« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月の23件の記事

武士に武士道、商人に商売道

「〝商売道〟なぞというと、いかにも時代おくれのセンスにみられようが、たとえどんな時代にあっても、このことを忘れて経営は成り立たない。武士に武士道があるがごとく、商人には〝商売の道〟がある。それは、世界に共通する「ビジネス・ルール」なのである。」石田退三

石田 退三(1888年11月16日 - 1979年9月18日)は、元豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)社長、元トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の社長・会長・相談役。戦後のトヨタ自動車を建て直し、「トヨタ中興の祖」と呼ばれる。

ついに、ゲームの違法コピーに司法の判断が下された。違法にコピーされたゲームソフトを任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」で使えるようにする「マジコン」という機器を巡り、任天堂やセガ、ハドソンなど主要ゲームメーカー54社が、中国系のソフト販売会社5社を相手に販売禁止を求めた訴訟で、東京地裁は27日、輸入・販売の差し止めと在庫の廃棄を命じた。また同地裁は、輸入・販売禁止の仮執行も認めた。被告が主張する「ユーザーが自分で作ったソフトも使えるようにする機器」という言い分は退けられた格好である。

その背景には、2007年11~12月に任天堂が海外の7サイトを対象に行った調査で、違法ソフトのダウンロードが1億回以上確認されたということがある。これまでも中国は、ゲームだけでなく、映画やドラマ、音楽など違法なダウンロード天国になっていたが、北京オリンピックを前にして先進国であることをアピールするため、一斉摘発を行った過去があったが、日本企業側が直接的に手を下すことができずにいた為、今回の判決はゲームメーカーにとっては朗報となろう。

ゲームメーカーは、この種の問題に対し「違法ダウンロードサイト及び違法コピーゲームを動作させる機器の存在が、ゲームソフトの販売を阻害している。」と主張する。同種の問題は音楽業界にもある。しかし、違法ダウンロードや違法コピーがなくなったからと言って、CDの販売数が伸びたという話は聞かない。業界が音質を犠牲にしてまで施したコピーガードはいつの間にか姿を消してしまった。そこまでして守った作り手側の権利は、結局リスナーからは本末転倒の謗りを受け、メーカーの利益の増大にも結びつかなかった。

その根底の考えには、ユーザーあるいはリスナーが、そのゲームないし音楽に対して、対価を払ってまでは手に入れる程でもないが、ただなら試してみたいという思いがあるからに他ならない。つまり、コンテンツとしてきちんと対価を払うほどの魅力を感じていないということである。

もちろん、違法ダウンロードサイトや違法コピーを容認するものではないし、知的所有権を軽んずる文化は決して豊かな社会だとは言えない。然れども、メーカーがユーザーやリスナーが本来そのコンテンツに求める楽しみや、利便性を切り捨ててまで権利を守るという姿勢であれば、消費者はそのメーカーの姿勢に対して反発心を覚えてしまうものなのである。そのバランス感覚は非常に難しいものではあるのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

藍より青し

「青は藍より出て藍より青し。」荀子

荀子(紀元前313年 - 紀元前238年)は、中国の戦国時代末の思想家・儒学者。孟子の性善説に反対して性悪説を唱えた。

報道によると、ピンク色の派手なスーツで一際目立つ存在の井脇ノブ子衆議院議員が、経営難に陥っている静岡県菊川市国際開洋第一高を2年後に閉校し、今春の入試合格者28人に入学辞退を求める意向であることが分かった。

井脇ノブ子衆議院議員というと、つい先日も自身が理事長を務める財団法人「少年の船協会」(東京都豊島区)が、別の学校法人「国際開洋学園」に多額の借金を肩代わりさせていた事が明るみに出たばかり。小泉劇場の勢いに乗って、比例代表で当選を果たした井脇議員であるが、たった28人の生徒達の夢や希望を踏みにじるようでは、国を導いてなどゆけるはずもない。

静岡県によると、国際開洋第一高校は全寮制で、今春の入試定員100人に対し、外国人留学生20人、日本人8人の計28人が受験。定員割れにより全員が合格した。そのうち4人が既に入学手続きをしたというが、この時期に閉校を発表するのであれば、ずっと以前に資金繰りは悪化していた筈で、それが分かっていながら入試を実施し、かつ入学手続きまでさせたというのであれば、これは負債の穴埋めに使うつもりで受験費用や入学費用を稼ぐ為の入試であったのかと、疑わざるを得ない。

また県は「この時期に改めて新たな入学先を探すのは非常に厳しい。まず学校側が受け入れ先を探すべきだが、県としても、私学協会を通じて各校に再募集をお願いするなど対応を考えたい」とコメントしているそうであるが、理事長である井脇議員は未来ある子供達のために、必死になって受け皿となるべき学校を探すなり、「国際開洋学園」に代わって国際開洋第一高校を経営してくれる相手先を探すべきである。それもしていないとなれば、国会議員に立候補した事自体、自身のネームバリューを高め、国際開洋第一高校(静岡県菊川市)及び同第二高校(和歌山県日高川町)の生徒集めをする為であったのか、という見方をされても致し方ないであろう。

井脇議員の説明によれば、小中学生などを対象に海上研修を行っている財団法人「少年の船協会」は1988年7月、運行停止により売りに出された青函連絡船を研修船として約2億8000万円で購入し、さらに約5億5000万円を掛けて改修。その改修資金として、学校法人「国際開洋学園」から約3億6000万円の融資を受けた。同学園はその約3億6000万円を同協会に対する貸付金として資産計上したが、返済が2000万円しかなされなかった為、残額約3億4000万円を2005~06年度に損失処理したという。

研修船はその後約6年間にわたって使用されたが、1999年に韓国企業に約6000万円で売却した。つまり、この時点で財団法人「少年の船協会」の損失が約4億3000万円、学校法人「国際開洋学園」の損失が3億4000万円の併せて7億7000万円にも上るのである。またこれとは別に、学校法人「国際開洋学園」に対しては、日本私立学校振興・共済事業団も2高校の校舎建設費用などとして、計4億7800万円を融資したが、3億2000万円の返済が滞っていたという(一昨年12月に和解)。

そもそも財団法人は、事業からの収入だけでなく、個人や法人からの寄付、国や地方自治体からの補助金等で成り立っている公共性の高い法人である。特に2008年12月以前に設立された法人であれば所轄官庁の監督下にあり、それ故に公益性を何よりも重視される。また日本私立学校振興・共済事業団も、平成19年度事業報告書によれば、その収益の殆どが補助金収入であり、その額じつに約3280億円である。

その金は当然、国民の血税から賄われている訳であるから、少し乱暴な言い方をすれば、約11億円もの損失が井脇議員の為に国民に覆い被さったことになるのである。基本である学校経営を疎かにして、功名心あるいは山っ気を出して国会議員になったのであれば、それは今回入学を辞退しなければならないかも知れない生徒たちのみならず、国民に対しても大きな裏切り行為である。もはや教育者としても失格者と言わざるを得ないであろう。人間は所詮性悪なるものなのか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鼠の気持ちではチーズしか得られない

