのは、私たちの健康保険料の値上げや、ひいては消費税をはじめとする税金の引き上げである。親しき仲にも礼儀あり。掛かり付け医だからといって不正を見逃す事は、大きな社会悪であることを自覚せねばならない。

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ドバイタワーは現代のバベルの塔

「アラーは商売はお許しになったが、利息取りはご法度だ。」マホメット

ムハンマド(570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖。モハメッド、マホメットなどと呼ばれることが多かったが、近年では標準アラビア語(フスハー)の発音に近い「ムハンマド」に表記・発音がされる傾向がある。

世界中の金持ちが集まる都市、ドバイの1000mタワー建設が世界同時不況の影響を受け延期されることになった。

アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで最大手の不動産開発会社ナキールは、世界最高となる超高層タワーの建設計画を1年間延期することを発表した。ここのところバブル景気を迎えていたドバイの不動産市場が、世界的同時不況のあおりで急速冷え込んでしまった。ナキール社はタワーの基礎工事を1年後に再開するとしており、延期について同社は「需要に応じた供給を行うための事業計画の調整だ」と説明している。

以前、ドバイに旅行に行った知り合いから、ドバイの1000mタワーの建設が進んでいない事は聞いていたが、そのときは俄かには信じられなかった。だが、いざニュースになってみると、より現実味を増す。その昔、天までそびえるバベルの塔を作り、神々の怒りを買ったメソポタミアの人々と同じく、志半ばでタワーの建設が頓挫してしまった。

だが、このドバイという土地、他の産油国と違って石油の埋蔵量はそれほどでもないという。そのため石油依存型経済からの脱却を志向せざるを得なかったドバイは、特に1980年代の半ば頃から経済政策として産業の多角化を積極的に進めてきた。その流れのなかで1981年(1985年)に開設に至った「ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)」は、外資の直接投資の自由や外国人労働者の雇用の自由を完全に保障する経済特区で、その性質から外国企業や資本の進出を多大に促進した。

このように見ると、石油依存型経済からの脱却がある程度成功した(現在GDPに石油の占める割合は6%以下)ことが逆に今回の景気の停滞に繋がってしまったということであれば、なんとも皮肉な結果である。なまじ資源があると、人々は労働に価値を見出せなくなるらしい。金が金を生み出すなどという錬金術まがいのスキームは、所詮幻想以外のなにものでもない。ドバイとは、砂上の楼閣だったのであろうか。

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友のために何ができるか

「われわれは自分の健康を大切にする。貯蓄をし、家の屋根を丈夫にし、衣服を十分に整える。だが、あらゆる財宝のうちで最高のもの、「友人」という財宝を備えようとする賢者はどこにもいない。」エマーソン

ラルフ・ワルド・エマーソン(1803年5月25日 - 1882年4月27日)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。

先日、知り合いを訪ねて岡山県倉敷市まで行ってきた。実はその知り合い、40歳にしてガンが全身に転移しており、末期症状で余命3ヶ月だということで、最期に一目会っておこうと思ったのである。実際108㎏もあった体重が88㎏まで落ちているとのことで、やつれているのは確かなのだが、意外に元気なのである。

なぜ元気なのかというと、その人自身は自分がそこまで末期症状だとは思っていなくて、順調に回復していると思っているからなのであるが、僕も会って話していると、もしかしたら本当に助かるのではないか、と思うほど元気なのである。当初僕はその人の母親から、症状を聞かされていたため、本人に気取られないように誤魔化すことができるだろうか、という不安があったのだが、何のことはない本人が元気だった上、自分が治るという事を信じて疑っていなかったので、僕自身も余計な気を遣わなくても良かった。

ただ、抗ガン剤の副作用はあるらしく、全身の毛が抜け落ちていってるのにはさすがに落ち込んだが・・・それにしても、人間の生命力の強さにはいつも驚かされる。その人は脳に腫瘍ができているので、普通であれば手足の自由が利かないはずらしいのだが、たった何日かのリハビリで、箸を使えるようにまで回復したのだそうだ。もう少しで、大好きなパチンコが打てる、と大笑いしたその姿が、すごく“らしく”って僕も思わず大笑いしてしまった。

その人は気前がよく、腰巾着のような人達から、よく集られていた。金遣いが荒く、先祖代々の土地を売っぱらっては、豪遊していた。僕は、病気のことをその人の母親から聞いたとき、正直バチが当たったんだなと思った。だが、面倒見がよく、いつも心無い連中から騙されてばかりいるその人が、僕は好きだ。今まで色々と世話にもなったが、それだけではない。不器用で破天荒だが、何故か憎めないキャラクターの持ち主であるその人の周りには、いつも人が集まってくる。もちろん中には邪な心を持った人間もいるが、大抵はその人柄に惹かれて集まった連中ばかりだ。僕ももちろん、そんな連中の一人である。

絶対にガンを克服して、また大笑いしながら、一緒に旨いものでも食べたいものだと思う。頑張って下さい、回復を心から祈っています。

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消費税増税論議についての苦言

「保守的政府は組織化された偽善である。」ベンジャミン・ディスレーリ

初世ビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ(1804年12月21日 - 1881年4月19日)は、イギリスのヴィクトリア朝期の政治家。

100年に一度の未曾有の大不況が底打ち感を見せない中、消費税増税の論議が活発化している。

内閣府(日本の中央省庁の一つ。内閣機能強化の観点から、内閣を助けて内閣の重要政策に関する企画立案及び総合調整、内閣総理大臣が担当するのがふさわしい行政事務の処理などを行うことを任務とする。)は1月15日、消費税率を引き上げなかった場合の平成30年度の国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の試算を自民党の政調全体会議に提示した。世界経済が低迷を続け、このまま歳出削減も進まない場合には25兆3000億円の赤字となるというが果たしてそうであろうか。

試算では世界経済が(1)順調に回復(2)急回復(3)底ばう-の3つのシナリオに応じて、歳出削減が進んだ場合と進まない場合の計6パターンを提示。順調に回復した場合でも、2018年度に7兆~15兆8000億円の赤字となる。最悪のシナリオでは、2018年度の公債等残高は国内総生産(GDP)の2倍超に相当する1062兆5000億円にまで膨らむとしている。だが、消費税率を上げた場合で、かつ経済が回復し、更に14兆3000億円の歳出削減に成功すれば、2018年度に黒字化できるとしている。

この問題については、予てより自民党内で批判の声が相次いでいる。次期衆院選で不利になることを憂慮している議員が反発しているためだ。ただ政府としては2009年度予算案の関連法案に2011年度からの消費税率引き上げをなんとしてでも明記したいという思いが強く、党内で麻生首相を支持するグループと、反対するグループとの対立構造が明確になってきている。

大体この不況のさなかに逆進性のある消費税をあげる議論がでるだけでも、消費マインドは冷え込んでしまうだろう。イギリスなどでは、一時的に消費税(イギリスでは付加価値税という)を2.5%下げ15.0%とする決定がなされたばかりだ。麻生首相は当初、3年後の景気がどうなっているのか見極めたうえで、改めて消費税の増税論議をすると言っていたにも関わらずである。これには、どうやら元々強硬な増税論者である与謝野馨経済財政担当大臣の影響が強く表れている気がしてならない。恐らく先の自民党総裁選で次点だった与謝野氏を抱き込む事が、党内で求心力を保つために必須だと考えたのではあるまいか。

公務員の数や人件費の問題、議員定数の問題、官僚の天下り先でもある特殊法人の問題、全国に数多あるハコモノの問題、削るべき箇所はいくらでもある。それともうひとつ、国又は地方公共団体等の会計処理の方法の問題もある。そもそも、“予算”という考え方が間違っているのではないか。予算は何も“遣わなければならない金”ではない。“遣える上限金額”を定めているのだ。それを自分の懐が痛まないからと言っては無駄な金を遣い、次年度の予算が削られては困るからと言っては余計なものを作る。歳出の削減は進まないのではない。最初から進めるつもりがないのである。国民の一人として、与野党を問わず政治家、官僚機構、特殊法人の在り方に苦言を呈したい。

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明るい未来を信じて

「相談するときには過去を、革受する時には現在を、何かするときには、それが何であれ未来を思え。」ジューベル

ジョセフ・ジューベル フランスの哲学者・警句家

1871年(明治4年)に旅館として開業した老舗、京品ホテル(東京都港区高輪4-10-20)を、経営悪化により2008年10月20日付け解雇された元従業員が占拠していた問題で、経営側の京品実業株式会社(2008年10月20日廃業)が土地売買が妨害されているなどとして東京地方裁判所に建物明渡しの仮処分の申立てをしていた。

2009年1月15日東京地方裁判所は、使用者による事業の決定は、事業者が自由に行いうるとの理由で京品実業株式会社の申立てを認め、元従業員側に明渡しを命じる仮処分を決定した。元従業員の組合は同日、東京地方裁判所に執行停止と仮処分への異議を申立てた。建物の明渡し期限は明日から2週間以内。東京ユニオン・京品支部の金本正道支部長は「5万人以上の応援署名も集まり、決定は出たが、執行されてもあきらめず自主営業を続ける」と述べているが・・・

実はこの京品実業株式会社の債権は、リーマンブラザーズ証券が設立した債権買取の子会社・サンライズファイナンス株式会社に全て売却されており、更にこのサンライズファイナンス株式会社も、サブプライム問題に端を発した米国発の世界金融危機と2008年9月14日のリーマンショックの影響で同年9月16日に東京地方裁判所に負債額約3639億円で民事再生法の適用を申請していた。当初京品ホテルの土地建物は株式会社LCホテルズに同年10月31日付で売却及び引渡しされる予定となっていたが、今回の不法占拠問題で引渡しが履行されなかった為、売買契約自体が破棄された。

僕はこの元従業員の方々の行動を見て、死人を火葬せずにそのまま放置して、その死人が生き返るのを祈り続けるという教義のカルト宗教団体のことを思い出していた。もちろん元従業員の方々の気持ちも痛いほど分かる。だが、無い袖は振れないというのも現実なのである。宮仕えの悲しさか、経営が悪化したからと言って突然放り出されても、次にどうして良いのか分からずに、墓場を彷徨う魂のようである。

そのまま経営を続けるならば、サンライズファイナンス株式会社が所有していた債権を全部買い取るしか方法がないのである。そうでないなら、法的には不法占拠以外の何物でもない。従業員としての地位保全の訴えについても、雇い主の京品実業株式会社が事実上倒産している訳であるから、訴えの利益がないのである。

このまま自主営業を続けていても、待っているのは建物明渡しの強制執行と、不法占拠していた期間の損害金の支払い命令である。このまま京品ホテルにしがみ付いていても、彼らに明るい未来は待ってはいないだろう。元従業員の方々には一日でも早く前を向いて、次なる道を歩いていって欲しいと思う。それは、東京ユニオン・京品支部の金本正道支部長が言うような、「あきらめる」ということには決してならないはずである。

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天才のつくりかた

「天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。」芥川龍之介

芥川 龍之介(1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。

久々に明るい話題ができそうである。1月14日卓球の全日本選手権5種目が東京体育館で行われた。そのうちの1種目女子ジュニアの部で8歳の平野美宇選手が1回戦を突破し、1998年に福原愛選手(早稲田大学スポーツ科学部2年生、ANA所属)が記録した10歳の同大会ジュニア部門最年少勝利記録を更新したという。

平野美宇選手は現在小学2年生、元卓球選手の母が指導する、山梨県内の卓球センター(平野卓研)で3歳5ヶ月から競技を始めた。現在は医師である父正光さんも全日本選手権に出場した経験がある卓球界のサラブレッドである。ちなみに幼稚園の時の一日の練習時間は基本的に朝1時間、夕方2時間。小学校に入ってからは、朝が早いため朝練はしていないそうである。

そういえば、福原選手も3歳9ヶ月で卓球を始め、練習は当時で毎日4~5時間、今では7~8時間しているというから、「天才は一日にして成らず」というのは本当らしい。福原選手は女子ジュニアの部以外にも5歳10ヶ月で全日本選手権バンビの部(小2以下)史上最年少で優勝という記録も持っている。ちなみに平野選手もバンビの部において小学1年生時に優勝している。福原選手との共通点はほかにもあり、負けそうになると泣いて悔しがった、というエピソードから「第2の愛ちゃん」と呼ばれている。

スポーツの世界は、選手寿命が短く、そのピークが種目の違いこそあれ10代後半~20代前半であるため、概して早熟である。フィギュアスケートの浅田真央選手や、プロゴルファーの石川遼選手、同じく上田桃子選手、プロテニスプレーヤーの錦織圭選手など、プレーだけでなく人間的にもその受け答えや、話の内容において、同世代と比べ遥かにしっかりしている。

なぜ彼らは、あんなにもしっかりとしているのか?まず一つに強烈な目的意識が挙げられる。幼い頃からこれをやりたい、という思いがあって、脇目も振らずに一心不乱に取り組む、それも中途半端なものではなく、常に一番を目指している。その結果それに相応しい人間性も身に着けていった。

次に個人競技であること。団体競技がだめだと言っている訳ではないのだが、団体競技よりも個人競技のほうが、責任の所在が明確である。自分の頑張りや成績が序実に報酬やランキングに反映される。その事が責任感を養うのである。大会社や役所の人間が、責任を明確にせず、曖昧にして逃げ回るのとは大違いである。

最後にライバルの存在。天才候補は一人だけではなくて、同じようなレベルの選手が何人もいる。競技を始めたばかりのときは、皆素人に毛が生えた程度なのだから当然だ。だが、そんなライバルとの熾烈な争いに打ち勝ってきたからこそ、強靭な精神力を養う。

もちろん、一般社会でも同じようなことはある。だがそのレベルが違うのである。彼らはより高みを目指すことにより、そのプレーだけでなく人間的な厚みを増していったと思うのは、買い被りすぎであろうか。否そうではあるまい、彼らはとにかくそこを目指したのである。自分がそこに到達できるというイメージを明確に持って、決して自分を疑うことなく、自分なら出来ると自らの力を信じて目指した。私達もやってやれないはずはない。

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騙す人間、騙される人間

「欺瞞し、裏切る、これ人間生来の心根なり」ソフォクレス

ソフォクレス(紀元前496年頃 - 紀元前406年)は、アテナイの悲劇作家、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人に数えられる。

2008年に発生した振り込め詐欺の被害額は約276億円で、過去2番目に多かったことが分かった。警察庁によると、2008年の認知件数は前年比2551件増の2万481件であったという。

内訳は、オレオレ詐欺(「おれだよ、おれ。」と電話をかけ、電話に出た者がうっかり「○○くん?」などと問い直すと、「そう、俺、○○。実は事故にあっちゃってお金が必要になった。すぐにお金を振り込んで。」などと言い、指定した銀行等の口座に現金を振り込ませるやり口からその名前がついた詐欺)が7615件で155億円。

架空請求詐欺(郵便、インターネット等を利用して不特定多数の者に対し、架空の事実を口実とした料金を請求する文書等を送付するなどして、現金を預金口座等に振り込ませるなどの方法によりだまし取る詐欺)3253件で36億円。

融資保証金詐欺(実際には融資しないにも関わらず融資する旨の文書等を送付するなどして、融資を申し込んできた者に対し、保証金等を名目に現金を預金口座等に振り込ませるなどの方法によりだまし取る詐欺)5074件で37億円。

還付金詐欺(電話でATMに誘導し、還付金を受け取る手続とだまして、振り込ませる詐欺。例えば、犯人が税務署や社会保険事務所、市区町村などの職員を装って電話をかけ、還付金があるのでATMに行くよう誘導。電話でATMの操作を指示し、資金を振り込ませる。)4539件で47億円であったという。

詐欺の手口も年々巧妙かつ卑劣になっていくが、警察官を現金自動受払機(ATM)に大量配置する昨年10月の特別警戒により、以後の被害を抑えることができたという。一方で、最近は現金書留詐欺(現金書留、小包、普通郵便で現金を郵送させたり、為替を送らせたりする詐欺)や手渡しによる詐欺被害が増加しているそうである。これらの詐欺に対し警視庁は、1.留守番電話の活用。2.ナンバーディスプレイ機能の活用。3.ATM利用限度額の引き下げをする。などして、自己防衛するよう呼び掛けている。

振り込め詐欺においては、大阪より圧倒的に東京に被害者が多く、還付金詐欺においては、逆に大阪の方が被害者が多いとされてきた。何故なら、大阪人は金を支払う時には口うるさいが、タダで貰える話となると、途端にガードが緩むからだと言われてきた。だが、面白いことに被害件数の統計をとってみると、大阪が2008年1-5月で84件月平均16.8件、東京が2008年1月-4月で622件月平均155.5件で大阪の約9.26倍と、還付金詐欺においても大阪の方が警戒心が強いことが分かったのである。

さすが商人の町大阪である。金にはいたって厳しい目をもっていることがこれで証明された。闇雲に他人を疑えということでもあるまいが、掛かってきた電話を安易に信じ、裏を取らないまま振り込んでしまい、騙されたとあれば、ある程度は自業自得の謗りを免れないだろう。何事にも注意深さは大事である。自分の身を守るのは、最終的には自らの危機管理の心掛け次第ということだ。

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政治家が考えなければならないこと

「政治屋は言う「小生は貴公の欲するものを与える」と。政治家は言う「貴公が欲すると考えているものはこうだ」と。」リップマン

ウォルター・リップマン(1889年9月23日-1974年12月14日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、コラムニスト、政治評論家。

本日、2008年度第二次補正予算案が衆院予算委員会で賛成多数で可決された。民主、社民、国民新の野党3党は委員会採決に抗議して採決に加わらなかった。第二次補正予算案は総額4兆7858億円。2兆円の定額給付金のほか、高速道路料金引き下げ(5000億円)、介護事業の人材確保(1475億円)、雇用対策費(1600億円)などが盛り込まれている。

今回の第二次補正予算案決議はとにかく大荒れだった。野党各党は麻生首相に対して、早く解散総選挙をするよう求め、渡辺喜美元行政改革担当相は、公務員制度改革などの提言が麻生太郎首相に受け入れられなかったとして自民党に離党届を提出するなど、麻生内閣は党内外からの批判にさらされ、内閣支持率もついに18%台まで落ち込んでしまった。