「鼠の気持ちではチーズしか得られない。 大きい獲物を得ようとするなら狼の気持ちになれ。」映画「錨を上げて」より

ジョー・パスタナーク製作の軽い味わいのMGMミュージカル。監督ジョージ・シドニー、出演フランク・シナトラ、ジーン・ケリー

今年のアカデミー賞は、ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー夫妻が、主演男優賞および主演女優賞をダブル受賞するかどうかということで例年になく注目を浴びているが、それとは全く違う意味で楽しみなゴールデンラズベリー賞(通称ラジー賞)が2月21日発表された。ラジー賞は、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の作品や俳優を選んで表彰する。

名称について少し調べてみると、『「ヤジ」を意味する「Razz」から命名された「Razzie Award」が正式な賞名だが、「Razz」のもうひとつの意味である「Raspberry」(ラズベリー:木イチゴ)の実を模したトロフィーのデザインにより「Golden Raspberry Award」とも呼ばれる。また、ラズベリーには、ブーイングの音、という意味がある。英語の「ラズベリータルト(raspberry tart)」が「fart(おなら)」 と韻を踏んでいるため、おならをまねた音を指すようになった。』との説明を見付けた。

そこで気になる受賞者であるが今年は、“お騒がせセレブ”パリス・ヒルトンと映画「オースティンパワーズ」などでお馴染みのマイク・マイヤーズに決まった。パリス・ヒルトンは、「ザ・ホッティー・アンド・ザ・ノッティー」で最低主演女優賞とカップル賞に選ばれたほか、ロックミュージカル映画「レポ」で最低助演女優賞に選出され3冠を獲得、一方、マイク・マイヤーズは、「愛の伝道師ラブ・グル」で最低主演男優賞、最低作品賞、最低脚本賞にも選ばれた。

だがこのラジー賞、決して馬鹿にしたものでもない。去年は、エディ・マーフィーが一人三役を演じた「マッド・ファット・ワイフ」で最低主演男優賞・同助演男優賞・同助演女優賞を受賞。過去10年を振り返ってみても、シャロン・ストーン、ハル・ベリー、ベン・アフレック、ジェニファー・ロペス、マドンナ、ロベルト・ベニーニ、マライア・キャリー、ジョン・トラボルタ、ブルース・ウィリスなど、綺羅星のような大スター達が同賞を受賞しており、良くも悪くも注目されていなければ受賞できない賞だということが分かる。そういう意味では、ラジー賞にさえノミネートされない作品及び俳優が、本当の意味での最低作品であり、最低俳優と言えなくもない。

それは、私たち個人レベルで見ても同様の事が言えるかも知れない。他人から高評価を受ける、あるいは著しく低評価を受ける人間は、ある意味個性の強い人間であると言える。他人の目を気にせず自分らしく生きていると、どうしても折り合いがつかない時もあるし、「出る杭は打たれる」の諺にもある通り、足を引っ張られる事もある。だが全く目立たず埋没してしまっている人間は、低評価もされないが、決して高評価を受けることはない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社会保険事務所不要論

「所得は権利とともに義務を伴なう」トーマス・ドルモンド

トーマス・ドルモンドは、イギリスの生物学者。

社会保険庁職員の自己保身は、国民の我慢の限界をとうに超えている。2月21日のニュースによると、厚生年金記録の改竄問題についての調査で、社会保険庁が質疑応答書を用いた事業主への調査で、職員側から厚生年金記録改竄を持ち掛けたのか否かについて積極的に調べていなかったことが分かった。

その質疑応答書の質問項目は次のとおりで、そこに職員側から改竄を持ち掛けたか?という質問項目がなく、その背景について、長妻昭議員をはじめとする民主党は「改竄への関与で懲戒処分を受けた職員は、来年発足する日本年金機構に移行できなくなる」との懸念を抱いているからだとみている。

質問▽一定期間さかのぼり記録改竄の届け出をしたことがあるか。▽こうした届け出をした経過や理由は何か。▽職員に相談したことがあるか。▽(あると答えた方に対して)相談の詳しい内容や当時の担当職員名は。▽その他に、参考となる事項があれば教えてください。

問題となった改竄の手口には大別して、標準報酬月額(従業員が毎月貰う月給及び諸手当を含めた月平均額に基づき等級分けしたもの)の引き下げと、加入期間(従業員が健康保険・厚生年金保険の対象者となってから、退職等を機に対象者となくなるまでの期間)の短縮があり、その両方ともが厚生年金受給額の減額に繋がる。

では、何故このような改竄をしなければならなかったのか?その背後には、社会保険事務所職員側と事業主の間で利害の一致があったのである。即ち事業主側の事情としては、経営難により保険料の支払いが困難になったり、事業主負担分を減らしたい思惑があり、社会保険事務所職員側の事情としては、保険料の滞納率を少なくし徴収成績をあげたいという思惑があったのである。まさにお役所的な発想であるが、それ以前に事業主側が企業の社会的責任を果たさずに、あるいは果たせずにいる事情があるだけに、職員にだけその責任を負わせる訳にもいかない。

だが、実際に社会保険(労災保険・雇用保険・健康保険・厚生年金保険など)の負担者たる事業主の方々に話を聞くと、日本において従業員を雇用するのに掛かるコストが高いという声が多い。例えば、一般的な小売業で月給20万円の従業員(満20歳)を一人雇うとすると、月給以外に労災保険 1,000円、雇用保険 1,800円、健康保険 8,200円、厚生年金保険 15,350円、児童手当拠出金 260円の合計 26,610円が掛かるのである。これは確かに体力のない中小企業には決して安くない金額である。社会保険制度自体が制度疲弊を起こしているとは言えないだろうか。これを機に、日本全体で社会保険料や税金を含めた社会保障や富の再分配など、制度見直しへの議論が高まることが望まれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。

「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。」アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ出身の理論物理学者。

米経済誌フォーブスが2月19日、2009年の「日本の富豪40人(Japan's 40 Richest)」を発表した。今年「ヒートテック」などの売上げが好調だったカジュアル衣料品チェーン「ユニクロ」を擁する株式会社ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の資産額が61億ドル(約5706億円)で初めてトップになった。2位は人気パチンコ機「フィーバー スター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨」や「フィーバー愛の戦士レインボーマン'70」等を持つ、業界最大手のメーカー株式会社三共(SANKYO)の毒島邦雄名誉会長で52億ドル(約4864億円)、「ニンテンドーDS」や「Wii」などの家庭用ゲーム機メーカーで、昨年首位の任天堂株式会社の山内溥相談役は45億ドル(約4209億円)で3位だった。

ちなみに、アメリカの歴代富豪の資産額を調べてみた。1位は石油王ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアで資産額は1896億ドル(約17兆7370億円)、2位は鉄鋼王アンドリュー・カーネギーで同じく1005億ドル(約9兆4017億円)、現存する富豪で一番資産額の多い(歴代5位)のが、マイクロソフト株式会社のビル・ゲイツで617億ドル(約5兆7720億円)だった。※いずれも、2009年2月19日現在の為替レート(1ドル=93.55円)で換算。

こうやって、比較してみると富豪といえども、日本とアメリカではそのスケールにおいて大きな隔たりがある。役員報酬自体大きな差があるのであるから致し方ないが、日本の企業ではいくら会社が好成績をあげても、役員に対してアメリカほどの評価が与えられていないことが分かる。

ただ、日本の富豪に挙げられた上位3名が、それぞれの会社に与えた功績は決して少なくない。その全員が創業者あるいは創業者の後継者であり、会社をここまでに育て上げる過程では、一般人には計り知れない程の苦労や挫折があったはずである。その割りには、アメリカほど高額な報酬が与えられていないのは、日本にまだ“金儲け”に対する罪悪感というものが根底にあるからだろうか。

もちろん、評価の基準は報酬だけではないし、高額な報酬だけが人に満足感を与える訳ではない。何をもって成功したと定義付けるのかも、人それぞれの価値観である。だが、日本においては一般的に5億円以上の資産を保有している者をもって“金持ち”としている。そう考えれば、日本の3人も“大金持ち”には違いない。だが、僕が思うにその方々も金持ちになるために頑張ったのではなく、自分が目指すビジネスモデルを社会に認めてもらいたい一心で走り続けた結果、気付けば金持ちになっていたのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

R-1ぐらんぷりから何を学ぶ?

「ユーモアとジョークは世界中どこの国でも通じるものだ」本田宗一郎

本田 宗一郎(1906年11月17日 - 1991年8月5日)は、日本の実業家、技術者。本田技研工業の創業者。

2月17日(火)19:00、史上最多の3400人がエントリーした「R-1ぐらんぷり2009」が開催された。ゴールデンの枠での放送は今回が初めて。今年その頂点に立ったのは、計4回の決勝進出を誇る中山功太(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)。シュールなネタを得意としており、対義語ネタや、あるあるネタ、一人コントなど、独自の視点から繰り出されるネタには根強いファンがいる。

いわゆる「ピン芸人」のみが出場できるこのR-1ぐらんぷり。本家M-1グランプリとは違い、芸歴による出場規制はない。ちなみにR-1の“R”は「落語」の略だそうだ。漫才と違って、ボケに対するツッコミがない分、自己完結型の笑いが求められ、漫才とは一味違ったお笑いが楽しめるのである。

R-1ぐらんぷりの放送前に控え室の模様が映し出されるのだが、出場者は全員同じ場所に控えており、談笑している者や、ネタの仕込が間に合わずに必死に絵を書いている者や、黙々と練習をしている者、カメラを向けられるとサービス精神旺盛に他の出場者のインタビューをする者など、舞台とは一味違う素顔が見られるのは、ファンにはたまらないものがる。

それにしても人を笑わせることは、本当に難しいと思う。その場の空気もあり、相手の受け入れ態勢もあり、もちろんネタの出来もあり、しかも人によって何が面白いと感じるのかが違うのである。一流の芸人ともなれば、その時の会場の顔ぶれや反応を見て、ネタをチョイスしたり、更にはその場で即興ネタを作ってしまったりするそうである。これには、相当の人間観察眼と、場の空気を読む力、日頃からの訓練、情報収集能力などが必要とされるのだから、並みの人間にできる芸当ではない。

だが、僕らのような素人にも参考にできる部分は大いにあると思う。例えば、その場の空気を読むこと。自分をアピールすることだけに躍起になっていたのでは、周囲が白けていることにすら気付かない。こうなっては、コミュニケーションが成立しないことは言うまでもない。

あとは、日頃から色んな事に興味を持って、情報を収集すること。自分の興味のある事だけに注目していたのでは、偏った人間になってしまう。そうならないためにも、幅広く情報を収集しストックしておく事、そうすれば相手が振ってきた話題にも柔軟に対応できるというものだ。それでも分からない事が出てきたとき、質問するなり後で調べるなりすれば、それが自分の知識として脳に焼きつくのである。だが、それでも相手を笑わせるまでに至るには、随分と越えなければならないハードルがある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

G7終わって、一転辞意7

「日本の政治家といふ奴は政治で飯を喰はうといふのぢやから良心の切売をするのが公然の商売となりをる。」内田魯庵

内田 魯庵(慶応4年4月5日(1868年4月27日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。

中川昭一財務金融担当大臣がついに辞任した。先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見に、酩酊状態で臨んだことなどの責任を取り、2月17日午後7時前麻生太郎首相に辞表を提出、受理された。

あの記者会見での体たらくを見て、目を疑った方も多かったのではないだろうか。僕自身も最初見た時には、脳に何かしらの障害が出て、言語障害がおこっているのだと思っていたのだが、あろうことか(中川財務・金融担当大臣の言葉を信じるならば)風邪薬とアルコールを併用していたという。しかも気圧の下がっている飛行機の中で飲むなど、医師や薬剤師でなくても知っている初歩の常識である。

会見の様子は、全世界に同時配信され、この失態により日本が負ったマイナスイメージは、計り知れないものがある。麻生政権にとっても大打撃であることは間違いないが、事はそんな矮小な問題ではなく、日本の政府自体の信用の失墜なのである。外国から見て、「日本はあの程度の人材しかいない国なのか?」と思われれば、日本企業の株価や、国債、通貨等の価格にも影響を及ぼす。それは、この不況のさなかにあって傷口に塩を塗るようなものである。

だが、いつも思うのは日本のマスコミが、国民に対して政治家の不祥事や読み間違いなどのミスを面白がって報道することに対しての疑問である。確かにテレビというメディアにとって、視聴率という分かりやすい数字を稼ぐためには、単調な国会の様子などではなく、スキャンダルを扱ったほうが効果的だという事は、ある程度は理解できる。だが、問題が矮小化され過ぎていて、国民に国全体の姿を見せるに至っていないのである。

2月16日に行われた衆議院財務金融委員会でも、肝心の国の財政状況や金融・経済を議論する以前に、G7前に中川財務金融担当大臣が飲んだ酒の量について、「飲んだのか?」という質問をし、それに対し中川大臣が「飲んでいない、嗜んだだけ」答え、それについて「嗜むのと、飲むのとはどう違う?」と突っ込むという場面があった。こうなれば、茶番を通り越してもう喜劇というしかない。その結果が辞任に繋がったのであるから、本人も笑うしかないだろう。もちろん酒と同じく苦い笑いだろうが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本が世界で埋没しないために

「人各々能、不能あり、我れ孔明たる能はず、孔明我れたる能はず」伊藤仁斎

伊藤 仁斎(寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。

深刻な雇用情勢の悪化を追い風に、今農業に熱い視線が集まっている。農林水産省が予算約12億円を投じて、平成20年度から始めた「田舎で働き隊!」事業の説明会に、大学生やリタイアした団塊世代の人々が殺到しているという。

田舎で働き隊!事業について農林水産省は、「農村の活性化には、それを担う人材が必要となるが、高等教育機関や安定した就業の場が少ないことなどから、農村では青年層を中心に都市部への人口流出などが進み、活性化の担い手となる人材が不足している。
一方、都市住民の間では農村への関心が高まっており、また、都市住民が農村と協働して農村活性化に向けた取組に携わり、外部の者ならではの「気付き」をきっかけとして、農村の活性化が進展している事例も見られる。
このように、都市と農村の協働は、農村の活性化を図る上で有効な手段の一つであると考えられるが、その推進のためには、農村と都市部等の人材をつなぐ有効かつ汎用性の高い仕組みの存在が必要である。
このため、「田舎で働き隊!」事業(農村活性化人材育成派遣支援モデル事業)において、都市部等の人材を農村の活性化のために活用するための人材の仲介業務を支援することとする。」と当該事業の必要性について説明している。