こうなると、政権も末期症状である。だが、先の安倍晋三元首相や、福田康夫元首相ならとっくに政権を投げ出しているところ、さすがにちょいワルを自認する麻生太郎首相である。まだまだ頑張るつもりらしい。だが、定額給付金問題で右往左往した麻生首相には、国民の大半が愛想を尽かしている。困ったときはアキバ頼みとばかり、秋葉原に遊説にでかけたりするのだが、当のアキバの人々から見放されていまっているのだから、いよいよ窮地である。

なぜ定額給付金問題がここまで縺れてしまったのだろうか。まず一つ目は、誰に幾ら給付するのか、という線引きの問題。二つ目には、どういう形式で配るのかという問題である。それらの問題をよく審議しないまま、大風呂敷を広げてしまい、引っ込みがつかなくなったところに麻生首相の悲しさがある。これでは、給付を止めれば低所得者層から非難される。そのまま強硬に進めても、それ以外の層には有難がってはもらえない。まさに「前門の虎、後門の狼」である。選挙の事だけを考えるのであれば、止めるのも一考であるとは思うが。

小渕恵三内閣の頃、「地域振興券」があったが、ああいう形であれば、印刷業界を始めとする産業の刺激と、居住地内で地域振興券を使うことにより地域経済の活性化が即効性を持って実現できたはずなのである。当時の版下もまだ残っていると思うので、年度や有効期限だけ変更して、使い回しもできたのではないか。そうすれば、スピードをもって景気対策を実行できたのである。当時は小渕首相のキャラクターもあって、あまり評価されなかった感があるが、今にして思えば惜しげもなく買い物ができたのであるから、即効性のある景気対策としては、一定の評価をしてもよいのではないかと思うのである。

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趣味をもつこと、自分らしく生きること

「何か一つ趣味を持たない限り、人間は真の幸福も安心も得られない。植物学、蝶や甲虫の採集、チューリップや水仙の花づくり、釣り、登山、骨董――その他どんなものに興味を持とうと、その人の人生はすばらしいものに変化する。趣味の馬を乗りこなせる限り、何の趣味でもかまわない。」ウィリアム・オスラー

ウイリアム オスラー(1849年7月12日-1919年12月29日)はカナダオンタリオ州生まれの医学者、内科医。

今日、知り合いに誘われて、その人のバンドの練習を見に行った。学生時代に結成してすでに40年以上という、かなりのベテラン達である。ベンチャーズサウンドを得意としており、個性的なギタープレイが特徴のバンドである。僕は、何の楽器も扱えないので、当然スタジオに入ったのも今回が初めて。

ライブハウスや、コンサートホールで聴くのとは、全く違う爆音と臨場感で終始圧倒されっぱなしだったのだが、間近で聴いていると、知らない曲でも自然と体がリズムを取るために動いているのだから不思議である。アップテンポの曲の時には縦ノリに、スローテンポな曲の時には横ノリになっていた。“音を楽しむこと=音楽”だという事に改めて気付かされた。

それと、もう一つ。前述したように、学生時代からやっているバンドだからこそ、みな普段は責任ある大人なのだが、楽器をプレイしているときばかりは一様に少年の顔に戻っている。その姿はなにか、楽器を介した会話のようでもあり、鬼ごっこのようでもあり、見ていてとても微笑ましかったのである。だから、その場にいると楽しくなってくる。演奏の合間に楽器の話や、好きな音楽の話に花を咲かせる。そんな時間を共有できる仲間がいるということが、とても貴重だと思った。

仕事以外に自分が没頭できる趣味を持つ。できれば、仕事場とは全く無関係の人間関係を築けるものの方が良い。自分を表現できるもう一つの場所。自分が輝くために必要な時間。それを持つことができた人間は、それだけで既に幸福かも知れない。だが、待っていても向こうからやって来るわけではない。ほんの少し積極的になって、自分から見つける努力が必要である。

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犬のキモチ、猫のキモチ

犬の十戒とは、インターネット上で広まった作者不明の短編詩です。犬の気持ちというものは、確かにこういう感じなのではないか、と納得させられる部分もあり、人付き合いの上でも大事な教訓が隠されているので、紹介したいと思います。

「犬の十戒」
1.私と気長に付き合ってください。
2.私を信じてください。それだけで私は幸せです。
3.私にも心があることを忘れないでください。
4.言うことを聞かないときは、理由があります。
5.私にたくさん話しかけてください。人の言葉は話せないけど、分かっています。
6.私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないでください。
7.私が年を取っても、仲良くしてください。
8.あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません。
9.私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください。
10.私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。私がずっとあなたを愛していたことを。

犬を飼っている方なら大いに共感できるのではないでしょうか。うちには猫がいますが恐らく大差はないと思います。お互いに種が違うため、コミュニケーションは容易ではありませんが、長く一緒に過ごしているといつも同じ鳴き方ではない事に気付きます。ご飯が欲しいとき、遊んで欲しいとき、トイレを掃除して欲しいとき、甘えたいとき。彼らは私達に自分の思いを伝えようと、一生懸命に鳴きます。こちらも、何を言いたいのだろうと、表情や声のトーンなどを 聞き分けようとします。それでも、完璧に理解できている訳ではありません。

ですが、このことは、外国人とのコミュニケーションにおいても同じことだと思います。言語はもちろん違うし、文化が違うためジェスチャーも違う場合がある。それでも、相手の言いたい事を必死に理解しようと努めます。そして、通じ合ったときの喜びは、同じ日本人同士では味わえない格別の達成感があるのではないでしょうか。まだ言葉を使えない赤ん坊でも一緒です。言葉どころか、ジェスチャーも未発達である赤ん坊は、泣くことで母親に自分の要求を伝えようとします。いつも一緒にいる母親は自分の子供の泣き声をちゃんと聞き分けます。

大事なのは、相手のことを思い遣り、理解しようと努力する気持ちです。その為には、相手の立場にたって、自分ならどう考えるか?少しでも相手の気持ちに、自分をシンクロさせて想像力を働かせる事です。そういう訓練を続けていれば、段々と場の空気も読めるようになってくるし、相手が要求する前に先回りして、気を利かせるという事もできるようになってきます。皆がそういう気落ちでいれば、もっと世の中は平和になるのではないでしょうか。

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雇用問題を解決するには

「支えてくれる人を獲得する最も確実な方法は、自分も人を支えることである」バーバラ・スタニー

バーバラ・スタニー ジャーナリスト、転職カウンセラー

富士通㈱の半導体子会社、富士通マイクロエレクトロニクス㈱が工場で働く正社員を対象に、ワークシェアリングを導入した。「ワークシェアリング」とは、労働時間を短縮して賃金を減らすことにより雇用を維持する方策のこと。派遣切りや内定取消しなどが深刻な社会問題となっている昨今、今日住む場所にすら事欠く状況の人々を、救うための一つのヒントになることは間違いない。

ワークシェアリングにも幾つかの類型があり、
(1)緊急避難型(一時的な景況の悪化を乗り越えるため、緊急避難措置として、従業員1人あたりの所定内労働時間を短縮し、社内でより多くの雇用を維持する。あくまでも、短期的な方策である。)

(2)中高年対策型(中高年層の雇用を確保するために、中高年層の従業員を対象に、当該従業員1人あたりの所定内労働時間を短縮し、社内でより多くの雇用を維持する。)

(3)雇用創出型(失業者に新たな就業機会を提供することを目的として、国または企業単位で労働時間を短縮し、より多くの労働者に雇用機会を与える。)

(4) 多様就業対応型(正社員について、短時間勤務を導入するなど勤務の仕方を多様化し、女性や高齢者をはじめとして、より多くの労働者に雇用機会を与える。)などに区分される。

オランダなど海外の事例では、所定内労働時間短縮に伴う賃金低下をできるだけ緩和するよう企業による諸手当の支給等が実施されている。国内の事例では、所定内労働時間短縮相当の賃金削減を実施した事例があるが、ここでも従業員の抵抗感を和らげるため、対象者を限定するなどの措置がとられている。

だが、ワークシェアリングが成功するかというと、なかなか難しいと言わざるをえないのも現状である。2003年1月三洋電機株式会社は第1の類型を導入したが、緊急避難的な方策であり、将来的に売上げが増大する前提でなされたため、その計画を実現できなかった時、雇用を維持するどころか、会社の経営自体が立ち行かなくなってしまった。

そもそも、三洋電機㈱の場合は、雇用を維持する目的より、コストカットが主目的になってしまい、その事に感付いてしまった労働者のモチベーションが落ちてしまったことにより、製品の品質が落ちてしまったこと。責任ある仕事は短時間勤務では無理といった考え方や、短時間勤務に対応した労務管理の煩雑だったこと。生産量の落ち込みがワークシェアリングで対応できる範囲を超えてしまったことなどが原因と言われている。

だが、決まったパイを分け合うという発想は、資源のない国や、仕事の量が限られている状況下においては、お互いが少しずつ我慢して皆に行き渡るようにする為には欠かせない。他人を蹴落としてでも自分が助かりたいという発想の人ばかりでは、今起こっている状況は打開できない。大事なのは、皆が譲り合いの気持ちを持つこと、お互いを支え合う気持ちである。

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情報のモラルハザード

「モラルのない人間が、情報を扱うのは悪魔に魂を売り渡すようなものだ」飯田 亮

飯田 亮(1933年 - )東京中央区生まれ。学習院大学卒業後父親の営む酒類問屋「岡永」に入社。1962年大学の同窓生、戸田寿一氏と「日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)」を創業。

また、個人情報の流出問題が起きた。2006年度神奈川県立の全高校生約11万人分の個人情報がインターネット上に流出した。これを受けて神奈川県教育委員会は1月8日、ファイル共有ソフト「Winny」によって流出したことを公表した。ちなみに流出した個人情報は、氏名や口座番号など授業料振替システム開発用データだという。

これは情報のモラルハザードである。何故仕事用のパソコンで自分の趣味の為の「Winny」等のファイル共有ソフトを使ってしまうのか。僕自身も仕事柄、重要な個人情報を扱うが、仕事用のパソコンではファイル共有どころか、WEBページの閲覧も最小限にとどめている。だからといって、最近の傾向としてインターネットは辞書代わりでもあり、回線を使わずに仕事をこなすことは難しい時代である。

とどのつまりは個人の危機意識や、責任感の問題なのである。顧客や生徒などの個人情報の重みというものに対しての、緊張感がないから安易に仕事中にファイル共有をしたり、自宅に会社のパソコンを持って帰って、自分の趣味のために使ってしまうのである。

過去には自衛隊や警察、裁判所から国家機密ともいえるような情報が漏洩した例もある。その殆どが自宅へ持ち帰って仕事をする、いわゆる「持ち帰り残業」が原因である。自宅で仕事をする気安さからか、仕事をしながらファイル共有ソフトを起動している例も少なくない。そうなれば、コンピュータウイルスに感染するのは自明の理である。

ウイルス駆除ソフトと、コンピュータウイルスはまさにイタチゴッコであり、現在地球上に存在するコンピュータウィルスは40,000種にのぼるという。しかもウイルス駆除ソフトは、ウイルス定義ファイルという、ウイルスを探索する為の情報を常に最新に保っておかなければ、インストールしているだけでは、何の意味もなさない。この点を疎かにしている人が存外多い。これも危機感が欠如している証拠である。

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もう一度足元を見直す

「詩を書くのと同様に、畑を耕やす尊さを知るまでは、いかなる民族も栄えない。」ブッカー・ワシントン

ブッカー・タリフェーロ・ワシントン(1856年4月5日 - 1915年11月15日)は、アメリカ合衆国の教育者、作家。

アメリカの雇用情勢は予想以上に大変な事になっている。アメリカの主要企業が昨年発表した人員削減数は前年比59%増の122万3993人に達した。業界別で見ると、金融機関が前年比70%増の約26万人と最も多く、GM・クライスラー・フォードの自動車大手3社等の自動車関連が同じく61%増の約12万7000人と続いた。

また州別で見ると、金融機関が集中するニューヨーク州が最多の約21万人と最も多く、住宅の差し押さえ件数が多いカリフォルニア州や、自動車産業が集まるミシガン州での削減が多かったという。

この122万3993人という人数、ピンとこないので日本の政令指定都市の人口に置き換えてみた。2008年12月1日現在、東京都特別区部が一番多く848万9653人、次に横浜市の357万9628人、3位大阪市の262万8811人と続き、今回のアメリカにおける人員削減数は9位神奈川県川崎市の132万7011人と10位埼玉県さいたま市の117万6314人との間にあたる。

つまり、日本10位相当の政令指定都市の人口が全て失業したようなものなのである。調べていて背筋が凍る思いがした。更に悪いことには、調査を担当したアメリカのチャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマス社によると、2009年の前半もこのペースは衰えることなく続くであろうとの見通しである。

アメリカがこのような状況になったのには、様々な要因があるが、大きくは金融政策の失敗と、消費者の購買行動の無計画さによるところが大きいと感じる。つまり、日本のバブル経済の時と同じような状態が、アメリカでも起きてしまったということである。

誰もが自分の実力以上の買い物をする事で回っていく経済。右肩上がりの成長を続けている間は、そのおかしさに気が付かない。だが、何かの拍子にそのリズムが狂ってしまった時、莫大な債務が津波のように押し寄せてきて、経済をあっという間に深い海の底へと飲み込んでしまった。このスパイラルから抜け出すには、相当の犠牲を伴うことは間違いない。

今回、日本もその余波を食らってしまった。日本人は、当時バブル経済から何を学んだのか。地道にやっていく事の大切さを嫌というほど味わったのではなかったか。日本国という未熟児は、同じ轍を二度も踏んでしまった。だが、これで明らかになった。やはり、金に金を稼がせるスキームはどこかで破綻をきたすという事である。

日本人に錬金術は似合わない。農耕民族らしく、どっしりと地に足を付けて、汗水を垂らしながら働くのが性に合っているのだ。農業や物作りといった、昔ながらの産業を見直す事が、この未曾有の不況を脱する為のヒントになるような気がしてならない。

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見境のない犯罪者たち

「貧困が犯罪を生む母であるとすれば、知性の欠如はその父である。」ラ・ブリュイエール

ラ・ブリュイエール(1645.8.17-1696.5.10)フランスのモラリスト 上流社会を鋭く観察し、1688年に発表した「人さまざま」で、人間心理や当時の世相を鮮やかに描き出した。

タクシー強盗が相次いでいる。昨年末から関西で発生したタクシー強盗事件はこれで5件目である。素人考えになるが、運転手と後部座席の間に仕切り板がない事自体に事件発生の温床があると思うのだが、全国乗用自動車連合会によると、2008年3月末現在、仕切り板の設置率は全国平均の50.5%に対して、大阪府ではわずか16%だという。東京都での設置率78・3%と比べると驚くほど無防備なのである。

大阪府において、何故これ程までに設置率が低いのかと思い調べてみると、大阪府においてタクシーの運転手と客との間の会話は、サービスの一環であるとの考え方が根底にあり、仕切り板を設置することは、そのサービスの提供を放棄することとなり、その問題に対しクレームが相次いだ為、以前は付けていた仕切り板を数年前に取り除いたそうである。

だが、考えてもみればタクシーには常に現金が置いてある上、運転手はシートベルトに体の自由を奪われており、しかも背後を取られているという、身を護るに圧倒的不利な体勢で運転をしているのである。これでは、悪意のある乗客にとってみれば、どうぞ金を持っていって下さいと言っているようなものである。

それにしても、腹立たしいのは強盗・殺人犯人である。金を奪うだけであれば、何も運転手の命まで奪う必要はないはずだ。強盗罪だけなら、5年以上の懲役だが、これに致死罪が加わると死刑又は無期懲役である。加害者、被害者双方にとって、たった2,3万円の金銭のことで、この結果というのでは余りにも命が軽すぎる。更に悪いことに、馬鹿げた模倣犯が増えているという話なのである。

まさにタクシー運転手受難の時代だ。だからと言って、誰彼構わずに疑うわけにもいかない。たとえ怪しくても、ルームミラーで乗客の様子をチラチラ見ていては、逆に要らぬ争いを生むことになってしまうであろう。それほど収入が良い訳でもない、しかも常に身の危険が付き纏うというのでは、運転手のなり手もいなくなってしまう。従業員の身の安全を守ることも、タクシー会社の責務である。聞くところによれば、仕切り板は1万8千円程度であるという。その程度の費用で、運転手の安全を確保できるならば、ぜひとも早急にやって頂きたいものである。

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時代の転換期には多くの犠牲を伴う

「商業資本が絶対的支配の地位を占めると、それは、いずこにおいても搾取の形態を構成する。」マルクス 「資本論」

カール・ハインリヒ・マルクス(1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツの経済学者、哲学者、ジャーナリスト、革命家。

あのウェッジウッドが経営破綻した。創業250年を誇るイギリスの高級陶磁器ブランド「ウェッジウッド」を展開するウオーターフォード・ウェッジウッドが1月5日、法定管財人による管理を裁判所に申請した。世界同時不況の荒波がまた、大きなうねりとなって老舗ブランドを押し潰した。

ウェッジウッド=イギリスの陶磁器メーカーであり、ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立された。ジョサイア・ウェッジウッドは陶工の息子として1730年にイングランド中部のスタフォードシャー州に生まれ、若いうちから製陶技術や化学、図版などの知識を評価されていた。そして数回の共同経営を経た後、1759年にバーズレムにある工場を叔父から引継ぎ、独立・開業した。

それにしても、“未曾有”という言葉が決して大げさではない事態が次々と起こっている。今日も銀行関係の人と話をしたのだが、ここのところ企業の減産や発注の抑制に歯止めが掛からないそうだ。その方によると今年1年は、昨年より更に多くの血が流れるだろうという話である。そこには、“先行き不透明感”という実体のない亡霊のようなマインドが大きく関わっている。要するに実体経済以上のマインドの冷え込みによって、事態をより悪化させているということである。