僕自身も、昨年7月6日に開催された「新農業人フェア」という帰農・就農の説明会に行ったことがある。そのときは正直言って冷やかし半分だったが、大学生くらいの人や、若い女性、退職後のサラリーマンらしき人、家族連れで来ている人もいて、すごい活気に満ちていた。
会場内には、日本全国から最先端の農業技術を持った農業共同組合や、農業法人などが集まり、各々のブースには説明を聞きに来た人による順番待ちの列ができていた。僕自身も幾つかのブースに赴いて説明を受けたが、殆どの農業プログラムは1年が1タームになっており、誰でもが参加できるほど気軽なものではないと感じた。

もちろん相手は動物であり、作物であるから遊びでやれる程生易しいものではない事くらい理解しているつもりだったが、本当に農業をやりたいという熱い想いがなければ、1年という期間は現在職業を持っている人間にとっては、ちょっとリスキーな賭けになる。もう少し気軽に農業を体験できる術はないものかとも思ったが、農業というものはどれもその位の時間を掛けないと、本当に体験したことにはならないという事が、各ブースの方々の説明から理解できた。

つまり、農業に多少の興味があっても、そこに飛び込むまでの障壁が高いのである。また農業・林業・水産業・伝統工業、そのどれもが後継者不足に悩んでいる。だが、後継者を育てるノウハウがなかったり、単純に賃金を払う余裕がなかったり、あるいは産業として衰退していっており折角育てても与えるべきパイがなかったりと、それら産業が抱える構造的な問題もある。

世界的な不況のさなか、日本を救う道があるとすれば、それは恐らく“日本らしさ”を極めることである。日本人には、世界でも類を見ない手先の器用さや勤勉さがある。また、治安の良さというのも諸外国に比べれば、まだ売りにはなる。それら日本人の強みを今こそ最大限に活かし、それを世界に向け発信することである。江戸時代末期~明治時代初期の文明開化の頃、日本は欧米列強に畏怖し、また憧れ、西洋の文化や慣習をこぞって採り入れた。そうやって、約240年の鎖国によって遅れた文明を取り戻そうとしたのである。

だが実際には、ドイツの医師・博物学者であるシーボルトがそうであったように、かつて西洋人が憧れた日本の美しさは文明開化と引き換えに失われてしまったと感じていたのである。その日本は今やすっかり、アメリカのコピー国となってしまった。しかし、日本が取り戻そうとした文明が実は虚像だったということが、今回の世界同時不況で明らかになったのだ。今からでも遅くはない、日本は自分の足で歩き出すべき時を迎えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦争とは、流血を伴う政治である。

「政治とは、流血を伴わぬ戦争である。一方、戦争とは、流血を伴う政治である」毛沢東

毛沢東(1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍人、思想家。中国共産党の創立党員であり、中華人民共和国の建国の父とされている。

イラク戦争後の復興支援のためクウェートに派遣されていた航空自衛隊の撤収業務隊が帰国した。自衛隊によるイラク派遣は、イラク戦争初期の2003年(平成15年)12月から行なわれていた。その目的は、イラクの国家再建を支援するためとされている。陸上自衛隊は「人道復興支援」のため、比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワの宿営地を中心に活動し、2006年(平成18)7月に撤収した。輸送部隊は2008年12月に撤収。その後も約130人の撤収業務隊が現地に残り、航空自衛隊への装備品送り出しや輸送任務で利用した施設の解体などの作業を進めていたが、今回の撤収で自衛隊のイラク支援活動はすべて終了した。

しかし、イラク戦争(第二次湾岸戦争)とは一体何だったのか。当時ブッシュ元大統領は、「イラクが大量破壊兵器を保有しており、それが世界にとって脅威になる。」等の理由から開戦に踏み切った訳であるが、実際には大量破壊兵器などは存在しておらず、その事が発覚してからも戦争をし続けるブッシュ政権に対して、世界の世論が一気にイラク戦争に否定的な見解を示すようになっていったことは記憶に新しい。その際ブッシュ大統領は「イラクの無条件査察の拒否に対して開戦したのであって、大量破壊兵器が存在するために開戦したわけではない。」とのコメントを発表し、イラク戦争の正当性を強調したが世界からの信用を失った後となっては、合理性に乏しい言い訳に過ぎなかった。

イラクのサダム・フセイン元大統領は、後のFBI(米連邦捜査局)の取調べで、イラクが査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした。」ためであり、化学兵器などの大量破壊兵器は「(第一次)湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった。」と証言している。そのことからも、当時のイラクは世界の脅威には到底なりえない軍事力しか有していなかったことが分かる。もちろんアルカイーダとの関係も噂されており、テロリズムの脅威という意味おいては、野放しにできない存在であったことは事実であるが、フランス、ドイツ、ロシア、中華人民共和国などが強硬に反対を表明していたにも関わらず、世界の国々を担ぎ出してまで実行する程の戦争であったのか、というと甚だ疑問である。

では、イラク戦争の真の目的は何だったか。最も多い見解が、まずイラクを親米化する事でイラン、シリア、その他反米諸国に「民主化のドミノ倒し」を起こさせる。その当時ブッシュ政権の中枢にいた、ラムズフェルド元国防長官をはじめとするネオコングループによると、フセインがアラブ世界で支持されることがイスラエルの危機につながると考えられていた。イスラエルは、元々ユダヤ人の国であり米国でも大きな支配力を発揮する彼らの思惑が働いたと考えられなくもない。

もう一つが、ブッシュ元大統領の個人的な権力欲。当時二期目の再選を目指していたブッシュ大統領は、経済政策をはじめとする諸々の政策で実績を上げられていなかった。そんな折起こったのが“911”のテロ事件。国内に燻っていたブッシュ政権への批判の目を外へと逸らし、国民共通の敵を作ることで政権に対する不満のガス抜きをし、なおかつ戦争に諸外国を参加させることにより、自国内の軍需産業を活性化し、景気対策としたのではないかという説。

それらは、どれも公式に裏付けのある見解ではないが、火のない所に煙は立たないというのもまた事実である。国内におけるモノ作りを軽視し、マネーゲームに奔走してきた米国が、今回の世界同時不況で負った傷は相当に深く、1兆1860億ドル(約90兆円)の財政赤字は地道に働いて埋められる程生易しい金額ではない。オバマ大統領に対する現在の期待が万一失望へと変わったとき、待っているのはカンフル剤的な景気対策を求める議会や、国内世論である。そのとき、オバマ大統領が反米的な国々に対して、新たな戦争を仕掛けないと誰が言えるであろう。日本としても、米国との距離のとり方を日米安保条約も含め、真剣に考え直すべきときに来ていると思うのである。それは、私たち国民一人一人が当事者になるであろう深刻な問題なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

芸術は人生のブドウ酒である。

「芸術は正直なところ、人生のパンではないが、ブドウ酒である。」リヒター「断片」

ジャン・パウル(1763年3月21日 - 1825年11月14日)はドイツの小説家。本名、ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター。