世界的に名の知れた企業の倒産が連日のようにニュースとして流れると、人々の心の中に拠り所のない不安感が蔓延していく。恐らくこの1年間で、人々が信じきっていた既存の価値観が崩れていくだろう。学歴や金、土地、ブランド品、高級車、などそれらを手に入れる事で満足感を得てきたような人、つまり物質主義的な価値観に主軸を置いて生きてきた人々にとっては、辛い時代の到来になりそうである。その代わりに今まで見えなかった、人の心の温かさや、情けという目には見えないが確かにあるもの、つまり精神的な価値観を大事にすることの大切さが改めて見直されることになるだろう。

えてして時代の転換期には、少なからず犠牲を伴う。今吹き荒れている非正規雇用者切りや、内定者切りなどは過渡期においては、必要悪とも言うべきプロセスであるかも知れない。もちろん、その当事者の方々には心から同情するし、その事を良い事だと言っている訳ではない。ただ、そのプロセスを避けて通ることは不可能だというだけの事である。

昨日の記事にあった“年越し派遣村”を例にとれば、そこで人々からの温かい気持ちに触れた派遣労働者の人々が、自分がその状況から脱する事ができた時、次に同じような不況になった時に、昔に受けた感謝の気持ちを人々を救う事で返せば良いのである。昨今続いてきた欧米主導の拝金主義を見直し、人間にとって真に大事なものとは何か、皆が真剣に考えるべき時期に来ている。この不況はその為に与えられた電気ショックのようなものである。

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巧遅よりも拙速を求める

「いちばん悪い政府は、哲学や文学を体になすりつけた人間の治める国家である。」エラスムス「痴愚神礼讃」より

デジデリウス・エラスムス(1467年10月27日 - 1536年7月12日)は、ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。

“年越し派遣村”!?と聞いて、僕は一瞬なにかのイベントと勘違いした。実は年越し派遣村とは、仕事や住居を失った派遣労働者らを支援するため、東京・日比谷公園に開設されたもので、厚生労働省講堂を一時宿所としていた。

この宿所等がこの5日をもって使用期限が切れる為、年越し派遣村実行委員会の皆さんが、厚生労働省に折衝をしていた。結果廃校になった東京都中央区の小学校体育館など都内4施設を利用し、都が食事なども手配するという合意がなされ、これにより利用期限の12日までは、施設利用者が行き場もなく年越しを迎える事態は避けられる見通しとなった。

とりあえずは、良かったと言いたい。というのも、年末年始にはわざわざ軽犯罪を犯し、警察の厄介になることで雨露を凌ごうと考える人間も少なからずいるからである。留置されている間は、寒いとはいえども外よりはましで、なおかつ食事付である。仕事もなく懐も寒くなってくると、人間は正常な判断ができなくなってくる。「衣食足りて礼節を知る」という諺は、そういう意味で的を射ている。もちろん衣食が足りていても礼節のない輩が多い世の中であるのだから、なおさらである。

よくこういう問題に突き当たった時、槍玉に挙げられるのが、日本国憲法第25条1項及び2項である。そこには「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」また2項には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規程されており、いま我が国で起こっている派遣労働者問題やホームレス問題を見る限り、この条文が遵守されているとはとても言いがたい。

だが昭和57年7月7日の最高裁大法廷判決等の判例によれば、この憲法第25条1項及び2項は「福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであること、そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべき」とされている。

つまり国のスタンスとして“~のように善処します”という程度のニュアンスを持つ条文なのである。しかし政治や行政の場いおいて、この“善処する”は“何もしない”事と同義であることが多いことは周知の事実である。ただ我々国民も政治や行政を非難していても始まらない。年越し派遣村実行委員会のみなさんのように、自分には今何ができるのかを考えよう。それは何も大それたことでなくて良い。今できることをすぐに始める。今回のような問題は“巧遅”よりも“拙速”が望ましい。定額給付金のように、“拙遅”では、お話にもならない。

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言葉は人の命まで奪う

「常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉っていうような、言葉のみを使っている人、そういう人は心がけなくても、人に幸福を分けている人だよ。」中村天風

中村 天風(1876年7月30日 - 1968年12月1日)は日本初のヨーガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広めた。

旧ライブドアの粉飾決算事件に絡む偽メール問題で平成18年4月議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が平成21年1月3日午後6時25分ごろ、北九州市八幡西区里中の11階建てマンションから飛び降り自殺した。昨年11月にも、療養先の福岡県宗像市内で、手首を切って自殺を図った事があったばかりであった。永田元議員は北九州市内の病院に精神疾患で入院していたというが、たった一つのミスで自殺までしなければならなかったのは何故だろうか。

永田元議員というと、東京大学工学部物理工学科卒業した後、旧大蔵省に入省し平成7年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学するなど、世間的にはエリートコースに乗っていた人物である。ただ、その育ちに似合わず過激な発言が多かった事でも知られており、平成12年11月20日には、壇上で演説中の松浪健四郎議員に対し、下劣な野次を飛ばしたことが原因で水を浴びせかけられている。他にも色々と国会に物議を醸すような発言や行動があった人物なのである。

そこで、僕にはこのような人物が、偽メール問題程度のことで自殺を図るものなのかという考えがふとよぎってしまうのである。永田元議員の過去の言行を見ていると、それよりもっと危ないものが多々あるのだ。そう考えると、一連のライブドア事件には表面には現れない闇の部分があるのではないか。どう考えても、しっくりといかない部分が多すぎるのである。

ライブドアと言えば、僕の記憶の中に、平成18年1月18日に起きた、沖縄県那覇市のホテルでの野口英昭エイチ・エス証券副社長(当時38)自殺事件が未だに鮮明に残っている。あの当時の沖縄県警那覇署の捜査には、誰しも疑念を抱いたはずだ。裏稼業の存在が取り沙汰されたのもむべなるかなである。今回の事件にも同種のきな臭さを感じるのは僕だけであろうか。

だが、自分の発言に責任を持たなくてはならないのは、何も国会議員だけではあるまい。我々一般人でも他人の名誉を傷付ける発言をすれば、名誉毀損で訴えられる事もあれば、それにより仕事に支障をきたしたとなれば、偽計業務妨害や損害賠償請求にも繋がりかねないのが、今の世の中の怖いところなのである。口は災いの元となってしまい、あげく命まで失ってしまった今回の事件から何を学ぶのか。永田元議員からの問題提起であるまいか。

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挑戦しない者は成功も掴めない

「卵を割らなければ、オムレツは作れない。 You can't make omelet without breaking eggs.」ロバート・ロッセン『オール・ザ・キングスメン』より

ロバート・ロッセン(1908年3月16日 - 1966年2月18日)は、アメリカ・ニューヨーク出身の映画監督・製作者・脚本家。

2008年12月17日、吉本興業株式会社所属のお笑いタレント、間寛平さん(59)が2年半をかけて太平洋、アメリカ大陸、大西洋、ユーラシア大陸を回るマラソン2万キロ、ヨット1万6000キロの世界一周にチャレンジする「間寛平アースマラソン」が、大阪市中央区のなんばグランド花月(NGK)からスタートした。

出発式前の会見で間さんは「どんなことがあっても何年かかっても、帰ってこようという気持ちです。笑いながら走ります」と力強く抱負を語っていた。そして元日、ついに千葉県鴨川市の漁港から「必ず生きて帰ってくるよ。あ~めま~」という鉄板ネタを最後に笑顔で旅立った。

間寛平さんと言えば、幼い頃学校から帰って必ず見ていた「よしもと新喜劇(当時は吉本コメディー)」において、コメディ№1の坂田利夫と共に“アホの2大巨頭”であった。もちろん二人とも本物の阿呆ではないのだが、子供心に強烈な印象を残していることは確かである。

お世辞にも賢いとは思えないようなギャグの数々で、私達を爆笑の渦に巻き込んできた間寛平さんであるが、今度はなんともとてつもない事を考えたものだ。しかも、高齢の母親を日本に残してである。もしかしたら、死に目にも立ち会えないかも知れないのに、よく決断したと思う。旅立つ側も、それを送り出す側も相当の不安や葛藤があったであろう事は想像に難くない。

その決断を後押ししたのは、一体何だったのであろうか?もちろん家族や友人の言葉であった事も否定はできないが、僕が想像するに恐らく、“今しかない!”という気持ちだったのではないかと思う。この機会を逃せば、もう一生チャレンジできなくなってしまう。そんな、切迫した気持ちに最後は後押しされたのではないかと思う。

人間は、無限の可能性を秘めている。無理だ不可能だというのは恐らく自分にとって体の良い言い訳で、実際にやってやれない事などないと思う。もちろん、数値的な評価を下してしまうと、自ずと限界というものは存在するのだが、人間は自ら不可能だと思った時点で、本当に実現することが不可能になってしまう。

ただ、人間である以上は寿命や体力的な衰えがある事も厳然たる事実であり、そこから逆算した時、間寛平さんは“今しかない!”という結論に達したのだと思います。間寛平さんの成功とご無事をお祈りします。

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良い睡眠が夢や希望を育む

「あなたが現状を変えられる唯一の人間だ。You're the only one who can make the difference.
あなたの夢が何であれ、それを追いなさい。Whatever your dream is, go for it.」アーヴィン・ジョンソン

アーヴィン・“マジック”・ジョンソン(1959年8月14日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州ランシング出身のプロバスケットボール選手で、実業家。選手時代にはプロバスケットボールリーグNBAでプレイし、1980年代にロサンゼルス・レイカーズを5度のタイトル(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)に導いた。華やかなプレースタイルを持ち、NBA人気の上昇に貢献した。しばしば歴代最高のポイントガードに挙げられる。

今日は、初夢の話。初夢というと一般的には、元日から2日にかけて見る夢をそう呼ぶ事が多い。では、縁起の良い初夢というとみなさんはどんな夢を思い浮かべるでしょうか?恐らく「七福神の乗った宝船」か「一富士、二鷹、三茄子」でしょう。これには、「四扇、五煙草、六座頭」という続きもあります。

昔から、馴染みの深いこれらの初夢ですが、これにもそれぞれ意味があるようで、もちろん諸説あるのですが、富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は事を「成す」という掛け言葉だというのが有力です。また、扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、煙草の煙は上昇するので運気上昇を、座頭は毛がないので「怪我ない」と洒落て家内安全を願うという日本独特のユーモアが感じられます。

自分の見たい夢を見るためには、枕の下に写真や絵、あるいは文章を敷くと良いといいますが、七福神の乗った宝船の絵に「ながきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな(長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな)」という回文の歌を書いたものを枕の下に敷くと最高に縁起の良い夢が見られるといいます。僕もやった事はありませんが、いつか試してみたいと思います。

良い夢を見るためには、まず良い睡眠を摂ることが必要だと思います。良い睡眠を摂るためにも幾つかコツがあるようで、睡眠前に入浴をする。布団をを暖かくしておくなど、体をある程度温める事。昼間にに2500ルクス以上の光を浴びる必要があるようです。これにはメラトニン(脳の松果腺から分泌されるホルモン。アミノ酸のトリプトファンからセロトニンを経て合成されるインドールアミン誘導体。)が関わっており、そのメラトニンを脳にある松果体で生成するには、ある一定以上の光源がキーポイントとなるようです。

睡眠は、人間が継続的に頑張り続ける為に必要不可欠な休養です。常にピンと張り詰めた状態では、いざという時伸びきった弦の如く、力を発揮する事ができません。日本人の心の中には、労働は善、休息は悪、という感覚を持っている方もまだまだいるのではないでしょうか?これを期により良い睡眠を心掛けて、良い夢を見て、希望を持って生きていきたいと思います。

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それでも地球は動いている

「それでも地球は動いている。」ガリレオ

ガリレオ・ガリレイ(1564年2月15日 - 1642年1月8日)はイタリアの物理学者、天文学者、哲学者。

パドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称され、フランシス・ベーコンと共に科学的手法の開拓者としても知られる。

明けましておめでとうございます。また、新たな一年が始まりました。昨年中は2008年の一文字「変」にも表されているとおり、世界的にも激動の一年だったように思います。

というわけで、今日は少し趣向を変えて、僕自身が心に残った出来事を月別に振り返ってみようと思います。

1月 「中国製ギョーザ食中毒問題」JTの子会社「ジェイティフーズ」が中国河北省の「天洋食品」から輸入・販売した中国製冷凍ギョーザを食べた千葉県市川市の家族5人が食中毒を起こし入院。そのギョーザのパックから農薬「メタミドホス」が検出される。

2月 ロサンゼルス市警が「ロス銃撃事件」の三浦和義氏元被告をサイパン島で逮捕。1981年、三浦被告の妻がロサンゼルス市内で何者かに銃撃され、意識不明の重体となり意識が戻らぬまま1年後に死亡、7年後の1988年、三浦被告が実行犯と共謀し、実行犯に妻を銃撃させたとして殺人容疑で逮捕された事件。その後、三浦被告が留置所で自殺した為、事件は未解決のまま終焉した。

3月 中国チベット自治区ラサで大規模暴動が発生。中国政府の武装警察部隊などの暴動鎮圧によってデモ参加者ら19人が死亡したと中国国営の新華社通信が報じるが、死者80人以上という目撃者の証言もあり詳細不明。

4月 イギリス・ロンドンで行われた北京オリンピック聖火リレーで、チベットでの人権弾圧に抗議し、リレーを妨害しようとした者計37人を逮捕。翌日、フランス・パリで行われた際は、3度にわたり火が消され、妨害行為により28人が拘束される。

5月 中華人民共和国四川省でこの日午後、マグニチュード8.0の地震が発生。新華社通信は、四川省、甘粛省、重慶市、雲南省等で約40000人が死亡したと報じた。

6月 サッカー欧州選手権2008 スイスとオーストリアによる共同開催。スペインが44年ぶりに優勝。

7月 世界的な原油の商品先物取引価格の高騰が進み、ニューヨークでは一時1バレル=147.27ドルの史上最高値をつけた。このピークを境に、景況の悪化もあり原油価格は下落局面に入る。

8月 北京オリンピック開催。日本は女子ソフトボールチームや水泳の北島康介選手、フェンシングの太田雄貴選手など、数々のヒーローを輩出した。

9月 アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻。これをきっかけに金融危機が世界的に拡大。

10月 ニューヨーク証券取引所のダウ平均株価が前日比936ドル42セント、11.08%上昇し、史上最大の上げ幅を記録。

11月 アメリカ合衆国大統領選挙が施行され、バラック・オバマ(民主党)候補がジョン・マケイン(共和党)候補に圧勝し、第44代アメリカ合衆国大統領に当選した。

12月 リーマンショックの波及を受け、日本でも派遣切り、内定取消し問題等の雇用問題が本格化。2007年9月7日厚労省の調査ではネットカフェ難民は5400人と言われていたが、現時点で測定不可能。

こうやって見てみると、北京オリンピック以外にあまり良い出来事がなかった、というのが素直な実感ですね。僕自身も個人的に色々と激動の一年でありました。2009年は皆様にとって良い一年でありますように、心からお祈り申し上げます。

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人類にとって最も愚かな行為

「将来の戦いを避ける方法は唯一つ。即ち政府が戦おうとしても、人民が戦わぬから仕方がないと言う様にすることである。」二葉亭四迷

二葉亭 四迷(元治元年2月28日(1864年4月4日) - 明治42年(1909年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。

12月27日から始まったイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ空爆が全く収拾する気配を見せない。30日現在での死者は少なくとも363人、負傷者は1720人に増えた。

中東諸国というのは、我々日本人にとって最も危険な匂いのする地域ではなかろうか。いわゆるパレスチナ問題というのは、第一次世界大戦まで遡る。当時ユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマントルコ帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」は戦勝国であるイギリスの委任統治領となった。

その後、1947年11月29日の国連総会において、残ったパレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が可決された。それにより旧パレスチナから、イスラエルが独立する訳であるが、この時イスラエルの独立に反対したアラブ諸国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)が隣国新パレスチナに侵攻した(第一次中東戦争)事が今に繋がるそもそものきっかけとなる。

中東問題は、民族問題、宗教及びその聖地の問題が、あたかもモザイクのように複雑に絡み合っており、隣国と国境を接していない島国である日本人の感覚ではなかなか理解することは困難である。だが、僕がこのような問題に接して何よりも悲しく感じるのは、イエス・キリストもアラーもマホメットも釈迦も恐らく他者と考え方や価値観、肌の色、言語、土地などの問題で、お互いが合い争う事を決して望んではいないはずだと思うからである。

みんな平和を望んでいるはずである。そうであるのに、自国民の平和を護る為に戦争をし、自国民にも被害者が出るというのでは、まったくの主客転倒である。お互いがエゴを押し付け合ったのでは問題も解決するはずがない。とくに当事者同士が話し合ったのでは、絶対に公正な判断はできない。国際社会の介入を認め、遺恨を残さないような解決を目指さなければならない。これからの時代は、国や地域というような小さな枠組みで物事を考える時代ではなくなってきているのである。

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想像力を超える出来事に出会った時に

「想像力は、知識よりも大切だ。知識には限界がある。想像力は、世界を包み込む。」アルバート・アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ出身の理論物理学者。

昨日、また悲しい事件が起こってしまった。

12月28日午後5時20分頃、千葉市緑区の公立高2年の少年(17)が自宅の風呂場で母親の顔や頭を素手で殴り怪我をさせるという事件が起きた。少年は両親と祖父母、妹の6人家族。どういういきさつでこんな事になってしまったのか気になったのだが、この少年の母親は精神科への通院歴があり、少年らが日常生活の世話をしていたという。

調べに対し、少年は「母親を風呂に入れようとしたが言うことを聞かず、殴ってしまった」と供述しているというが、毎日の介護で心身ともに磨り減ってしまった少年が、自分の置かれた境遇に耐え切れなくなり、ついに暴発してしまったのだろう。確かに母親を殴ってしまった事は、良い事だとは言わない。

しかし、少年を責める気になれないのは何故だろう。僕自身にも経験があるが、精神疾患を持つ人との生活は、一言で言い表せないほど看病をする人間の神経を磨り減らすものだ。それをやった事のない人間にはおよそ想像もつかない生活だと思う。また、自分が人様から介護される立場になった時の事を考えると、なるべくなら介護してくれる方の負担になりたくはないと思うが、こればかりはその立場になってみないと分からない事だ。

こう考えると世の中には自分の想像力の及ばない出来事が多い。例えば日本にずっと住んでいると、世界の中に毎日の食事にも事欠く人々がいるという事を、知識として知っていても、本当の意味でそのひもじさが分かるのかというと自信がない。あるいは、言論の自由が護られていない国では、政権の批判をしようものなら、命の保障すらされない。日本でも戦時中は憲兵がおり、言論統制をしていたが、今の時代に生きている者には感覚的にピンと来ないのではないだろうか。

だが、それでも他者を理解する努力を放棄してはならない。その為には、想像力や感性を磨く事である。その方法は人それぞれであろうが、自分で経験できる事は限られている。人と会話をすること、読書をすること、映画をみることなど、なるべく直接的ではなく、その話なり文字情報なりを想像力で穴埋めする余地が残されているものの方が良いと思う。そうすることで、人は徐々に他者の経験した事を自分の事に置き換えて、物事を考えられるようになる。

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夢は叶うのではなく、叶えるものである。

「どんな偉大な事業も、はじめは、すべて『夢』にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到の道をひとり征くには、勇気が必要なのです。真に新しいものは、何ごとであれ、人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです。」ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー

ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(1923年5月27日 - )は、アメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障担当大統領補佐官、国務長官。国際政治学者。

今日、北浜にある好日庵という古い長屋を改造した小料理屋で、気の合う仲間達と忘年会を催した。土壁塗りのその店の中には囲炉裏が2基あり、その内1基を8人で囲んで他愛もない話をして、旨い料理屋や酒に舌鼓を打つ。そんなささやかなひと時が、今の自分にとってすごく贅沢な時間に思えて、本当に楽しい時間を過ごした。

今、行動を共にしている仲間は、ある大きなミッションを実現する為に、色んな志を持って集まった、言わば同志とも言える人達である。みんな溢れんばかりのエナジーの発散場所を求めて集まった人間ばかりなので、実に前向きなエナジーを持っている人間である。しかも、他人を否定するという事がない人間ばかりなので、一緒に居てすごく居心地がいいのである。

だが、そこに集まったメンバーは決して、順風満帆な人生を歩んできた者ばかりではない。それぞれに起伏に富んだ経験や、人に言えないような過去も持った連中である。だが、それ故に皆人の痛みが分かる人間ばかりなのである。だからこそ、皆悩んでいる人や、立ち止まったまま動けなくなっている人達のために、自分達のできる事は何かを一生懸命考えている。

今はそれ程大きな事はできないかも知れない。でも、一人一人のその想いが連鎖を生み、それが長い鎖となった時、世の中を少しづつ変えていくひとつのきっかけになる筈である。その先にいる自分が救いたいと思っている対象は、もしかしたら各人微妙に違っているのかも知れない。だが、その純粋な気持ちの結集したものが、いつか今より心豊かな社会を創造する事を願って、今自分たちができる事を地道に一つづつ実行していこうと思う。そして、大事な同志達との出会いに感謝。

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出会いには必ず意味がある

「人生とは出会いであり、 その招待は二度と繰り返されることはない。」ハンス・カロッサ

ハンス・カロッサ(1878-1956)ドイツの詩人・作家

今日、岡山の知り合いから柿の贈り物が届いた。柿が一つづつ個包装されていて、1個当たり2~300円もする高級品だそうだ。柿は昔から「柿が赤くなると、医者が青くなる」という諺があるくらい栄養価が高い。ビタミンCやAを豊富に含み、特に肝臓に良いとされている。

この柿を下さった方とは、7年ほど前に仕事上の繋がりから付き合いが始まった。僕自身も当時は仕事でたまに岡山に行くことがあったので、その方のお宅にも度々訪問する機会もあったのだが、最近は岡山での仕事が無くなった為、その方と直接顔を合わせる事はなくなった。

だが年に何度か、電話や手紙などのやり取りで、付き合いが続いている。その方とは歳は親子程も離れているし、そんなに昔からの知り合いという訳でもないのに、何故かいつも懐かしい感じがする。僕自身がどういう訳だか岡山には浅からぬ縁があるようで、もしかしたら、「袖振り合うも多生の縁」の諺にもある通り、その昔何かしらの縁で繋がっていた人かも知れない。

「人生意気に感ず」という言葉がありますが、その方とは仕事上で助けたり、助けられたり、お互い相手の気持ちを大事にして、人間同士の付き合いを大事にしてきたからこそ、何かしらトラブルが起こったときにも、対立せずに済んだし、どちらかが困ったときには、何とかしてあげたいという気持ちになれるのだと思います。

人間が一生に知り合いになる人数には限りがあります。その出会いの一つ一つを何となくスルーするのか、大事に育てていくのか、どちらが良いのかは言うまでもありません。また、それぞれの出会いには必ず意味があります。助け合いの関係、切磋琢磨する関係、反面教師の関係、傷の舐め合いの関係、自分を引き立ててくれる関係、相手を育てる関係など、様々ですがどれ一つ取っても無駄はありません。

大事なのは、その人との関係が自分にとって、どんな学びがであるのか?その事にアンテナを張って、仔細漏らさず吸収することです。後で振り返ったときに、「あの時のあの人との出会いは、こういう意味だったのか」と合点がいく瞬間が必ずあります。それに早く気付いた方がきっとより多くのことを学べます。

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緊張感と上手に付き合う

「緊張がありすぎては自分を出せず、だめだ。リラックスがありすぎてはだらけてしまう。いかに緊張とリラックスの間の精神を作るか。これが重要になってくる。」イチロー

イチロー(1973年10月22日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手。日本プロ野球とメジャーリーグのシーズン最多安打記録を保持しており、驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称される。

平成20年12月26日、代表選考会を兼ねたフィギュアスケートの全日本選手権ショートプログラム(SP)が、長野ビッグハットで行われた。女子は中野友加里(プリンスホテル)が67.26点で首位に立った。3連覇を狙う浅田真央(愛知・中京大中京高)が65.30点で1位、前回2位の安藤美姫(トヨタ自動車)が65.02点で3位に入った。

その放送を生で見ていたのだが、上位3選手とも息を飲むほど美しかった。安藤選手、浅田選手とも多少のミスはあったものの、魅せるという部分では完璧の演技だったと思う。その中でも中野選手の演技は、見ているものを惹きつけて離さない。堂々として、それでいてなんとも楽しげに滑る姿が見る者に感動を与える。

中野選手は、バレエの動きをフィギュアスケートにも取り入れているそうだ。バレエもフィギュアスケートも魅せるという点や、その実かなりの体力を要する点では共通している。僕は素人なので、演技の細かい部分の配点などは分からないが、昨日の演技は素人目にも完璧なものだったと思う。

だが、唯でさえ緊張する大舞台。人は緊張すると手足がガクガクするものだが、選手たちはそれでも片足でバランスを取って、ジャンプをする訳であるから恐れ入る。僕は自分が緊張して、心臓がバクバクしたり、手足が震えてしまうときには、必ずあるおまじないをする。

それは、思いっきり大声を出す事である。周りに人が居て大声が出せない状況の時には、声をだ出さずにシャウトするのである。文章にすると少々分かりにくいが、つまり思いっきり頭に血を昇らせるのである。そして、血の気が引きクールダウンすると共に、緊張も収まるという原理である。これは結構効き目があるのでお勧めの方法です。

そして、その緊張が収まった後には、心地いい程度の落ち着きがやってくる。そんな状態の時は、いつもより集中力が発揮される。最近は人間が図太くなってきたのか、滅多な事では緊張しなくなりましたが、昔はこの方法でよく窮地を乗り切ったものです。

今夜は、フリースタイル(FS)の演技があります。上位3選手はどの選手が勝っても、おかしくない程点差が拮抗していて、今からワクワクしますね。でも、本当はその後のエキシビジョンの方が、選手たちが一番輝いていて、また楽しそうで好きなんですけど。

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他人をもっと理解する

「人々は彼らが理解しがたいことを潮笑する。」ドイル「四つの罪」より

アーサー・コナン・ドイル(1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズの著者。

12月24日、入院中の1歳10カ月の五女の点滴に汚れた水を入れ、殺害しようとしたとして、殺人未遂の疑いで、京都府警は母親の岐阜県関市の無職女(35)を逮捕した。母親は「子どもが病気になれば看病できるからやった」と供述していた。

また、この母親は、細菌が繁殖しやすくするため、「水道水にスポーツドリンクを入れ、室内より温度の高い状態になるこたつの中で1週間から10日ほど放置して点滴に入れた」と供述しているという。

僕は、この事件を聞いた当初、母親の供述の論理が破綻している為、理解することが難しかった。そもそも、殺意もなければ、万一死ぬかも知れない、とすら思っていない訳であるから、未必の故意にも該当しないのではないか。となると、重過失もしくは認識ある過失か。どちらにしても殺人未遂は成立しないのではないか。

それにしても、世の中にはかくも痛ましい事件が起こってしまうものなのか。と思って調べてみると、件のような症例はままあるそうで、「代理ミュンヒハウンゼン症候群」というそうだ。辞書には、「ミュンヒハウゼン症候群は自分に周囲の関心を引き寄せるために虚偽の話をしたり、自らの体を傷付けたり、病気を装ったりする症例の事。

ビュルガーの著作から「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族・ミュンヒハウゼン男爵の名前から付けられている。1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され命名された。自分以外を傷つけ、周囲の関心を引き寄せるのは代理ミュンヒハウゼン症候群。」と解説されている。

つまり、自傷行為や仮病などで、周囲の哀れみを誘う人を「ミュンヒハウゼン症候群」と言う。芸能人で言うと岸部 四郎みたいな人か。ただ、自分以外を傷付けて周囲の関心を引き寄せるなどというのは、今まで聞いたことがなかった。はっきり言って邪道である。もちろん周囲を見渡してもちょっと見当たらない。

この母親の義父によると、利発でよく子供を可愛がる母親だったようで、周囲の人間ですら、その行動の意味が理解できないでいるようである。かように世の中には自分の常識を遥かに超える出来事が起こるもので、そんな時ニュースキャスターなどは、決まって「理解できませんね」などとコメントする事がある。

だが、僕はそうは思わない。理解できないと断定した時点で、永遠に理解できないのだ。大事なのは相手の心境に自分をシンクロさせて、想像力を働かせてみること。そうすれば、分からないと思っていたものが、少し分かりかけてくる。

外国人など、他の文化を理解することも同じ原理である。自分の枠の中で物事を判断しようとするから、常識や過去の経験則に囚われてしまう。心の中の垣根を取っ払って、自由に思考を巡らせる事だ。そうすれば、見えなかったものもおぼろげに見えてくる。

お互いがその気持ちを持てば、みんなもっと平和に暮らせると思うのだが・・・。でも、この母親のように自分を分かって欲しいと、ただ求めるだけでは駄目ですよね。自分から働きかける事が何よりも大事だと思います。

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法曹界の倫理観はどこへ

「四つが裁判官に必要なり。親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判することなり。」ソクラテス

ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者。

最近、職業倫理が欠落しているとしか思えない事件が相次いでいる。

埼玉県警が京都家裁書記官の男(36)を、振り込め詐欺に使われ凍結された口座から約400万円を送金させたとして、偽造有印私文書行使の被疑事実により逮捕した事件があった。12月24日までの県警の調べで、同被疑者が今度は、認知症のため成年後見制度を申請した資産家の遺産を差し押さえるよう求める文書を偽造し、4000万円前後を詐取した疑いのある事が分かった。

裁判所の書記官というのは、裁判所において、裁判の記録や調書などの書類の作成・保管を行い、その他裁判の進行に必要な調査を補助する公務員のことである。法廷内において、裁判官の前に座って、その補助的な役割を担っている人と言えばお分かりだろうか。

今回逮捕された、家庭裁判所の書記官であるが、被害男性の成年後見制度(判断能力(事理弁識能力)の不十分な成年者を保護するため、一定の場合に本人の行為能力を制限すると共に、本人のために法律行為をおこない、または本人による法律行為を助ける者を選任する制度である)の申請手続きを担当した書記官であり、被害男性の資産内容等を把握できる立場を利用して犯行が行われており、悪質なこと極まりない。

同じ日、部下の女性にしつこくメールを送ったストーカー規制法違反事件で逮捕された、宇都宮地裁の下山芳晴判事(55)に対する弾劾裁判が、国会の裁判官弾劾裁判所で開かれ、下山判事の罷免判決が下された。

去る12月10日には、大阪市北区の商業ビル転売に絡む脱税事件で、元大阪府議の小川真澄弁護士(64)が所得税法違反と国税徴収法違反(滞納処分免脱)の被疑事実で逮捕された。

平成21年5月21から裁判員制度が始まろうとするこの時期に、法曹界の倫理観の乱れは見るに耐えないものがある。人が人を裁くということ自体、ただでさえ齟齬を生じやすいものであるのに、この様な体たらくでは、自分が裁判当事者となった場合に、正しい裁判が行われるのかどうか不安になる。

もちろん、倫理観が欠如している人間はごく一部であろうとは思う。だが、公の代表として高い志と倫理観を持っていて然るべき立場である事を忘れないで頂きたいものである。もちろん、裁判員として選任された私たち一般市民も同じ責務が課せられる事も忘れてはならない。

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ハッピークリスマス!!

「And so this is Christmas そうさ、これこそがクリスマス
For weak and for strong 弱きものにも強きものにも
For rich and the poor ones 富めるものにも貧しいものにも
The world is so wrong 世界は今とても間違っている
And so happy Christmas だから、幸せなクリスマスを
For black and for white 黒人にも白人にも
For yellow and red ones 黄色や赤色の人たちにも
Let's stop all the fight 全ての争いを終わらせよう」

Yoko Ono & John Lennon  ビートルズ”Happy Christmas !”より

今日の夜は、クリスマス・イヴです。というわけで、クリスマスについて、改めて調べなおすことにしました。私たちは昔から、12月25日はイエス・キリストの誕生日だと教わってきました。ですが、実はそうではないらしいのです。

実は新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないそうで、1993年9月15日に、イギリスの天文学者D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を発表。

また、新約聖書の記述中には、羊飼いが誕生を祝ったあと夜中の見張りに戻ったとあるが、羊を野放しにするのは4月から9月の間で、冬の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、イエス・キリストの誕生日はこの4月から9月の間ではないか、という説がある。

では、いつの間に12月25日が誕生日とされたのか、気になるところではあるが、これには諸説あり判然としない。現在分かっていることは、345年頃に西方教会(古代のローマ総司教区とほぼ同義語。現在はローマ・カトリックを指して用いられる場合と、プロテスタントと聖公会とカトリックを総称して用いられる場合とがある。)で始まったということ。

これはミトラ教(インド・イランの古代よりの神話に共通する、太陽神ミトラ(ミスラ)を主神とする宗教である。ヘレニズムの文化交流を通じて、地中海世界に入り、主に、ローマ帝国治下で、紀元前1世紀より5世紀にかけ、大きな勢力を持つ宗教となったが、実体については、不明な部分が多い。)の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。

というように実にその発祥が怪しいクリスマスではあるのだが、日本においてクリスマスを祝う習慣ができたのはいつ頃であろうか。これが意外に古く、日本で初めてのクリスマスは、1552年(天文21年)に現在の山口県周防において宣教師たちが日本人信徒を招いてのミサであった。

しかし、江戸幕府がキリスト教を弾圧したため、根付くことはなかった。それから250年の時が流れ、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、クリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。

現在では、日本人にとって正月よりも心躍るイベントになった感があるクリスマスであるが、平成18年の調査によると、66%の人が「家族とのんびりと過ごす」と答えているのが少し意外だった。なぜ意外だったかというと、クリスマスは恋人と過ごすという答えが一番多いと思っていたからである。

今日のニュースで、プレゼント額ついてのアンケートがあった。その結果、女性が男性に期待するプレゼント額は平均約6万円。女性が男性にあげるプレゼント額は平均約2.9万円だそうだ。昨年と比べて男性→女性は増え、女性→男性は減っているそうであるが、クリスマスプレゼントはどうも不況の影響を受けていないらしい。

世の男性の財布は確実に軽くなっているのにも関わらず、要求されるプレゼントの額は増えているというのは、男性にはなんとも厳しい話ではあるが、男たるものここはひとつ、気風のいいところを見せて、世の女性に夢を与えようではありませんか。女性が笑顔でいられる世界は必ず平和であるはずです。僕はそう信じます。

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年賀状は、贈り物だと思う

「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、 しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。

今日年賀状を書いた(印刷した?)。毎年この時期になると、どんな文章にするのか?絵柄はどんなものがいいか?など頭を悩ませる事となる。正直言って億劫な作業なのである。だが、今年は少し違う気持ちで年賀状を書いた。

それは、日本郵政株式会社のCMの影響かも知れない。嵐の櫻井翔さんと女優の谷村美月さんが出演している「年賀状は、贈り物だと思う」というあのCMである。

僕はこれまで、お中元やお歳暮、暑中見舞いや年賀状はどこか儀礼的で形式主義的な気がして、ある意味否定的な気持ちを持っていた。そこに本当に気持ちがこもっていればいいのだが、もしそうでないなら止めてしまえばいいのに、とさえ思っていた。

人間関係には、賞味期限がある。心理学用語に「単純接触の原理」という言葉がある。生理的に嫌いな人間でない限り、会う頻度が多くなればなるほど、相手への好意は増すという心理法則の事である。

これは逆もまた真なりで、疎遠になると、人間関係も希薄になっていく。それまでは、会えば自然に話が弾んだ同級生が、何年か振りに会うと、昔話にはある一定の盛り上がりを見せるが、それがひとしきり終わると、少し居心地の悪い空気が流れた、という経験はないだろうか。

その人間関係の繋がりを末永く大事にしていく為に、年に一度ないし二度、皆が共通のイベントを通して、お互いが元気であること、相手のことを忘れずに気に掛けていること等を確かめ合う。

古来から行われている儀式や習慣には、突き詰めていくとその意味が必ず見つかる。常識と言われることについてもそうである。だが、そこに含まれる本当の意味についてもこの機会に再考してみてはいかがでしょうか?もしかしたら、面白い発見があるかも知れませんよ。

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笑いが世界を変える

「冗談による笑いは、世界を開き、これまでと異なる見方を一瞬に導入するような効果をもつことがある。八方ふさがりと思えるとき、笑いが思いがけぬ方向に突破口を開いてくれる。」河合隼雄

河合 隼雄(1928年6月23日 - 2007年7月19日)は、日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。

12月21日(日)、結成10年以内の漫才コンビの日本一を決める第8回「M-1グランプリ」が開催された。今年の優勝者は、「Non Style」という関西出身のコンビだった。

僕が子供の頃、“お笑い”というと勉強もスポーツもできない子が、唯一輝ける場所だった。学校の担任の先生でさえ、「お前は勉強もスポーツもできないから、吉本へでも行け」と言ったものだった。だが、今はお笑いの世界も高学歴化してきて、大卒などさほど珍しくなくなった。

M-1グランプリの本番の前に、決勝戦に出場するコンビの裏側を密着取材する、ドキュメンタリーが放送されていたのだが、これが実に面白い。それぞれに背負ったドラマが存在するのである。芸人はその舞台裏を決して明かさないのが美徳とされた時代もあった。真面目な部分を見せるのは、邪道とされていたからである。

だが僕は芸人も、その他の職業と同じように、その裏側をどんどん見せて良いと思う。関西での名声を捨てて、ゼロから再出発を図る者、昔ながらの師弟制度を大事にする者、緊張の余り舞台袖で嘔吐しそうになる者、ナーバスになって仲間割れをする者。

どのコンビも掛け値なしに真剣で、お笑いに対して真摯に向き合っている。その姿が、本番でネタを披露している最中にも思い出されて、ネタにより一層の味わいを加える。

人を怒らせたり、悲しませたりする事は至って簡単である。だが人を笑わせる事はすごく難しい。その場の空気や、タイミング、テンポ、言葉のチョイスなど、それらがピタリとはまった時に初めて笑いは生まれる。それは、究極の人間観察からくる最高のおもてなしかも知れない。

しかも、相手はお金を払って「さぁ、笑わせてくれ」と言って来ている人達ばかりなのだ。期待する分ハードルは上がり、簡単には満足しない。何を隠そう僕が一番苦手としているのが、笑いの分野である。

この不景気な世の中、放っておけば笑える事なんて殆どない。だが、職業としてそんな人達ですら笑顔に変えてしまうお笑い芸人の方々には心から敬服する。笑っていれば、その瞬間みんな幸せで、仲良くいられる。もしかしたら、この世で最も高尚な芸術かも知れない。

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今年も家計は火の車!?