2月14日付けの報道によると同日午前2時過ぎ頃、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」で有名になった、東京都杉並区阿佐谷北の通称「トトロの住む家」から出火し、木造平屋建て約70平方メートルを全焼したことが明らかになった。

「トトロの住む家」は1929年頃建てられた洋風住宅で、約20年前に偶然この家を見つけた宮崎駿監督が、著書「トトロの住む家」で取り上げ、写真やイラストで紹介したことで、広く世間に知られる事となった。しかし昨年7月に所有者が転居して空き家となり、存続が危ぶまれた為、地元町会が保存を求める署名活動を実施。約6300人分の署名が集まった。

杉並区の計画によると、2008年度に土地約850平方メートルを購入。総事業費約4億円を掛け、2010年度に公園として整備することが決まっていた。警視庁杉並署は、放火の疑いもあるとみて調べているという。そうであるならば、ジブリ映画のファンにとっては大変な損失であるし、放火した人間がいるのだとすれば、まことに残念なことである。

この事業費が高額なことに批判的な人間の犯行ではないかと思い、2008年度東京都杉並区阿佐谷北の地価公示価格を調べてみたが、平米当り542,000円~491,000円であるので、杉並区が同公園事業費として支出する額としては妥当な金額であり、保存するための必要経費としては最低限必要な金額と言って差し支えないと思う。            

この不況の時期、一部のファンの為に区が約4億円もの事業費を投じて公園整備をすることに、それを快く思わない層がいるであろうことは想像に難くない。だが、そんな思いを持った人間の放火であるならば、好意的に見たとしても一番卑怯なアピール手段である。たった6300人程度の署名で約4億円もの支出を決める杉並区も、随分思い切った事をしたものだとも思うが、その決定に反対であるならば、同じくそれ以上の署名を集めるべきで、それをせずして放火という手段で抗議をしたというのであれば、絶対に許されるべきではない。

ただ、「トトロの住む家」の件には、多くの示唆も含まれている。大阪府を例にとると、橋下府政になってから多くのハコモノや事業の見直しが図られた。例えば大阪府立国際児童文学館、大阪センチュリー交響楽団、府立上方演芸資料館(ワッハ上方)であるが、これらを維持管理していく為には、多額の費用を要する。だが、無くして欲しくないと思う人も多くいる。だから結局は受益者負担という結論になってしまうのである。一部の人にだけ必要だという類のものの為に、増税をされては堪らないという人が少なからずいるのである。

文化・芸術を愛する人々にとっては、甚だ理解しがたいであろうが、「倉廩(そうりん)実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。」という言葉にもあるとおり、まずは経済的に余裕がなければ文化・芸術を愉しむ心の余裕も持てない。悲しいかなそれも現実のことなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

政治家に不可欠なもの

「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ。」ヴィクトル・ユゴー

ヴィクトル・ユゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランス・ロマン主義の詩人、小説家。

麻生太郎首相の郵政民営化に関連する迷走発言に対して、ついに小泉純一郎元首相が動いた。小泉元首相は2月12日、自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」に出席し、麻生首相のこれまでの迷走発言について「怒るというよりも、笑っちゃうぐらい、ただただ呆れている」と痛烈に批判した。

小泉元首相はまた、定額給付金問題を含む2008年度第二次補正予算関連法案についても「本当に3分の2を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていない」と麻生首相を牽制。法案が参院で否決された場合の衆院再可決に疑問を呈した。その上で「参院の意見と調整して、妥当な結論を出してほしい」と見直しを求めた。また「あの時は賛成したけども、実は反対だったとは言いたくないからね。」と麻生首相が今回した「私は郵政民営化に賛成じゃなかった。」という発言に対する意趣返しをした。

これほど、一国の首相の発言がフラフラすることも珍しい。何故これほどまでに発言が二転三転するのか?一つ目には、物事を余り深く考えずに発言していること。二つ目に、自分の中に根幹となるべき考えが定まっていないこと。三つ目に、周囲の意見を尊重し過ぎること。四つ目に、人間の心理というものに疎いこと。五つ目に、(これが一番問題なのであるが)自分に自信がないこと。

これら五つの原因は互いに関連して作用しあっており、重複する部分も含んでいるが、この点小泉元首相は、頑固なまでに主義が一貫していた。実施した政策には、功罪あって手放しで評価はできない部分も多い小泉氏ではあるが、こと発言ということに限って言えば、非常に分かりやすく、かつエモーショナルであったため、有権者も郵政民営化の何たるかを深く考えずに、当時自民党に投票した人も多かったであろう。麻生首相の「有権者は郵政事業4分割について理解していなかった。」という発言は、あながち的外れとも言えないのである。だが、投票した以上は有権者に、その分割方法について異論を述べる資格はない。

政治家たるもの、日本をどう導いていくのかというビジョンを明確に持っていなくてはならない。また、目先の選挙のことばかりを気にして発言や行動をしていては、大きな事業を実行することはできない。選挙民の意思を、代理して国会に持って行くべき国会議員が、自己の保身ばかりに汲々としていては、選挙民から見放されるのは当然である。私たちは選挙活動中にだけ頭を下げる政治家を見ることにも辟易としている。自分の発言や主義にはもっと自信を持って任期をまっとうして欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クローン技術で人は幸福になれるのか?

「死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。」ソーントン・ワイルダー

ソーントン・ワイルダー(1897年4月17日 - 1975年12月7日)は、アメリカの劇作家、小説家。

平成21年1月23日発行の「Theriogenology」誌に掲載された研究論文によると、2000年に絶滅したブカルドというヤギの一種がクローン技術により復活したという。しかし残念ながら、その命は誕生からわずか数分間しか持たなかったそうである。絶滅に瀕した種のクローン作成はそれまでにもあったが、公式に絶滅が確認されている種に応用した事例はこれが初めてのことだという。

記事によると、当時狩猟の対象とされたブカルドは200年の間に個体数が激減した。今回使用した冷凍保存の皮膚サンプルは、その最後の1頭から1999年に採取したもので、皮膚サンプルから抽出したDNAを、本来の遺伝物質を抜き取った家畜ヤギの受精卵に注入してクローン胚を作成したものだという。

それにしても、すごい時代になったものである。つい先日もアメリカに住む女性が愛犬のクローンを、韓国にあるRNL BIO社に5万ドルの料金を支払って蘇らせた事がニュースに取り上げられた。RNL BIO社はクローン犬や絶滅危惧種のクローンの「製造」実績がある企業で、「体細胞核移植」と呼ばれる、卵子の核を取り除いてクローン元の遺伝子を持つ細胞を注入する技術を用いてクローンを製造するそうだ。

しかし、クローンの作成が成功したといっても、それが即マンモスや恐竜のクローン作成に繋がると思うのは早計に過ぎるというものだそうで、たとえクローン胚を作れたとしても、大昔に絶滅したそのような動物種にはクローン胚を体内に宿す適当な代理母が存在しないという理由で、技術的にはまだいくつものハードルを越えねばならないらしい。