「借金というものは、人を束縛し、債権者に対して一種の奴隷にしてしまうものである。」ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(1706年1月6日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている。

今日、読売新聞に面白い記事が掲載された。日本の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を家計に例えるとどうなるか?という趣旨の記事で、気になるその内容はというと・・・

その記事では、2009年度予算(一般会計)の財務省原案の貨幣価値1兆円を10万円に置き換えて家計の年収に例えている。以下はその内訳。

「年収(税収)は461万円。景気後退の影響で去年と比べ、75万円もカット(税収減)された。住宅ローンの元利返済(国債費)や田舎への仕送り(地方交付税)だけで、年収の8割にあたる360万円余りが消えてしまう。しかし、医療費など(社会保障費)は昨年と比べ30万円も増え、妻におねだりされたリフォーム代(公共事業)の出費もばかにならない。

生活費(一般歳出)は過去最高の517万円に膨らんでしまった。そこで妻のヘソクリ(埋蔵金)も取り崩して90万円余りを確保したが、それでも全く足りず、結局、カードローン(新規国債発行)で333万円も借りてしまった。積もり積もったローン残高は5800万円にも膨れ上がり、完済のメドは全く立たない。 」と結んでいる。

一般的に年収460万円の人間が、住宅ローンとして負担できる限界値は、通常約2000万円強である。医療費はともかく、リフォーム代や仕送りなどは、抑制するのが家計として正しい金の使い道である。そのうえ支出を見直さないままカードローンをすれば、返済の目処が立たない為、近日中に自己破産の申立をしなければならないだろう。

国債は、償還期限や利率によって、細かく分かれており、その種類もさまざまあるが、いずれも他人から借りている金であり、いつかは返済しなければならない金である。つまり、当座の資金は確保できたとしても、返済期日に財務状況が改善されていなければ、問題をただ先送りにしただけで、根本が解決していないため、いわゆる自転車操業を繰り返さざるを得なくなるのである。

とくに2008年は、1998年に小渕恵三内閣が発行した国債40兆円の多くが償還期限を迎える年であり、それにより国債危機が発生するのではないかと言われていた(2008年問題と呼ばれる)。実際には、すでに各種の借換対策が進行しており、2008年における償還集中は回避されているが・・・。

だからと言って安心するのはまだ早い。日本国債の格付けは、2007年10月現在、米スタンダード&プアーズ (S&P) が最高位から2番目の「ダブルA」、ムーディーズが21段階中4番目の「Aa3」としているが、他の先進国と比べると依然最低水準にあり、アルゼンチンが2000年にデフォルト(債務不履行)を出したのと同じ道を辿る可能性なきにしもあらずなのである。

これからも私達国民は、もっと当事者意識を持って、自分の家計と同じように国の財政状況に目を光らせて、無駄遣いをさせないように、チェックしなければならない。そうしないと、国家財政はいずれ破綻し、家庭で言えば一家離散し地方へ出稼ぎ(外国へ出稼ぎ)に行ったり、親戚を頼ってそこに住まわせてもらったり(移民や密入国)、最悪の場合には自ら命を絶つ(合併?)しかなくなる訳である。

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語り継いでいくこと

「どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと世界は変わらない。」マイケル・ムーア

マイケル・フランシス・ムーア(Michael Francis Moore, 1954年4月23日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、 ドキュメンタリー映画 監督、 テレビプロデューサー、 テレビディレクター、政治活動家。

最近大学生の人達と話す機会が多い。その人達と話をしていて感じるのは、若いのに色んな事をちゃんとまじめに考えているんだな、という事。自分がその年代だった頃を思い出すと、もう少し稚拙、よく言えば純粋だったように思う。でも、話をしているとこちらも新鮮な驚きもあり、刺激も貰えるので、非常に有意義な時間となっている。

2001年、ハーレイ・ジョエル・オスメント主演の「ペイ・フォワード(原題 Pay it forward)」という映画があった。

主人公はラスベガスに住むアルコール依存症の母と、別居中のDV夫との間に生まれたトレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)。

あるとき、トレバー(中学1年生)の担任シモネット先生が生徒達に、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問いかける。生徒達はそれぞれ思い思いの考えを提出するが、なにぶん普通の中学生、既存の考え方の枠から抜け出せていない。

そんな中トレバーは“pay it forward”という考え方を提唱する。それは自分が受けた思いやりや善意を、その相手に返す(pay it back)のではなく、別の3人の相手に渡すというもの。トレバーは“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男。シモネット先生。いじめられている同級生。だが、なかなか結果に結び付かない。

その考え方が失敗だったと落胆するトレバーだったが、それを見ていた母親が、彼には内緒で“pay it forward”運動をはじめる。そしてトレバーの努力は日に日に報われ、遂にはテレビに取材されるなど、波紋が着実に広がっていく。という内容の物語。

僕は、この映画を見て衝撃を受けた。自分がお世話になった人に報いることは、ある意味当たり前の事として、誰の頭にも定着した考え方である。だが、それを周囲に伝言ゲームのごとく回し続ける事で、世界を少しでも良い方向に導いていくという発想が新鮮に感じられたからである。

それ以後、僕の行動は変わった。これまで自分が先輩達から教わったこと、してもらった色々な厚意を、後に続く後輩達に少しでも伝えていきたいと思ったのである。もちろん、恩に報いることと同時進行である。

だから、大学生など若い人達と交わり、僕自身も刺激などを貰いながら、自分が今まで培ってきたもの、見てきたものを、その時々僕を必要としている人に、その人に必要な言葉や、行動で伝えている。このブログもそういった行動原理に基づいて書いているものなのです。

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病気になって改めて健康の有難さを知る

「三宝とは何やるやというに、第一に健康、第二に知識、第三に富の三つのものなり」西周

西 周 (文政12年2月3日(1829年3月7日) - 1897年(明治30年)1月31日)) は江戸時代後期の幕末から明治初期の啓蒙家、教育者。江戸幕府将軍徳川慶喜の政治顧問、明治の貴族院議員。

インフルエンザが流行している。かくいう僕自身も、最近のどの調子が悪く、関節の痛みも伴っているので、もしかしたら感染したのかも知れない。

インフルエンザは高熱、頭痛、関節痛など強い全身症状を伴い、高齢者では死に至ることもある。今年は国立感染症研究所の調査開始以来、三番目に早い流行。十二月に入って患者数が急増している。

そんな中、 厚生労働省では人前での「咳エチケット」の啓発に取り組んでいる。具体的には、
①咳・くしゃみの際にティッシュなどで口と鼻を押さえ、周りの人から顔をそむけて一メートル以上離れる
②使用後のティッシュはすぐにふた付きのごみ箱に捨てる
③咳をしている人にマスクの着用を促す
の三項目。僕も数日前から外出時にはマスクを着用するようにしている。

感染してしまった後で、悔やんでも遅いのですが、最低限職場や学校の他の人にうつさないような心掛けが必要です。インフルエンザの厄介なところは、症状が治まったと思っても、完全にウイルスが死滅しているわけではないこと。

だから、自己診断で治ったと言い張る社員を出社させてしまった事により、更なる感染者を増やす結果となっては、経営者としては迂闊と言わざるを得ない。感染者には、完治したことを証明する医師の診断書を提出させるなどの、慎重さが求められる。

一次感染者として最も多いのが幼児、二次感染者として最も多いのが母親となっており、子供が感染し、その看病をしている母親が感染してしまうケースが最も多い。この感染ルートを完全に防ぎきる事はできないとは思うが、世のお母さん方が倒れると、家庭が機能しなくなりますので、どうかご注意を。

しかも、今年は新型インフルエンザの流行が懸念されており、人類のほとんどが免疫を持っていません。よって容易に人から人へ感染するものであり、世界的な大流行(パンデミック)が引き起こされる恐れがあります。これに対してのワクチンは現時点でまだ製造されていないという事なので、どれ程感染が広がるのか想像もつきません。

この不況のさなか、インフルエンザの大流行により、経済が停滞することによる二次被害にも注意せねばなりません。大企業や公的機関などは、感染した者は自宅待機するよう指示をしているという事なので、社会の機能がそれにより麻痺する可能性もあり、その経済的損失たるや計り知れないものがあります。自然の脅威の前に私たち人間は、恐れおののくばかりです。

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体罰と暴行の違いとは

「叱ることは大切な教育である。叱られることが貴重な経験となるのだ。」堤康次郎

堤 康次郎(1889年(明治22年)3月7日 - 1964年(昭和39年)4月26日)は、日本の実業家、政治家。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長。

封建的な世界では、しばしば一般常識では理解しがたい事件がおこるものである。

平成18年6月26日、大相撲・時津風部屋の序ノ口力士だった時太山こと斉藤俊さん(当時17歳)が暴行を受けて死亡する事件があった。この事件で傷害致死罪に問われた兄弟子3被告に平成20年12月18日、執行猶予付きの有罪判決が下された。

相撲界では、昔から「かわいがり」という名のしごきが日常的に行われていたそうだが、私達の感覚からすると、金属バットやビール瓶で殴ったり、タバコの火を体に押し付けたりするなどは、れっきとした暴行である。それを集団で行うのであるから、これはリンチと言ってもいいかも知れない。

事件になってはいないものの、これに近い事例は枚挙に暇がないと言う関係者もいる。思い出してみれば、僕が小学生や中学生だった頃には、まだ体罰が日常的に行われていた。教師はその手に自分なりの工夫を凝らした「ケツバン棒」をそれぞれ持っており、忘れ物をしたり、授業態度が悪い生徒がいると、それで容赦なく、尻をぶっ叩いたものだった。ある時などは、密室に呼ばれて叱られたあと、何度も往復ビンタをされたことさえあった。

クラブ活動の時間になると、次は上級生からのしごきが待っている。体育館の舞台の上で歌を歌わされるという、笑い話で済まされるようなものから、今なら人権侵害で訴えられそうなものまであったが、世の中が平和だったのか、体罰やしごきがそれ程問題視されることもなく、ある意味是認されていた。

僕達の世代は、そういう環境の中で育ってきたためか、精神的にタフな人間が多いように思う。もちろん個人差はあれども、概してストレス耐性が高いのである。最近は学校現場でも体罰に対しては、教師の側が過剰にそれを避けるようになったし、何より親世代が「体罰をしなくとも躾けられる方法を考えるのが教師の役目ではないか」、というある種責任転嫁ともとれるような発言をする人も少なくないと聞く。

だが、体罰を受けてきた立場から言わせてもらえば、僕はあの当時ケツバン棒で叩かれたり、往復ビンタをされた事はむしろ良かったと思っている。無論その時は心の中で、相手を憎む気持ちが芽生える事はあるが、愛情を持って接してくれている事が伝わってくれば、素直に受け止められたものだ。今も当時のその痛みを思い出すからこそ、自分自身を引き締める事ができる部分もある。

つまり、大事なのは体罰を与える側の動機の問題なのである。そこに相手を思い、立ち直ってくれる事を期待しての行動であれば、それは相手にも伝わるであろうし、最後には理解される。だが、その根本もなしに安易な気持ちで体罰を与えると、そこには憎しみの気持ちしか生まなくなり、“教育する”という本来の目的からはほど遠い結果となって返ってくるのである。子を持つ親や、教育現場に携わる人々にもう一度考えていただきたい問題である。

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共生以外の唯一の道は、共に破滅することである

「共生以外の唯一の道は、共に破滅することである。」ジャワハルラール・ネルー

ジャワハルラール・ネルー(1889年11月14日 - 1964年5月27日)はインドの初代首相。独立運動の指導者・社会主義者・著述家。

今年9月のリーマンショック以来、世界は未曾有の不景気に見舞われている。いま日本中がかつてない不況の波にさらされ、労働者や中小企業の経営者は毎日を薄氷を踏む思いで生きている。

そんな中、昨日放送分の日経スペシャル「ガイアの夜明け」は、この不景気をいかに生き抜くか、について一つの方向性を示したかも知れない。長距離移動に掛かる交通費を節約する為、ライドシェア(相乗り)を仲介するサイト。ブランド物のバッグやアクセサリーのレンタルサービスを行なっている会社。会員間で洋服やCD、家電などをシェア(貸し借り)できるシステムを作った会社。

そして最後にカーシェアリング(車の共同所有)のシステムを考案した会社が紹介されていた。自前で営業車を所有せずにこのシステムを使うことでコストを削減したり、マンション販売会社などは、マンションの付加価値としてカーシェアリングのシステムがある事を売りにするところもあるという。

以前、年収300万円時代をどう生き抜くか?という趣旨の書籍が売れていた時代があった。今風に言うと年収200万円時代をどう生き抜くか?になろうかと思う。今日本を含む世界経済は、急速にその規模を縮小しており、その出口はまだ見えていない。

家計の視点で考えてみると、収入を増やす事が難しければ、支出の見直しをすることは自明の理であるが、必要最小限の経費、つまり固定費部分の圧縮というのは、なかなか難しいものである。

しかし、例えばカーシェアリングなどのシステムを使えば、単純に、車両購入費、税金等の付随費用、車検や修理等の維持費用、ガソリン代・オイル代等の消耗品費、駐車場代等が節約できるのである。

日常的に車での移動が主である場合にはこのシステムの恩恵に与るのは難しいが、普段あまり車に乗らない人にとっては画期的である。料金的にもレンタカーやタクシーよりも安いというから驚きだ。しかも15分単位から利用でき、予約や空き状況もネットで全て済ませることができるという。

かつての日本では、ご近所さん同士が物の貸し借りをして、足りない物を補い合って生活する事は当たり前のことでした。ですが、今は「隣は何をする人ぞ」が笑い話ではなくなっています。今を逞しく生き抜く為に、昔ながらの長屋方式が、見直されていくかも知れません。共に支えあって生きる。人間に与えられた知性はそれを可能にするはずです。

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生き急ぐ必要はない

「やたらに忙しいのはどんなものでしょう。「忙」という字は「心が亡びる」と書きます。」 高田好胤

高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。

滋賀県草津市内の料理旅館で07年11月18日夜、ある運送会社の支店長や支店の運転手の大半を含む約40人が参加して、被害者の男性が定年退職するのに伴う送別会が開かれた。

その最中、同僚たちは男性(当時60歳)を空中に投げ上げ、受け止めずに畳の床に落とした。男性は床に落下して大けがを負い、約10カ月後に敗血症で死亡したことが分かった。男性の妻(59)は、胴上げした20~40代の同僚3人を重過失致死容疑で県警草津署に告訴した。

この記事を見て、僕は呆れ果ててしまった。酒に酔っていたのかどうか分からないが、分別のある大人が悪ふざけをして、あげく人の命に関わる大怪我をさせるとは・・・

毎年成人式のシーズンになると、各地で市長の祝辞の最中に野次ったり、式の後に夜の街に繰り出して、大トラを演じたりする若者がいる。その様子をニュースで見たときのおじさん達は決まって、「これだから今の若いヤツは・・・」と苦々しい顔で言う。

毎年の恒例行事であるので、若気の至りだと、ある程度は許される土壌もあるが、今回の事件はそれとは意味合いが違う。

政府の法制審議会において、成人年齢を18歳に引き下げる論議がなされています。昨年5月に国民投票法案が成立し、「18歳以上に投票権がある」と定められていることもあって、現在に至っているわけですが、果たして成人年齢の引き下げは是か非か。

個人的な感想ですが、日本人は総じて精神的に自立していない、更に言えば幼稚な気がしてなりません。その割に、小学校の早期から子供達は塾に通い、その精神が熟さぬまま、知識だけが増え続け、あげく頭でっかちの、(関西風にいうと)こまっしゃくれた子供になっているようです。

その後も、出来るだけ偏差値の高い中学・高校・大学を目指し、その先にあるのは解雇や減給のない安定した企業等に就職することをゴールとする人生設計。なぜそれ程までに生き急ぐ必要があるのか。もっとゆっくりと自分の人生について考える余裕が与えられても良いのではないか。

18歳成人説の根幹には、子供達を少しでも早く政治や社会のシステムに取り込みたい政府や産業界の意図が感じられます。もちろん、超高齢化社会の日本において、社会保障制度を支える現役世代を増やさねばならない台所事情も理解できます。

ですが、その事と契約等の法律行為をなし得る成人とは、個別の事情として勘案すべきと考えます。大人の自覚を促すという意味において、成人年齢の引き下げは一定の効果をもたらすかも知れませんが、反面そのスピードに付いていけない不幸な若者を増やす原因にもなりかねないのです。

文明の進歩は、交通やコミュニケーション、情報などのスピードを格段に飛躍させました。ですが、それが人々に時間的余裕を与え、心にゆとりをもたらしたのかというと、答えは否です。「急いては事を仕損じる」とは、人間の成長過程においても当てはまる格言だと思います。

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運転中は性格が変わる?