今回のブガルドのクローンも208個の胚を移植したが、妊娠に至ったのはわずか7ケースで、うち実際に誕生したブカルドは1頭だったという。ただしそのブカルドの新生児も、誕生してからすぐに呼吸不全で死亡している。解剖の結果、肺組織の異常が確認されたがほかのすべての臓器には問題がみられなかったという。クローン個体のDNAはドナーと同一であっても、細胞間でDNAを移植することで発達時に異常が生じる可能性が高いという。

倫理的にも日本ではまだまだ受け入れられそうにないクローン技術であるが、技術的には動物のクローンよりも人間のクローンの方が簡単だという技術者もおり、そうなれば映画「ペットセメタリー」の世界も、いずれ現実のものとなる。あの映画では、呪術の力を借りて生き返らせたが、クローン技術はそれにも匹敵する芸当をやってのける夢のような技術なのである。

だが、忘れてならないのは、万一見た目がまったく同一の人間を蘇らせる事ができたとしても、記憶までもが一緒でないと本当に蘇ったことにはならないという事だ。それはあたかも、記憶喪失になった人間のごとしである。自分に強い思い入れがあっても、相手がそれをまったく知らないという状況を想像してみて欲しい。その時のショックは、相手を失った時以上のものなのではないだろうか。思い出は心の片隅にそっとしまっておく方が、良いと思うのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

絶対に負けられない戦いとは

「私はバッジョをピッチに送り出す時、一つだけ指示をする。『90分間で一度だけでいいから君らしいプレイをしてくれ』とね」 カルロ・マッツォーネ

カルロ・マッツォーネ(1937年3月19日 - )は、イタリア・ローマ出身のサッカー監督。

2月11日(水)サッカー南アフリカワールドカップアジア最終予選第4戦、日本×オーストラリアの試合が行われ、0-0のスコアレスドローに終わった。結果オーストラリアが勝ち点10となりグループ1の1位をキープ、日本も勝ち点8で2位をキープした。この試合、日本代表としてはホームゲームでもあり、どうしても勝って勝ち点3を稼ぎ、オーストラリアと同率首位にしておきたかったのである。というのも後に控えるバーレーン戦、アウェーゲームのオーストラリア戦を余裕を持って戦いたかったからである。

最終予選では、10チームがグループ1とグループ2の2つに分かれ、各組上位2チームまでがワールドカップ本大会に進出。3位同士はプレーオフを行い、さらにオセアニア地区1位との大陸間プレーオフを戦い、勝ったチームがワールドカップに出場する機会を得る。つまり、ぎりぎりの位置をキープするのではなく、1位をキープしておかなければ、万一3位にでもなった場合には、余計に2試合を戦い、それに勝利する必要に駆られてしまうのだ。

それにしても、私たち日本人は贅沢になったものだ、一昔前つまり「ドーハの悲劇」で有名な1994年アメリカワールドカップの時代なら、ワールドカップに限りなく近づけたというだけで、拍手喝采ものだった。それで当時代表の主要選手だったラモス瑠偉や三浦知良は英雄になれたのだ。その後「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1998年フランスワールドカップ、2002年日韓共催のワールドカップ、2006年ドイツワールドカップを経て、私たちの中で日本はワールドカップに行って当たり前、という感覚がすっかり定着してしまった。

人間の欲求が、段々エスカレートしていくことは「マズローの欲求五段階説」でも説明されつくしていることであるが、それにしても最近のマスコミ等の報道には辟易とするものがある。1試合負けただけで、すぐに「岡田監督解任」やら、「次期監督はヒディンクかベンゲル」など、人やチームを長い目で見ようともしない。もちろん競技である以上は勝つことも大事な事である。勝つことを第一義としないのでは、日本国としてその競技に金を出すこともできない。

しかし、日本代表がワールドカップに行けなかったところで、世界が滅ぶわけでもあるまい。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある。」と実況の川平慈英が叫んだところで、世の中に絶対に負けられない戦いなど、そうそうあるものではない。それは、勝たなければ命を落としたり、守るべき大事な何かを失い、二度と取り戻す事ができない。そんな、緊迫したシーンにのみ使われて良い言葉だ。

ワールドカップ予選などは選手にしても、敗戦のあとに「気持ちを切り替えて、次の試合頑張ります。」という、所詮その程度のものなのだ。サポーターやマスコミももっと広い心で、チームや監督の事を応援して欲しいものだ。90分間で一度のファンタジックなプレーで観客を魅了する、ロベルト・バッジョのような選手の不在も残念な事ではあるのだが・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

先人の知恵に学ぶ

「賢者とテーブルに向かい合って一対一の会話は、十年間にわたる読書勉強にまさる。」ロングフェロー

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807年2月27日 - 1882年3月24日)は、アメリカ合衆国の詩人。

今日ある人のお宅を訪問した際、その人の畑で採れた水菜を貰った。その方の家にお邪魔したときには、いつも色々なものを貰う。大体は畑で採れたものが多いが、行けば色々な菓子をだしてくれたりして歓迎してくれるのだ。その方の家には、近所のお年寄りの友人たちがいつも集まっているのだが、僕が行ったときには仲間に入れてもらって、地元の話や昔の話を聞かせてもらう事にしている。

新聞などに載らないそういう口コミ情報というものが、僕にとっては意外に有難く、また面白いのだ。確かにお年寄りの話は大体において長く、同じことの繰り返しになることも多いので、テンポが遅く我慢を必要とする場面もあるが、先人の知恵というのか、年の功というのか、さすがに人生の経験を積んでいるだけあって、ヒントになる事がいっぱいあり、いつも勉強させていただいている。

例えば戦争の話などもそうであるが、終戦から64年も経つと実際に経験した人が少なくなってくる。その戦争を経験した人が口を揃えて言うことは、映像や本などで語られるそれは、得てして綺麗に脚色がしてあり、生々しくグロテスクなこと、為政者にとって都合の悪いことは全部カットされている、というのだ。

本当に悲惨な戦場の様子は、フィルムが消失したり、生存者が残っていない為、記録として残されていないのだそうだ。そう言われれば確かにそうなのである。本当に語り継がれるべき歴史は消滅し、あるいは為政者の都合で一般人の目には触れることのないままお蔵入りしてしまう。

だが、もっと恐ろしいのは、現実に戦争を経験した人達がこの世からいなくなった時である。人間の想像力には自ずと限界があり、自分の経験から似た情報を記憶の片隅から引っ張り出してきて、未知の出来事が起こった時、頭の中で自分が理解しやすいように変換する。だが、それは近似値であって、正解ではない。実際と想像の間には自ずと隔たりがある。

人間の想像力というものは、所詮その程度の精度なのである。その人間にとって、大事な実体験の語り手がいなくなったとき、誰が戦争の悲惨さや恐ろしさを伝えていくのか。前述したような本や映像は、とても真実の歴史を伝え切れているとは言えない。そんな媒体で、追い付けるほど現実の歴史は甘くはないのである。今この時代に、もっとお年寄りの意見を聞き、その知恵を生かさねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦国武将が女性に人気なのは?