「一生に一度も親切な行為をせず、人に真の喜びを与えず、人助けもしないで過ごすことは、老後の人生を美しく照らしてくれる、楽しい記憶を手に入れそこなうことである。」ジョン・ワナメーカー

ジョン・ワナメーカー(1838年 - 1922年)アメリカの百貨店経営者、デパート王と呼ばれた。

昨日のこと、某電機量販店に行くために車を運転していた。その電機量販店は、片側三車線もある国道沿いにある為、普段であれば行くのにそう時間は掛からない。だが、その日は何故か大渋滞。よくよく考えてみると、ボーナス時期なのである。

しかも、電機量販店の隣には、家具量販店もあり、そちらに入ろうとする車列も長蛇の列。加えてどういう運転をしたのか不明だが事故が発生しており、わき見渋滞も起きている。さすがにウンザリして、目的地を変更したのだが、いつも以上に周囲の車の運転が荒っぽい事に気付く。

みんなが、殺気立っていて、余裕が感じられない。車線変更しようにも、全く入れてくれないのだ。車を運転すると、人格が変わるという人がいる。だが、本当にそうだろうか?

パーソナルスペースという言葉をご存知だろうか、人がそれぞれ持っているテリトリーのようなものである。一般に男性は広く、女性は狭いと言われている。つまり自分にとっての聖域ともいうべきスペースの事であり、人はそれを侵犯されると不快感を示す。

つまり車を運転している時はそのパーソナルスペースにいる状態であり、その中での自分は守られている状態なので、より素の自分がでやすいのである。だから、決して人格が変わるわけでも何でもなく、いつもの自分に戻るだけなのである。

恋人との結婚を考えている世の女性諸氏は、彼の運転をよく観察して下さい。本当の性格が分かります。もちろん、どんな車に乗っているかによっても、大よその性格は分かりますが・・・

とにかく、車に乗っている時は、自分自身にとって修行なのだと思います。自分の前に入れてあげる。対向車に道を譲る。信号待ちの時に店などの駐車場に入る、或いは出る車の邪魔にならないように車間距離を詰める。信号待ちで、対向車や歩行者が眩しくないようにライトを消す。など気遣いをすべき場面は幾らでもあります。

誰も見ていない場所でも、人前とくに仕事場や家の近所と同じような振る舞いや気遣いができるか?自問してみる必要がありそうです。「旅の恥はかき捨て」は免罪符にはなりません。

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想像力は無限大

「考えることは己れ自身と親しむことである。」ウナムーノ 「人生の悲壮感」

ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴ(1864年9月29日-1936年12月31日)は、スペインを代表する哲学者、文学者、詩人、劇作家。

昨日の21時~関西テレビで、土曜プレミアム・完全犯罪ミステリースペシャル新証言!「三億円事件 40年目の謎を追え!」という番組が放映された。

警視庁捜査一課、斉藤勲刑事が6年間の捜査内容を詳細に書き留めた通称“斉藤ノート”を基に、昭和の名刑事、平塚八兵衛を中心に構成された、延べ17万人の捜査員達の数時間では到底語り尽くせない、当時の映像や最新のCGを駆使したドラマ仕立ての番組。

ちなみに三億円事件とは、東京都府中市で1968年12月10日に発生した、窃盗事件である。1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。昭和を代表する完全犯罪として、あまりにも有名である。三億円は今の貨幣価値に直すと、約三十億円。

僕が、とにかく感動したのが、捜査員達の犯罪捜査に掛ける執念と地道な証拠調べの積み重ね。そこに若い捜査員の功名心や、警察の管轄の問題などが複雑に絡みあい、事件をよりいっそう難しくさせる。

当初警察は、その遺留品の多さから、この事件は簡単に解決できるものと思い込んでいたそうだ。実行犯が被っていたとされる帽子を、捜査員が遊び半分にかわるがわる被ったことによって、付着物の鑑定を不可能にしてしまったというエピソードからも、当時の楽観ムードが窺える。

だが、事件はそう簡単には解決しなかった。今でも、犯人の最有力候補は、立川グループの少年だと言われている。その理由は、
①父親が白バイ隊員でそれに関する知識が豊富。
②地元出身で土地勘があり車やバイクの運転技術が巧みである。
③事件前に東芝や日立の現金輸送車を襲う話をしていた。
ことなど。事件5日後の1968年12月15日に自宅で青酸カリで自殺している。

とにかく、事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。下手なミステリー小説を読むより余程面白い。だが、事件は迷宮入りとなったが故に、画面には現れない多くの不幸な人々をも生み出す結果となってしまう。この事件以来、多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について口座振込が普及する一因となった。

今の科学なら、結果はどうだったのであろうかと思いを馳せずにはいられない。そんな想像力を刺激して止まない、昭和の大事件の話でした。

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自由を得る為には覚悟が必要である

「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を怖れる。」バーナード・ショー 「革命主義者のための格言」より

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)は、イギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者。

毎日新聞の記事によると、「日本漢字能力検定協会(京都市)は12日、世相を最も反映した今年の漢字に「変」が選ばれたと発表した。過去最多の応募11万1208通のうち「変」は6031通(5.42%)。協会はオバマ氏が当選した米大統領選や金融危機、気候異変など「変化」を象徴したとみている。2位は北京五輪などにちなんだ「金」(3211通)、3位は株価などから「落」(3158通)だった。」という。

かくいう僕の予想も実は「変」でした。オバマ大統領が、演説の際にしきりにキーワードとして使った「change」をはじめ、木村拓也主演フジTV系列春の月9ドラマも「CHANGE・チェンジ」だった。

政界では、コロコロと首相が交代し、世界経済を取り巻く環境は一変しました。雇用情勢も昨年までの、「超売り手市場」と呼ばれた時代から、「内定切り」という言葉まで生まれるほど激変しました。

原油価格も乱高下を続け、ガソリン税暫定税率問題の折には、1円でも安く買いたいドライバーが、価格があがる前にガソリンを入れようと、スタンド脇の道路に長蛇の列をなしていたことを思い出します。

食品業界では、相変わらず産地偽装や、原料偽装などが相次いで発覚し、中国産冷凍食品の農薬問題とも相まって、消費者の安全や、環境に配慮する機運が高まったことも、変化のひとつに挙げられると思います。

さて先日、ある集まりで、大学生の方々と、今の就職難や非正規雇用問題について話をする機会があったのですが、その中で今大量に職に就けない人々が増えているが、その事についてはむしろ、好機と捉えるべきではないか、という意見がありました。

というのも、社会というものが人々の集合体である以上、その中で多数派を占める人々が、社会に対して少なからず影響力を発揮する。つまり、低賃金の人々がかなりの割合を占めるようになった社会においては、その人々のライフスタイルが社会にとってメインストリームになる可能性がある。

例えば、今のような状況下では、限られた少ない収入でいかに効率よく暮らしていくか、という頭の使い方をしないと、あっという間に資金は尽きてしまうであろうし、それをカードで補おうとすれば、米国の消費者のように自己破産をするしかなくなってしまう。

考えようによっては、少ないながらも何とか暮らしていけるのであれば、自らのライフスタイルに応じた働き方を選択することが、一般的になっていく方向性もあるわけである。加えて日本は昔のように物が無い時代と違って、国民に共通の目標を設定する事が難しくなっていると言われる。

しかも、物が売れない時代ともなれば、右肩上がりの成長を続けていく事は非常に難しい状況である。であるならば、金銭的な豊かさに囚われるより、貧しくとも自分が本当にやりたい事を追求して生きる。というライフスタイルがこれからは市民権を得ていく気がしてならない。

みなさんもご存知のとおり、日本では憲法にも記載されている、教育・勤労・納税の義務があります。日本人の真面目な国民性は、それを律儀に守り、今までフリーターやニートという言葉を、ある種侮蔑的な含みを持って使ってきたように思う。

だが、他人に迷惑を掛けていないならば、儲からなくても好きな事を追求して生きていく事に、何らの後ろめたさも感じる必要はないと思います。もちろん相応の覚悟が必要であることは言うまでもありませんが・・・。みなさんはどう思われますか?

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消費税は逆進性の税金である

「権力は人を酔わせる。酒に酔ったものはいつか醒めるが、権力に酔ってしまった者は、醒めることを知らない」ジェームズ・バーンズ

ジェームズ・F・バーンズ アメリカ合衆国、トルーマン大統領政権下の国務長官。

麻生首相は12月11日、官邸に自民党の保利耕輔政調会長を呼び、社会保障費の伸びを2200億円抑制する政府方針に対し、抑制額を圧縮するための財源確保を指示した。首相はたばこ税増税で穴埋めする方針だったが、与党税制調査会が増税見送りを決めたことで新たな財源探しが必要になった。

これを受け麻生首相は官邸に与謝野馨経済財政担当相を呼び、年内にまとめる税制改正の「中期プログラム」に「3年後の消費税引き上げ」を明記するよう指示した。

つまり、今たばこ税の増税を決めると、たばこ業界の反発を招き、目先の総選挙で不利になる。その代わりに3年後に消費税を引き上げるという。いつも通りの近視眼的な考え方である。

とはいうものの、他の先進諸国、特に高福祉国家といわれる北欧の国々と比較すると、日本の消費税は依然低い水準にあることは確かではある。

だが、いわゆる嗜好品と呼ばれるたばこ税を引き上げる事に、異論を唱えるのは業界団体やヘビースモーカーくらいのものだろう。しかも、分煙が叫ばれている時代にあって、面と向かって増税に反対できるはずはないのだ。

以前、診療報酬の改定があった際、医療業界からの圧力により厚生労働省は医師による禁煙指導を治療として認め、それによって肺癌リスクを抑制し、ひいては医療費全体を抑制するという方針に転換したはずである。

たばこの小売価格が上がれば、たばこ税のみならず、消費税もその分上がるのである。しかも、喫煙者はそれを理由にたばこを止めるきっかけとする事もできるはずだ。実際に米国では次のようなデータが既に出ている。

・ニュージャージー州……2002年に80セント(96円)から2.4ドル(288円)に増税。喫煙率は35%低下。
・カリフォルニア州……1999年に87セント(104円)へ増税。喫煙率は18%低下。
・サウスカロライナ州……1977年以来7セント(8.4円)のまま。2000年以来喫煙率は5%低下。

目先の総選挙の事ばかりに捉われ、将来のビジョンを描けない今の与党に対して、国民がどう審判を下すのか、見物である。僕自身も自分の持つビジョンに照らして、冷静に判断したいと思う。

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孤独なのはあたりまえ?

「人間元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。」田山花袋

田山 花袋(1872年1月22日(明治4年12月13日)- 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。

東京都世田谷区の自宅で覚醒剤と大麻を所持したなどとして、覚せい剤取締法違反等の罪に問われた俳優、加勢大周こと川本伸博被告の初公判が12月10日、東京地裁で開かれた。加勢被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。

検察側は論告で「違法薬物の常習性や依存性が顕著だ」として懲役2年6ヶ月を求刑。即日結審した。判決は同月18日。

被告人質問で加勢被告は「こんなことで、今までやってきたことを自分の手で終わらせてしまい、とんでもないことをした」「田舎の親元に戻って一からやり直したい」と述べ、芸能界から引退する意向を示したという。

加勢被告はその昔、織田裕二や吉田栄作らと共にトレンディ御三家と言われ、一世風靡した俳優だった。事件を起こした背景には、本業で結果が出ないことや、所属事務所との芸名使用を巡ってのトラブル、離婚などがあるという。

それにしても、過去にこれほどまで薬物使用や所持によるニュースが頻繁に流される時代もなかったのではないか。もちろん当局が人員を割いていることも背景にはあるだろうが、もっと根の深い部分には現代社会が抱える病巣とも言うべき人々の心の闇がある気がしてならない。

人間関係が希薄になり、何か心配事や悩みがあっても誰にも相談できない。社会が複雑になりすぎて、相談したとしても返ってくるアドバイスが自分にしっくりこない。カウンセラーや医者もそれほど経験豊富な人物ばかりではないので、そこに答えを求めて訪れると、肩透かしをくらったような気持ちになることは確かにある。

だが、いつの時代でも心配事や悩みは、最後には自分で乗り越えなければ根本的な解決にはならない。家族であっても基本は一人一人がしっかりしていない事には、その人を救うことはできないのである。ただ、心配事や悩みが深刻な事態になる前に、他人にどんどん話すことで気持ちが楽になることは大いにある。

僕の場合もなるべく他人に聞いてもらうようにしている。吐き出せばその度に気持ちが楽になっていく実感がある。それに自分が抱えている問題が他人にとっては、それほどの事ではないんだという事も分かる。つまり自分を客観視できるのである。

どうせ、人には分かってもらえないんだという、他者に対する過度の期待はこの際捨ててしまった方がいい。そんな事は口に出して言うほどのこともない、ごく当たり前の事だからである。薬物に頼ってしまう人の根本には、その辺りの誤解があるのではないか、という印象を受けるのであるが、みなさんはどう思いますか?

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対話することの面白さ

「まったく違う知識や考えを持った人とまず対話できることこそ大事だ」盛田昭夫

盛田 昭夫(1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大とともにソニー創業者の一人。

昨日、とある集まりに参加した際になかなか面白いゲームをした。簡単に言うと、YES or NOクイズなのだが、作問者は元々意見が真っ二つに割れるようなクイズを意図的に作る。質問内容は、言葉は簡単であるがその実深く、自分の価値観や一般常識、過去の経験等に照らし合わせて、YESかNOかを選択する。

その後、なぜYESなのか、なぜNOなのかを各々が簡単に説明し、YES組とNO組に分かれて討論する。テレビ番組でもたまに見られる手法ではあるが、これがやってみると実に面白い。

元々の質問内容があまり具体的でないだけに、相手方を自分側の意見に趣旨がえさせようと、勝手に自分に有利な仮定を設定して説得したり、意地悪な質問を浴びせたり。

会場の都合もあって、途中で時間切れとなってしまい、討論後に最初に出した答えが変わったか否かまで検証できなかったのですが、ともかく討論をしている最中の頭をフル回転させている感覚が面白いのです。

人間はともすれば、自分が一番正しい、アイツの考えはおかしい、と思いがちです。ですが、色んな人と会話をすると、それが確固たるものではない事に気付かされます。

例えば靖国参拝問題、日本の立場としては現在のところ国会議員等が公式に参拝することは、中国をはじめ日本軍が侵略したとされる国々の情状に配慮して忌避されています。ですが、小泉元首相などは、終戦記念日以外の日に参拝するなどしてその矛先を微妙にかわしています。

中国やその他の国々がなぜそれほどまでに、内政干渉とも思える事柄について遺憾の意を表明するのか、靖国神社が建立された歴史的背景や、相手方の歴史教科書には掲載されない史実を知ると、その賛否は大きく揺れ動くと思います。

対話の中で、一番大事なことは相手の言い分も尊重することです。自分の意見と違うからと言って、喧嘩腰になったり、あるいは無理やり押し付けたりするのは、自分自身の内面の発展を阻害することに他なりません。

それは、生きていく上で非常に勿体無いことです。反対意見の人であっても受け容れる度量を持ちたいものです。それは、人の為ならずだと思います。

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ジャーナリズムの責任

「もし新聞がなかったら、フランス革命は起こらなかっただろう。」ユーゴー

ヴィクトール・ユーゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランスロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。

ここのところ、巷では不況続きであまり気持ちの明るくなるような話題が乏しくて心苦しいのですが、帝国データバンクが12月8日、本年1~11月の企業倒産件数(負債額1000万円以上)が1万534件になったと発表した。前年同期に比べ14.6%増であるという。

一方アメリカでは、「ロサンゼルス・タイムズ」、「シカゴ・トリビューン」などの発行元であるメディア大手のトリビューンが、早ければ今週中にもアメリカ合衆国連邦破産法第11章の適用を申請する準備をしているという。連邦破産法とは、日本でいうところの民事再生法にあたり、再建型の倒産処理手続である。

景気が悪化すると、各企業ではいわゆる3Kと呼ばれる、「交通費・交際費・広告費」が真っ先に見直される。この内の広告費を例に挙げると、私達が日頃目にする新聞や、TV、ラジオなどのメディアはその収入の殆どを、企業等からの広告収入で賄っており、これが今のように不況になると、覿面に売上げの減少となって表れてくる。

日本では今のところ、この不況で倒産した新聞社やテレビ局は、僕の知る限りないが、今のように出口の見えない状況では、スポンサーも積極的に広告料を出すという事は難しくなってくる。現にTV業界では、すぐに再放送をするし、相乗効果をあげる為にメディアミックスという手法が度々使われる。

これは、異なった媒体の短所を補い合う、あるいは長所を際立たせる事で相乗効果を期待する手法の事であるが、最近は、元々人気のある原作漫画あるいは小説があって、それをアニメ、ゲーム、音楽、テレビドラマ、映画等にする手法が一般的である。