「われわれは、われわれの歴史のなかにわれわれの未来の秘密が横たはつてゐるといふことを本能的に知る。」岡倉天心「東洋の理想」

岡倉 天心(1863年2月14日 - 1913年9月2日)は明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者。

最近、戦国武将が若い女性の間でアツいらしい。きっかけは、「戦国BASARA」というプレイステーション2用のゲーム。様々な戦国武将が所狭しと走り回り、何百人もの敵を剣を使った必殺技などでなぎ倒すアクションゲームである。ちなみに、人気武将は1位真田幸村、2位伊達政宗、3位上杉謙信だそうで、そのような戦国武将を好きな若い女性を「戦国乙女」と言うらしい。でも、戦国武将と言えば、昔は男性が憧れる対象と相場が決まっていた。では、何故今若い女性に戦国武将がウケているのか。

これは、ゲームの影響が大だと思うが、戦国武将がそれぞれものすごく美形に描かれており、かつ声の渋い声優がアフレコをしている。これだけでも、人気は出そうなものだが、その上それぞれの武将に個性を際立たせるエピソードがあって、キャラクターをより魅力的にしている。それに日本男性が無くしつつある、“父性”や“男気”“強さ”を彼ら戦国武将に求めているというのが、一般的な見方である。

一般的に女性は男性に比べて歴史、特に日本史には興味を持ちにくいと言われる。それは脳の仕組みによるものなのであるが、その女性が歴史に興味を持つことは決して意義の少なくないことである。僕自身もそうであったが、歴史についての本を読んだり、映像を見たりしたことで、現代がなぜ今のようになっているのか。その当時起こった事にどんな意味があったのか。一つづつ紐解いていくことで、それらがあたかも織物のように幾重にも折り重なって、互いに作用していることが理解できるようになる。

その上で、今まさに起こっている事、これから起こるであろう事を考えたとき、人が経験則から判断するのと同じように、歴史をなぞってみると、未来に起こりそうな事もなんとなく分かってくると思うのである。昔はありがちに「過去のことなんて振り返ってどうするんだ」と思っていた時代もあったが、今は自分史も含めて過去を知り、それについて考察することは一種の趣味のようになってしまった。

過去について知り、未来に起こりそうな事について想像する力を養えば、今起きているような巨額詐欺事件や、安易に他人を殺傷するような事件など起こらないと思うのだ。つまり、それらの人物は押し並べて自分が起こした事件のその後について、想像する力が欠如しているのではないかと思うのである。近視眼的に物事を捉えるのは、それほど恐ろしいことなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金銭への強い執着心

「金は奴隷となるか、さもなくば主人とならん。」ホラティウス

クィントゥス・ホラティウス・フラックス(紀元前65年12月8日 - 紀元前8年11月27日)は、古代ローマ時代の南イタリアの詩人。

突然だが、日本テレビ系列で毎週土曜日21:00から放送されているドラマ「銭ゲバ」から目が離せない。主人公は俳優松山ケンイチ。原作はジョージ秋山で「週刊少年サンデー(小学館)」に1970年(昭和45年)13号から1971年(昭和46年)6号まで連載された。

原作のあらすじは、「優しい母親とろくでなしの父親との間に生まれた、左目に生まれつき醜い傷のある主人公が、幼い頃に貧乏であるがゆえ様々な苛めや迫害に遭い、成長するにつれ徐々に歪んだ人格になっていく。長じて大企業の社長一家に取り入り、陰で金銭の為に殺人を繰り返すことになる。遂には、社長一家を死に追い込み、企業の乗っ取りに成功し、政界進出も果たす。しかし、栄華を極めた主人公も最期には・・・。」という成り上がりもの。

ドラマ版では原作と比較して、時代背景と左目の傷の成り立ちに違いがあるものの、主人公の金に対する執着心や、成り上がっていく為の周到な根回し、その主人公に集る父親、主人公に骨の髄までしゃぶり尽くされる人のいい社長一家、その昔主人公に弟を殺され、悪の限りを尽くす主人公の尻尾を捕まえようと執拗に追いかける刑事など、魅力的でひと癖もふた癖もある登場人物がドラマに一層の深みを加えている。

僕が衝撃を受けたのは、主人公が口癖にしている程の「銭ズラ。」「金のためなら、なんでもするズラ。」という徹底した拝金主義思想。その言葉を口にしているときの目のギラつきは、私達に忘れかけていたハングリー精神を思い起こさせてくれる。また、主人公には「人間に大事なのはお金じゃない、大事なのは心。」という、母親が生前口にしていた言葉を信じたい気持ちも片隅にあり、潰れかけの定食屋の人々が本当に金じゃなく、心を大事にして暮らしているのを目の当たりにして、心が揺れ動いたりするのである。

ドラマの劇中では現在の「派遣切り」の問題や、「格差社会」の問題にも切り込んでおり、主人公の「格差なんて今に始まったことじゃない。昔からあったことだ。」「貧乏人はいなくてはならない。そうでないと金持ちが困るのだ。」という言葉には、私達が日頃思っていてもなかなか口にすることが憚られるような社会への風刺が込められており、妙に考えさせられるのである。

この主人公に反感を覚えるのか、応援したい気持ちになるのか、あるいは共感するのか、それは視聴者の生い立ちや境遇によって、まったく違う感情を抱くであろうし、人によっては主人公が荒み過ぎているので、吐き気すら覚える人もいるだろうが、僕は主人公を支持している。そのような生き方をしていて、決して幸福にはなれないと思うし、金持ちになったところで主人公に心の平穏が訪れるとはとても思えないが、ただボンヤリと生きているよりは幾らかはマシだと思うのである。決して賛成できる生き方ではないが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

福沢諭吉「心訓」

「一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
 一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
 一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。」 福沢諭吉「心訓」

福沢 諭吉(天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士)、著述家、啓蒙思想家、新聞時事新報の創刊・発行者、教育者、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者。

上の一節は、僕が幼い頃より実家の壁面に貼られている福沢諭吉の「心訓」といい、七則からなる教訓である。実際には福沢諭吉の作ではないらしい事が分かっているが、この際そのような事は問題ではない。文中に書かれている事はどれも大事な事ばかりで、一つとして無駄なものはないのであるから。

この教えをずっと見ながら育った僕ではあるが、実を言うと昔はこれが壁に貼ってあるのが嫌でたまらなかった。その文字を父が書いたということもあって、何やらいつも父から説教されている気分になるのだ。

そんな事情で、昔は見るのも嫌だったこの「心訓」が、ある年齢から妙に心に馴染むというのか、一々合点がいくようになった。恐らく学校を卒業して、社会に出て働くようになってからの事であろうと思う。そんな中、自分が心底打ち込める仕事になかなか出会えなかったり、それどころかするべき仕事がなかったりした時代もあった。

現在やっている仕事は、血筋というものもあってか僕にとっては天職とも言える仕事である。もちろん、その中でも不得手なものがあったり、時には想像を絶するようなトラブルに巻き込まれたり、何かと気苦労も多く、気乗りのしない時もあるにはあるが、大局的に見て毎日が楽しく、また充実し、人様からの信頼も得、そして何よりその人達の為に自分の持てる力を存分に振るえる機会がある、ということが僕にとって生きる目的となっているのである。