話が逸れたが、不況になると各メディアとも今まで広告を出してくれたスポンサーの囲い込みを考える。するとどうなるか?どうしてもスポンサーに迎合した記事や番組を作らざるを得なくなる。各ニュース番組が行う、支持率世論調査もスポンサーが支持する政党や、そのテレビ局とゆかりの深い政党に対して、有利な結果を恣意的に作り上げる事だって可能なのである。

つまり、ある程度世論を誘導する事が可能だという事である。人間は自分が考える程、その情報に自信を持っていない。それだけならまだマシで、テレビや新聞記事を鵜呑みにする人も少なくない。それだけに、特に報道等のメディアに携わる者は、確固たる信念と倫理観、そして何より権力に阿らない強い心で臨んで欲しいと思います。

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国民が望む真の政治家とは

「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代のことを考える。」
ジェームス・クラーク

毎日新聞が12月6、7日に行った、電話による全国世論調査によると、麻生内閣の支持率は21%で10月の前回調査から15ポイント下落、不支持率は17 ポイント増の58%だった。「麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表のどちらが首相にふさわしいと思うか」という質問への回答は、麻生首相が21ポイント減の 19%、小沢氏が3ポイント増の21%で両者が初めて逆転したそうだ。

以前から、度重なる失言や朝令暮改とも思えるような政策決定における迷走ぶり、単純な漢字の読み間違いなど、首相としての資質に対して疑問符が出ていた麻生首相ではあったが、9月24日の就任からわずか3ヶ月足らずで、内閣の危険水域とされる支持率30%をあっさり割り込んでしまった。

自民党内での圧倒的な支持を得て、次期衆議院選挙の顔として、民主党に立ち向かえるのは麻生さんしか居ないと言われ、鳴り物入りで自民党総裁となり第92 代内閣総理大臣に就任した麻生氏ではあるが、ここにきて与党である自民党や公明党の議員からも、麻生さんでは次期衆議院選挙は戦えないとまで言われる始末。

何故、この様になってしまったのであろうか。僕は理由の一つに内向きの仕事をしている事が挙げられると思う。つまり、党内派閥の調整や、族議員に対する配慮、公明党に対する遠慮など、およそ国民を見ていないのである。選挙に勝ちたいのであれば、投票権のある国民が何を望んでいるのか、を首相としてはまず第一に考えねばならないのである。

小泉元首相が、自民党内で異端児と言われ、ある意味厄介者扱いされながらも、任期を全うできたのは、ひとえに国民を見ていた、あるいは国民の声をよく聞いていたからである。間違っても与党内の顔色を窺ったりするような仕草は見えなかった。

穿った見方をすればパフォーマンスだと言えなくもないが、少なくとも国民の目には「小泉さんは私達の事を考えてくれている」と映ったのである。小泉政権時代のいわゆる骨太の政策については、今となっては功罪はあるものの、国民に政治に対しての関心を向けさせた点においては、その功績を認められてもいいと思う。

巷では、「大連立構想」を支持する層というのも、少なからずいるみたいだが、少し前に福田元首相と民主党小沢代表が、その構想を話し合った際にこぞってバッシングしたのは一体何だったのか。もしそんな事が実現してしまうと、どんな悪法や政策でもすいすい成立してしまうような危険な状態である。もはや議会制民主主義でもなんでもない。行き着く先はファシズムの可能性だってあるのだ。

私達はそろそろ、政治家のその場凌ぎの甘言に惑わされないよう目を覚まさねばならない。自分がどんなリーダーを望むのか。間違っても、永田町や霞ヶ関の論理で物事を考える人物でない事だけははっきりしている。僕は多少時間は掛かっても、ずっと将来を見据えて国を良くして行くんだという気概の持ち主を選びたいと思う。今の日本の政治や官僚のシステムが疲弊してきている以上、一度ぶっ壊す位の人物であってもいいと思いますが皆さんはいかがでしょう?

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人の役に立つ人間になるには

「私たちは肩を寄せ合って生きています。だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。」ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日 - )は、チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者。

私たちは、家族や友人、恋人、職場の人々、様々な人達に囲まれて暮らしている。自分は誰の世話にもなっていない、と言い切る人がいるとすれば、その人はきっと余程の恩知らずに違いない。曲がりなりにも大人になるまで、生き長らえてきたのであれば、少なくとも親の世話になっているであろうし、もし仮に両親がいないとしても、その代わりの誰かが育ててくれたはずだ。

日々の生活を送る中でも、知らず知らずのうちに他人の親切を受けていることは多い。例えば、車で細い道を走っていたときに対向から別の車がやってきたとする。どうあっても擦れ違う事が困難なときに、対向車がその手前で待ってくれた。そのときに貴方はどうするだろうか?女性に多いのだが、何の礼もせずに通り過ぎていく人もいる。対向車だって急いでいたかも知れないのだ。

例えば、レストランに行ったとする。その日は冬でもひときわ寒い日。日本のレストランでは頼まなくとも水とおしぼりくらいは運ばれてくる。でも、その店員さんはこちらが頼む前に熱いお茶を運んでくれた。そのときに、お金を払っているのだから当然だと思うか、それともこちらが寒いところから来たことを気遣って、お茶を出してくれたと思って感謝できるか。

このように私たちは、日常生活を営む中で、色々な人の好意を受けて生きているのである。このことに気付くか否かは、心豊かに生きていく為に、なくてはならない大事なアンテナだと思う。それと同じくらい大事なことは、目の前にいる相手がどうすれば喜んでくれるのか、快適に過ごせるのか、常に気配りするのを忘れないことだ。

最初は、自分でも無理をしてるという思いから、多少精神的な疲れを感じるときもあると思います。だがそれも板に付いてくると、相手から返ってくる反応が楽しみになったり、単純だが“ありがとう”という言葉で素直に喜べるようになってくる。人の役に立つというのは、そんな些細なことの積み重ねではないかと思います。何も社会的に貢献することを目指さなくともいいのです。まずは目の前にいる人に感謝されることを目指しましょう。

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愛国心と国籍問題を考える

「愛国心は人類愛と同一である。私は人間であり、人間的なるがゆえに愛国者である。」ガンジー

モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディーとして知られるインド独立の父、宗教家、政治指導者。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味である。

日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた子供の国籍取得要件から、父母の婚姻を外すことを柱とする改正国籍法が、12月5日の参院本会議において、賛成多数で可決成立した。

これまでの国籍法はその要件を、出生時に父母が結婚している事としており、未婚の日本人の父親と外国人の母親との間に子供ができた場合については、出生前に父親が認知すれば日本国籍の取得を認めている。改正により父母の結婚の有無にかかわらず、父親が認知すれば日本国籍が得られることになり、出生後に父親が認知した場合でも国籍取得が認められる。

先月27日には、フィリピン国籍の中学生がオーバーステイ(不法滞在)の問題で、強制送還処分になるか否かという問題が起きた。今回のケースでは、すでに日本の中学校に通っており、国籍のあるフィリピンよりも日本に馴染みがあるため、法務大臣が在留特別許可を出すかどうかが焦点となっている。

現在の戸籍制度は、日本国が住民を把握する目的で1948年(昭和23年)に作られた。戸籍には、出生(親と生年月日)・氏名・婚姻(配偶者)・子・養子縁組・国籍の離脱等が記されている。正しく使えば非常に便利な戸籍だが、現代のようにグローバル化が進んだ社会では、それが元で不要なトラブルを生む原因となってしまう事もあるのがなんとも悲しい。

人間は、生まれ育った土地に愛着を感じるものである。人生の最後には故郷に帰ってゆっくり暮らしたいと望む人も多いという。その場所がないというのは、心を落ち着かせる、リセットできる場所を持たない事と同義のような気がする。

安倍内閣の頃、愛国心という言葉が流行ったが、これも生まれ育った土地に住む人々との交流を源泉として芽生えるものであり、家族や親戚、友人や隣人などを大事に思い、守りたいという気持ちが大きくなってくると、その先にあるものが即ち愛国心であると思うのだ。学校の授業で習ったからといって、芽生えるような類のものではあるまい。

先述の中学生のように、国籍という制度が障害となって、愛着のある国を出て行かなければならないというのであれば、せっかく芽生えた愛国心に水を差すのではないでしょうか。大事なのは制度の堅持ではなく、時代に合わせた柔軟な家族のあり方を認めることだと思いますが皆さんはどうですか?

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たばこ税をあげると・・・

「人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。」武者小路実篤 「人生論」より

武者小路 実篤(1885年5月12日 - 1976年4月9日)は、日本の小説家。

中川昭一財務相と舛添要一厚生労働相は12月4日、来年度予算編成をめぐり閣僚折衝し、医療や介護などの社会保障費について抑制額を圧縮する原資として、たばこ税引き上げを検討した。

たばこ税増税論議はかなり以前からあった。日本で販売されているたばこの標準的な価格は300円、ドイツやフランスが600円程度、イギリスでは1000円強、であり他国と比べて日本はまだまだ低い水準にあることに加え、嫌煙権という言葉もあるように、増税するに当たって消費者に比較的抵抗感が少ないこともターゲットとされている所以であろう。

ちなみに、たばこに掛かる税金の内訳は1箱20本入り300円とすると、本体価格が111円、たばこ税が175円、消費税が14円となっている。これを1000円に値上げした場合、本体価格は変わらず、たばこ税が841円、消費税48円となり、売り上げ本数が変わらないと仮定すると、税収は8兆4000億円増える計算となるそうだ。

これを見てわかる通り、消費者にとってみれば、たばこ税を上げることは即ち、消費税の負担増にも繋がるわけであるが、愛煙家からすれば声を大にしては、なかなか文句の言いにくい、ある意味画期的な増税方法なのである。僕自身はたばこの臭いや煙が嫌いなので、個人的にも大賛成である。ぜひとも上げて頂きたい。

それともう一点、仮に全体としての売り上げ本数が減少してしまい、税収増に直接結びつかなくとも、喫煙を控える人が増えれば、肺癌を始め喫煙を原因とする様々な疾病リスクを減らす事にも繋がり、国が負担する医療費の抑制にも寄与することになる。もちろん副流煙を吸い込む機会も少なくなることであろう。

現在生活習慣病の中で最も割合の高いのが癌である。その中でも肺癌は成人男性にとって死因のナンバー1である。少し古い考え方かも知れないが、自らの健康に配慮し、家族を守ることは一家を支える大黒柱として、最低限の務めである。この機会にたばこを止めてみてはいかがでしょうか。ちょっとした意識改革が、多くの者を救うと思えば、そのくらい安い努力ですよね。

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社員を大事にすることは、お客様を大事にすること

「 家族すら幸せにできない人が、何で社員の幸せが考えられるのでしょうか? ましてお客様の幸せなど考えられるのでしょうか?」 市川善彦「幸せになる法則」より

市川善彦(1952年 長崎県佐世保市生 日本ガードサービス株式会社代表取締役、講演家)

日本IBMが、1000人規模で正社員の削減を計画していることが11月25日分かった。他にもトヨタが国内の期間従業員を来年3月までに前年度比約3分の1の3000人に減らすほか、シャープが派遣社員約300人を年内にも削減する方針であるという。

厚生労働省の調査によると、派遣労働者や期間作業員など非正規雇用労働者の雇い止めを2008年10月~2009年3月に実施又は予定の事業所は、全国で延べ477事業所、3万67人に上った。うち派遣労働者が1万9775人と65.8%を占めた。

一方、2009年3月卒業予定の新卒者の内定取り消しは11月25日現在、87事業所で331人に上った。内訳は大学生・短大生などが302人、高校生が29人。そのうち8事業所が倒産、10事業所は民事再生法が適用された。まさに未曾有の不景気である。2002年2月から2008年1~3月まで続いたとされるいざなみ景気も今は昔という感さえある。

アメリカでは、リーマンショック以後、経済状態を回復する特効薬は見当たらず、経済を長らく牽引してきた自動車会社ビッグ3の一角を担うGM(ゼネラルモーターズ)ですら、政府に対して180億ドル(約1兆7000億円)の融資を要請している有様である。

アメリカ型資本主義は、効率性を追い求める事によってこれまで成功を収めてきたわけだが、ここにきてそのスキームが完全に崩壊してしまった。期間従業員や派遣社員を雇用の調整弁として安易に解雇してしまう今の日本企業も問題である。これらの人々は労働者である前に一消費者であり、その家族や関係者も同様である。

何が言いたいかというと、その会社に対するネガティブなイメージを持つ人間を潜在的に増やすことを、忘れてはならないという事である。消費者から必要とされない企業や商品は、市場から撤退を余儀なくされる。その事までをも考慮した上で解雇を選択しているのか否か。

法的に問題がないというのは、一種の逃げ口上で、実際にはもっとエモーショナルな要素で消費者は企業の善悪を判断しているものだ。今、企業が取り組んでいるコンプライアンスやCSR、3Rの問題などももちろん大事ではある。だが、企業イメージを気にするのであれば、むしろ従業員に対するケアを万全にする事の方が、より上策だと思うのはあながち間違いではないと思うのだが。

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クーデターでは変えられない

「平和が来るか来ないかということは、個々人の心の持ちようのなかに、したがってまた諸国民の心の持ちようのなかに作りあげられるものにこそかかっている。」シュバイツァー

アルベルト・シュバイツァー(1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。

タイ憲法裁判所が12月2日、昨年12月の総選挙で党ぐるみの選挙違反があったとして、最大与党「国民の力党」に有罪判決を言い渡し、解党処分を命じた。

これにより、ソムチャイ首相は退陣し、スワンナプーム空港を含む2空港などを閉鎖していた反政府派市民団体「民主市民連合(PAD)」は「2空港と首相府の占拠を3日午前10時をもって解除する」と発表した。同空港に足止めされていた観光客も順次解放される見込みとなった。

タイでは、政局不安があると未だに軍によるクーデターが起こる。日本でもかつては、二・二六事件に代表されるようなクーデターが起こっていた時代もあったが、いずれにせよ武力によって政局を覆そうという考えは、およそ文明国家とも思えない所業である。

また、記憶に新しいところでは、1970年11月25日三島由紀夫による陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室襲撃事件があった。最終的には三島の割腹自殺により終結を迎えるのだが、その悲痛なまでの訴えが自衛隊を変えることはなかった。

文明の成長期にはこのようにして、ある意味ヒステリックな行動により現状を変えようとする意思が働く場合がある。その根本にあるものは、社会や政治、経済などに対する鬱屈した不満であることが多い。

ただ、システムが十分に成熟していない状態の社会においては話し合いで民主的に解決するにも、時間が掛かりすぎる。または、今回のタイの例にも見られるように、そもそも民主的な解決方法であるはずの選挙において、違反が横行し、それで成立した政権下で作られた官僚システムでは汚職が日常茶飯事に行われる。

そのような中で、八方塞がりになった民衆が反乱を起こすことは、最後に取り得る手段として致し方のない事なのかも知れない。だが、それを繰り返すばかりではいつまでたっても国際的に認められる“大人”の国には決してなり得ない。それは、個人レベルでも同じことである。暴力の行き着く先は、復讐の連鎖だ。いつか誰かが許さなければ、その連鎖を断ち切ることはできない。

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謝ることで実を取る

「トップに立つ人は、泥をかぶる覚悟で仕事に立ち向かえ。それでだめだったら潔くシャッポを脱いで謝る。ただ責任ということで、けじめをつけようとすることは間違いだ。」井深 大

井深大(1908年4月11日 - 1997年12月19日)は、日本の実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。

3つの目を持てという話がある。すなわち「鳥の目、虫の目、魚の目」である。鳥の目は、物事を俯瞰的・大局的に見る目。虫の目は、微に入り細を穿って、隅々まで注意深く見る目。最後の魚の目は、今回のテーマでもある、物事の流れを見極める目である。

今自分が、流れに乗っているか、逆流の中にあるのか、見極めることはそれほど難しいことではないように思う。例えば、何か事業を始めたいとする。それが自分にとって、本当にすべきことであり、かつ機が熟しているのであれば、自分の考えたプランがどんどん実現していき、タイミングよく協力者も現れる。反対にそれが自分にとって、まだやるべき時を迎えていないのであれば、目に見えない力が働いているかのように、色んな障害が立ちはだかり、結局は挫折することになる。それでも乗り越えてやるほどの情熱があるなら、また流れがくるかも知れない。

また、物事には流れ以外に鮮度というものがある。例えば“謝る”ということについても、タイミングがとても重要である。その機を逸すると、事態はもっと深刻になり、謝っても問題が解決しなくなる危険も孕んでいる。僕自身は昔やたらとプライドや意地を気にする人間だったので、人に頭を下げるということが嫌でたまらなかったのだが、今は良し悪しは別にして、その先の展開というものが見えるようになったので、下げるべき時にはサッと下げることに対して苦ではなくなった。

僕の周りにも謝ることのできない人がたまにいる。話を聞いてみると、一見筋が通っているように思えるのだが、更に追求していくと結局はつまらない意地を張っているだけというケースがままある。傍から見るとそれが実に些細な事が元で問題を複雑化していたりするのだが、本人にとっては生き方の根幹を揺るがす大問題として捉えられている。聞いているこちらとしては、それで目の前の問題が解決されるならば、自分の意地など捨て去った方が得策だと思うのだが、そうもいかないらしいのだ。

こういう場合には、あまり主観的に物事を考えるのではなく、もしあの人ならこういう時はどうするだろう?とか、自分が相手の立場に立った場合にどう感じるだろうか?など、極力第三者的な視点で判断すべきである。前述した鳥の目にも通じるものがあるが、自分というものを俯瞰してみる事が必要で、その際自分自身が積み上げてきた実績や、常識などの一切を脱ぎ捨てて、まっさらな気持ちで見詰め直さねばならない。日本には「負けるが勝ち」という有難い言葉がある。頭を下げて、相手に勝ったと思わせておいて、大局においては自分が勝っている。そういう状況を作り出せれば、謝ることもそれほど苦痛ではないはずだ。

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リビングウィルについて考える

「死のない生とは何か?死がなければ生を重んじる者はないだろう。」ボスハルト 「日記」

先日、友人が家に遊びに来た際、最も幸せな死に方は何か?という話題になった。その友人の職場でも偶然にして、その話題になったそうだが、彼女の職場で得られた結論は、「相手がドラキュラであり、血を吸われて、気持ちよく徐々に意識を失いながら死ぬ。」だそうだ(笑) 絶対にあり得ない話ではあるが、その気持ちは分からなくもない。つまり、死を迎えるに当たって、痛いのや苦しいのは嫌だということだ。とにかく楽に、かつ幸せを噛み締めながら死ぬのが理想であると彼女はいう。

その流れで、リビングウィルの話題になった。人間が自らの意思で、生命に終止符を打つことは是か非か?ここで言う終止符を打つとは、もちろん自殺の話ではない。つまり、絶対に助からない病になって、これ以上の治療を続けても、本人にとっても家族や周囲の人間にとっても、精神的・肉体的・経済的に負担の方が明らかに大きい場合、自分の死を悲しむであろう人間が居ない場合など諸々の状況下においての是非である。

今日尊厳死や安楽死という言葉で、表現されているこの問題であるが、日本学術会議は、1994年当時尊厳死容認のために、
   1. 医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
   2. 意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
   3. 延命医療中止は、担当医が行うこと。を条件としてあげた。

私たちは、代々受け継がれてきた常識として、自ら死を選択することは望ましくない行為だと教わってきました。ですが、自分が生きている事によって家族や周囲の人に迷惑を掛けているのではないかと考えた時、それでも生きたいと思えるほどの意志は働くのでしょうか。例えば、誰も身寄りのない人が不治の病に冒されてしまい、将来に対して何らの希望も見出せない状況で、それでも貴方は生きなければならない、とその人に強いることは果たして善であるのでしょうか。とても難しい問題です。

ただ、はっきりと分かっていることは、人はいつかは必ず終わりの時を迎えるということ。この運命から逃れられた人間は、歴史を遡っても唯の一人も存在しません。時の権力者の中には、不老不死の妙薬を探し求め、無益な殺生をした者も数多くいますが、その野望を果たせた者はいません。その限りある時間の中で、いかに自分の生を全うするのか?より有意義な時間を過ごす為にも、前向きな気持ちで考えてみてもいい問題なのではないでしょうか?残された時間は自分で想像している程は長くないように思います。

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良心を貫く強さ

「良心こそ、われわれの持っている唯一の買収のきかないものである。」フィールディング 「断片」

ヘンリー・フィールディング(1707年4月22日 - 1754年10月8日)は、18世紀イギリスの劇作家、小説家。

先日、郵便局の人が私服で我が家に訪れた。何故その方が来られたのか、見当が付かなかったのだが、よくよく話を聞いてみると、僕が窓口である代金の振込みをした際、キャッシュカードを受け取るのを忘れたのだそうだ。それで、すぐに追いかけたが既に姿が見えず、何度か電話を掛けてくれたそうだがそれも繋がらないため、休日にも関わらず持ってきて下さったのだ。お陰で一日とても気持ちよく過ごすことができた。その方の行動に計算がない事が分かったからだ。もちろん僕がクレーマーである可能性は否定できないものだっただろうが、とにかく誠意を感じたのだ。

良心という話でもう一点、裁判員制度が平成21年5月21日から始まります。これは一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいい、衆議院議員の選挙権のある人の中から、翌年度の裁判員候補予定者を抽選で選びます。このとき呼出状には、出頭すべき日時、場所、呼出しに応じないときは過料に処せられることがある旨その他最高裁判所規則で定める事項が記載されており、単に「仕事の都合」とか、「家庭の事情で」という理由では辞退することができません。

ただ、我々一般人が本当に自分の良心を貫けるかというと、なかなか難しいものがあります。というのも、罪を犯したとはいえ自分の判断によって、一人の人生を大きく変えてしまう責任を負ってしまう心理的負担に耐えることができる人間がどれ程いるのか、と考えると甚だ疑問だからです。裁判官や検察官は、目的意識を持って法曹界に飛び込んでいる時点で、その覚悟もできているだろうが、そうでない人間からすると、自分の事だけでなく、家族や関係者に何か害の及ぶ事はないのか、被告人から変に逆恨みされる事はないかなど、どうしても気になってしまうのである。

しかし、従来の裁判制度の下では、しばしば一般的な感覚から外れた、いうなれば被告人の人権保護や更正に対して重点の置かれた判決が下されている例がしばしばあり、我々には理解しにくい場合がある。それを解消し、被害者の方々にも納得のいく判決を導き出す為には、法律では割り切れない常識や慣習など、情状面に配慮した評議・評決がなされる事が理想である。その為には、我々ひとりひとりが勇気を持って、良心を曲げることなく毅然とした心で裁判に臨む必要があると思います。

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市立病院が破綻する時代

「医術は三つの要素から成る、疾病と患者と医師と。医師は医術のしもべなり。患者は医師ともに疾病と闘わねばならず。」ヒポクラテス 「流行病」

ヒポクラテス(紀元前460年 - 紀元前377年)は古代ギリシアの医者。原始的な医学から迷信や呪術を切り離し、科学的な医学を発展させた。

大阪府松原市の市立松原病院が閉鎖する。建物や医療機器の老朽化に加え、平成16年から必修となった医師の新臨床研修制度の影響で医師が不足し、患者離れが加速。慢性的な経営難に陥っている為、市長は同病院を今月28日に来年3月末限りで閉院する方針を正式に表明した。

先日も、大阪府阪南市立病院では今年10月の市長選で当選した福山敏博市長の「見直し」発言をきっかけに8人の医師が辞表提出し、存続の危機に陥っている。同市は昨年6月にも同様の事件が起きたばかり。

最近、医療機関の経営難という話をよく耳にする。インターネットの普及や、病院版ミシュランのような本が出版されるようになって、評判のいい病院、腕のいい医師のいる病院に患者が集中するようになった為だ。もちろん診療報酬の改定というのも原因の一つではあるが、医療の世界においても二極化が進んでいるようである。

もう一つ忘れてならないのは、新人医師が研修先を自由に選べる「新臨床研修制度」の存在。大学病院の医局の約8割が人手不足などを理由に地域の医療機関への医師派遣を中止・削減。その結果、地域の医療機関の6割以上が診療制限や診療科の閉鎖に追い込まれていった。

人手不足による過酷な労働を強いられている医師が、医療過誤訴訟に怯えなければならない現実も、医師不足に拍車を掛ける原因となっている。特に産科医不足が深刻で、このような状態では国が掲げる少子化対策も画餅に等しい。

確かに一歩間違えれば、生命を脅かす問題にも繋がりかねない医療という問題について、少しでも良い病院、少しでも腕のいい医師を、という気持ちは分からなくはない。折角授かった胎児を手術ミスによって失った親からすれば、その執刀医及び病院の責任を問いたくなるのも致し方なしとも思う。さすがにそれまでをも自己責任とはさすがに言えない。

だが、人間は万能ではない。医師だって生身の人間である。睡眠もろくに取れない状態で、神経を磨り減らすようなデリケートな手術に臨む。そんな中、常に100%の実力が発揮できるかというとそうではない。かと言って決して手を抜いている訳ではなく、一所懸命に取り組んでいるはずなのだ。

それでも、医療は格段の進歩を遂げ、日本人ならば2007年のデータで男性79.19歳、女性85.99歳もの平均寿命になった。人間50年と言っていた頃と比べれば、男性で1.6倍、女性なら1.7倍にも延びているのだ。これからは、もう少し寛容な心で医師と向き合ってみたいと思います。綺麗事に過ぎるでしょうか。

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感謝と報恩の心

「信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である」新渡戸稲造

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月3日) - 1933年10月15日)は、農学者、教育者。

ビジネスの世界はギブ&テイクで成り立っていることは、説明不要の厳然たる事実である。物やサービスを買うには当然のことながら金が要る。だが、世の中には厚かましい人が増えたのか、ギリギリまで安く、できればタダで物を手に入れたり、サービスを受けたいと考える人が非常に多くなっているように思うのだ。

しかも値切る対象が手数料や報酬だったりすると、仕事をする側から言えば、正直その仕事に熱がこもらない。それはいけない事だと頭では分かっているのだが、人間同士のやりとりである以上無意識にそうなってしまう事もあるのは否定しきれないところだ。つまり、自分ができないから、代わりに何かをしてもらう。そのお礼としての手数料や報酬であるのにも関わらず、それを値切るというのは、僕にはちょっと考えにくい発想なのである。

お金を払っている側からすれば、客なんだからやってもらって当たり前、もっとサービスしてくれと、その要求はどんどんエスカレートしていくのだろうが、ただ考えなければいけないのは、安売りのその先には、回りまわって自分の収入の減少が待っているという事なのである。今の日本は主に中国をはじめとするアジア諸国に生産拠点を移すことによって、国際競争力を付けてきたわけだが、ここにきてその品質の低さや、安全性に対するコンプライアンスの欠如が決定的になってきた。

その最たる理由は、極論かも知れないが消費者の物作りやサービスに対しての敬意が不足してきている事が原因だと思う。確かに大量生産・大量消費社会になると、作り手側の顔が見えにくくなり、それに対して思いを馳せる事をしにくいのは事実である。また、作り手側も、流れ作業的になり、消費者が見えにくくなる。

だが、すべては人間同士の営み。何かを貰えばお礼をする。何かやってもらえば、こちらもそれに応える。ごく基本的な事だが、金銭が介在すると心情的にドライになるのだろうか、途端に相手も喜怒哀楽のある人間である事を忘れてしまっているかのようだ。

この間、仲間達とフリーマーケットを開いた。今回で二度目となるそのフリーマーケットが一度目と決定的に異なるのは、非営利団体が出店している事を前面に押し出した事だ。するとどうであろう、明らかに消費者の購買行動に変化が見られた。簡単にいうと、あまり値切らないのである。なぜか?

非営利活動≧値切る消費者≧営利活動、という力関係が働くのだ。つまり、非営利活動という善行をしている相手に対して、値切り交渉をする事は何か後ろめたい気持ちになるのである。そうでない相手には値切るであろう人であってもだ。もちろん、その向こう側に非営利団体から助けられている“誰か”を見ているのではあるが。だが可笑しな話だ、考えても見れば、誰が売っていようと同じものなのである。

人間は心のどこかで、何か善行をしたいと思っている。だが、その対象となる相手がいない、若しくはいても何をすれば良いのか分からないのだ。だから、それを代わりにやってくれている相手に対して、敬意を払い、お金を払うのである。だが、世の中には純然たる善や悪などそれ程存在しないものだ。

どんな会社や人であれ、何かしらの役には立っている。そうでないなら、一瞬で消え失せてしまうだろう。自分の仕事が社会のために何の役に立っているのか、分からない人は多い。仕事にやり甲斐がないと感じている人も多いだろう。だが、皆誰かのために少しずつ役に立っているのだ。そういう意味で我々は他者に対してもっと敬意ある態度で臨まねばならない。それは回りまわって自分に返ってくる事でもあるのだから。

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単純ではない正義

「真の勇気というものは、極端な臆病と向うみずの中間にいる。」セルバンテス 「ドン・キホーテ」

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547年9月29日 - 1616年4月23日)は、スペインの作家

先日とあるテレビ番組に、ミートホープの元幹部が実名で出演し、当時の色々な真相やその時の心境などを赤裸々に話していた。

ちなみに、ミートホープとは1976年創業の北海道所在の食肉の加工と販売会社であり、最盛期は道内の食品加工卸業界売上第1位であった会社である。2007年6月20日に牛肉ミンチの品質表示偽装事件を起こした。社長が不正競争防止法違反(虚偽表示)と詐欺の罪で懲役4年の実刑判決を受けた事は記憶に新しい。

話を元幹部に戻す。同氏は、以前勤めていた会社を定年退職した後、社長に請われるようにしてミートホープに入社する訳であるが、ある時従業員から内部的に食品偽装が行われている事を聞かされた。入社当時に自分自身も社長から食肉倉庫へ案内された際、肉から腐臭のようなものが漂っているのを感じ、薄々は何か悪い事をやっているのではないか?とは思っていたようだ。

そこで、元幹部は社長にそれとなく忠告するが、ワンマン社長で聞く耳をもたない。自身は業界において素人であるし、そこまで根拠立てて社長を説得する程の知識も持ち合わせていなかったようである。

それならばと、同氏は2006年春に農林水産省北海道農政事務所に不正挽肉の現物を持参して調査を依頼するのだが、まったく取り合ってくれない。この時点での元幹部は、わが身可愛さもあり、会社を潰すことなく何とか行政指導だけで、社長が行いを悔い改めてくれる事を願っていたようだ。

だが、農政事務所が動かない事で、ついには警察に内部告発するしか術はなくなってしまう。そうなれば、自分は元よりその当時いた約100人の従業員を路頭に迷わせる事になってしまう。もちろん、その家族にも相当の負担を強いることになる事は明白である。それは同氏をして苦渋の決断だったに違いない。

浅薄で無責任なコメンテーターは「社会正義」という大なたを振るって、元幹部を口撃するが、正義というものは言ほど単純なものではない。奇妙な理屈と感じるかも知れないが、何の罪もない従業員やその家族にとっては、内部告発する事が悪である場合も往々にしてあるのだ。

そのお陰で元幹部は、親戚やご近所から総スカンを喰らい、連日のマスコミ取材から逃れるように妻も出て行ってしまった。戦う相手が大きくなれば当然色々な手段を講じてくる為、身の危険も付き纏う。それ以後の就職もままならない。いつ終結するか分からない孤独な戦いを何年も続けなければならないのだ。

内部告発というものは、それ程本人にとってリスクの高いものなのである。負ければ犬死にする事だってあり得る。そうなれば我々は未だに偽装された食品を知らずに食べ続けていた筈だ。無関係な人間が無責任に正義を語れる程生易しいものでは決して無い。その孤独な勇者のお陰で我々の食の安全が少し守られたとは言えないだろうか。

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人間関係には正しい距離がある

「嫌いな人が居たら、好きになる所まで離れればいいのよ。」よしもとばなな「ハチ公の最後の恋人」より

よしもと ばなな(1964年7月24日 - )は、日本の小説家。代表作に『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』『TUGUMI』など

人間同士はあまり近付きすぎない方がうまくいくという事が結構ある。例えば、親子関係である。子供の行動が気になるのは仕方ない事と思う。だが、子供であっても小学校の高学年くらいになると、自我が確立されてくる。親には見せたくない顔や、秘密があるものなのである。それを、子供の気持ちを無視してその心にヅカヅカと土足で踏み込むような真似をすると、その子供は心を閉ざしてしまう。

夫婦の間でもまた適度な距離がある。元々は全く違う環境で育ってきた他人なのであるから、その価値観や行動様式、趣味、嗜好など違って当たり前で、それを無理やり合わせようとしたり、または相手にそれを求めたりすればうまくいかなくなって当然である。一緒に長く居過ぎると自分にとって望ましくない相手の行動が、だんだん目に付くようになってくる。そうなれば、別に見過ごせばいいような事も言ってしまいたくなるものだ。

では、それを解決するにはどうすればいいか?
その相手と自分が心地いいと思う距離まで離れる事である。それは物理的な距離もあれば、会う頻度という事もある。これを心理学の世界では「単純接触効果」といいます。これは接触回数が多ければ、それに比例して好意を抱くという心理現象の事ですが、反対に接触を減らせば、相手に対しての好意(ここでは、執着と言い換えます)も減っていくという効果を狙うものです。

親子なら、可能であれば団欒をする場所とプライベートを確保できる場所を分ける。夫婦であれば、お互い違う趣味や、友人と過ごす時間を設ける。会えば喧嘩ばかりという恋人同士であれば、会う頻度を減らせばよい。ともかく相手への過剰な執着や、身勝手な期待を止めることをお勧めしたい。その為には、まず自分というものをしっかりと確立する事。そうでないと、その不足分を補う為の他者の存在が必要になる。もちろん人間は完璧ではないから、補い合って生きているのであるが、それも程度問題である。

「やまあらしのジレンマ」という絵本がある。やまあらしにはトゲがあるため、寒いからと言って、お互いが近付き過ぎると傷付けあってしまう。かと言って、離れると寒い。だから、寒くもなく、相手を傷付けもしない程よい距離まで近付いて暖めあったという内容の寓話だ。あくまでも、物語の中の話ではあるが、ここにはより良い人間関係を築くための色々な教えがあると思う。

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幼児期における父性の欠如

「人柄や能力は、子供のころの体験が大事。好奇心や冒険心を育てることが、豊かな人間を作るのだ。」井深 大

井深大(いぶか まさる、1908年4月11日 - 1997年12月19日)は、日本の実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。生前の盟友であった本田技研工業の本田宗一郎と並び称される戦後日本を代表する起業家として世界的にも有名である。

元厚生事務次官連続殺傷事件、で警視庁に逮捕された小泉毅容疑者(46)の犯行動機がペットを失ったショック状態を指す“ペットロス(愛玩動物喪失)”であるとの報道を聞いて、違和感を覚えた人が少なからずいるだろうと思います。

容疑者の父親によると拾ってきた野良犬が、誰彼構わず吠え立てるので、近所迷惑になると思い、仕方なく保健所に引き取りに来てもらったのだそうだ。その父親をして、「息子はそんな事を覚えちょったんですか?」というのだから、私たちが容易に理解できるはずもない。

僕は、それを聞いて彼の中で幼児退行現象が起きているのではないかと考えました。つまり自分自身ではどうしても解決できない苦悩や葛藤、強いストレスがあって、精神的に追い詰められ、それが行き場を失ったときに起こる自己防衛本能の事です。昔、知り合いにその症状を発症した人がいて、思い出したのですが、仮にそうだとしても今回のような事件を起こす動機となりえるかというと、その答えとしては弱い気がします。

ただ、小泉容疑者が精神的に大人になりきれないまま、歳を重ねていった事だけは事実のようです。自宅アパート隣であった建築工事の音を巡り、施行業者幹部の住所を割り出して押しかけ、大声を上げるなどの嫌がらせをしたり、深夜に部屋をドスドス歩き回ったり、外