それが持って生まれた“天運”なのか、自分から掴み取ったものなのか、今の僕にはまだ答えは出ない。だが人生という長い旅路の果てに、ふと振り返った時、自分が生きている間に為したことは、自分のためだけではなく、周囲の人々やひいては世界の人々にとって少しでも有意義なことであったのだと思いたい。そういう生き方を志向したとき、福沢諭吉の「心訓」は珠玉の言葉の数々で、自らの進むべき道を優しく照らしてくれるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

精神は時間を凌駕する

「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」サミュエル・ウルマン

サミュエル・ウルマン(1840年 - 1924年)は、アメリカ合衆国の実業家、詩人、教育者

今日ある方と会って話をした。その方は大正11年生まれであるから御年87歳である。その方から相談したい事があるとの申し出を受けて自宅兼オフィスに訪問した。

その方の持論は、薬を服用することが逆に身体を蝕み、本来人間が持っている自己回復能力を低下させるというものである。その考えに基づき薬をまったく使わずに、様々な病気の原因を取り払うマシンと、その診断システムを開発したのだという。そこで僕に対しての相談内容は、どうすればそのマシンとシステムを世の中に広めることができるのか?ということであった。僕が相談に対してどう答えたのかは、本題ではないので割愛させて頂く。

その方は、現在の仕事をする以前、百貨店向けに帽子などを卸す商社の営業マンをやっておられたそうだが、ある事がきっかけで薬漬け医療の現状に危機感を憶え、薬を使わない治療の方法はないものか、と考えたことがきっかけで30代の頃この世界に飛び込んだそうだ。僕にとって医療の専門的な話は、正直理解しにくい部分もあったが、薬を使わずに病気が治ったり、体質が改善されるならば、今の医療費の肥大化の問題や、地域の医師不足の問題も解消され、日本の国益にも適うのではないかと思う。

だが、僕が驚きを持って話を聞いたのは、そういうことではなく、むしろ87歳という年齢になっても未だ衰えぬ夢や希望をその方が持っているからに他ならない。曰くそのマシンとシステムの量産を大企業に発注するのではなく、東大阪や堺の高い技術力をもった中小企業と一緒に生産し、地元経済の浮揚に寄与したい。曰く橋元知事に掛け合って、大阪発の未来医療を世界に向け発信していきたい。

曰くみんなが健康で平和に暮らせる世の中を創る手助けをしたい。そして何より人生の最期に病気で苦しまずに安らかに天寿をまっとうできるようにすること。僕はそんな夢や希望を生き生きと語るおじいさんが存在するということが、今の日本の若者達にとって何物にも勝る人生の教科書になり得ると思うのである。

その後も、経済の話や戦争の話、飼っている猫の話などで盛り上がったが、その話はまたの機会に・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

見切り千両 無欲万両

「貯蓄十両 儲け百両 見切り千両 無欲万両」邱 永漢

邱 永漢(1924年3月28日 - )は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれる。

皆さんは神王リョウ(本名:山本亮)という人物をご存知だろうか。「~28歳 月収2000万円~夢を生きる幸せなお金持ちへの、成功法則!~」の著者であり、総資産は30億円以上とも言われるカリスマ投資家である。恥ずかしながら僕は知らなかった。だが、神王氏の生活ぶりや、言動などに人間の本質を見た気がして、妙に興味を持ってしまった。

2月5日の産経のWEBニュースの中に神王氏のインタビューが掲載されていたので、その発言の一部を抜粋してみると。

1.食事は1日1食コンビニ弁当
「でも風邪もほとんどひかないし、大きな病気はしたことがない。半年に一度、健康診断を受けてますが問題はない。1食はだいたい夜中の2、3時くらいに食べる。」

2.徹底的な合理主義
「人間が最もエネルギーを使うのが消化活動。だから昼間働いている時に消化でエネルギーを使いたくないんです。」

3.睡眠時間は3時間で相場が開く9時に起床
「3時間睡眠でも健康でいられるように、と試したサプリは100種類以上。毎日10種類近く飲んでます。健康には非常に興味がある。健康になれば、同じ1時間で倍の仕事ができるようになるじゃないですか。」

4.独自の投資スタイル
「僕、新聞も読んだことないんです。よくパソコンを何台も並べて四六時中情報に囲まれている人もいますが、そういう投資スタイルは僕には向いてない。疲れるだけ。」

5.デジタルの世界の中に居ながら、アナログな人間心理を重視
「投資家は4勝6敗で十分。イチローもそう、4割でトップバッターです。じゃあ、なぜ利益が出るか。4回勝った時に大きく利益を出し、6回を小さく負ける。負けは難しい。損切りをいかに早くできるか。自分との闘い。心理学が大きくかかわっているわけなんです。」

6.金に溺れることなく、本当に大事なものを見失わない
「お金を手にして変わったことは選択肢が増えたこと。ラーメン店行ってもトッピングが頼めなかったのが、頼めるようになったとか。でもお金を持ったら幸せになる、は嘘。自分が心からやりたいことをやらないと幸せになれない。僕はお金の面では成功したが、心の中には物足りなさがあった。それは何なのか、探していた。」

7.ポジティブで、行動することを是とする
「やるか、やらないか悩んだ時、絶対にやるを選ぶ、が僕のルール。失敗も何年後かには絶対にいい経験になっているはずですからね。」

サプリメントで、健康維持をするという点については賛同しかねるが、いわゆる投資家と呼ばれる人物の多くが、どちらかというと内向的で引き篭もりがちなイメージの強い中で、“行動する”ことを重要視し、また金を稼ぐことを目的とせず、それを夢を叶えるための手段であると割り切っているところが、他の投資家とは一味違う点である。

また、多くの投資家がデータや、グラフなど無機質な情報から投資行動を決定するのに対し、神王氏は心理学をもとにしている点が面白く、特に損失が膨らみそうな時の見切りへの感覚がすばらしい。凡人は負けが込んでくると、それを必死で取り戻そうとして、より深みにはまっていくという失敗を重ねる。かの天才軍師、魏の司馬懿仲達も派手さはないが、負けない戦いをすることを第一とした人物である。最期に勝利したのが同じ天才軍師でも、派手な戦いや奇策を得意とする蜀の諸葛亮孔明でなかったことは、ただのラッキーだけではないのである。

ただ、これだけ金を稼いだ人間が行き着いた結論が、「金だけでは幸せにはなれない、自分が心からやりたいと思うことをやらないと幸せにはなれない」であり、自ら行動を起こし、そして夢を実現した人間のみが持つ重みがあって、私たちにも大いに参考になる部分がある。ちなみに、神王氏は今年の4月に念願が叶ってロックバンドとしてデビューするそうである。なんとも名前負けしない人物である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

取り上げた傘がボーナスに化けた!?

「銀行家とは、日が照っている時に時に人に傘を貸し、雨が降り出した途端に返してくれと言ってくる連中である。」マーク・トウェイン

マーク・トウェイン(1835年11月30日 - 1910年4月21日)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。

アメリカ人の常識には度々驚かされるが、今回の件は腹に据えかねる思いをする方が多いのではないだろうか。サブプライム問題からリーマンショックへ脈々と続く世界同時不況のさなか、企業業績の悪化に対する金融安定化法に基づき、政府から公的資金の注入を受けた各金融機関の経営陣が2007年度に合計約16億ドル、一人当たり平均260万ドルもの高額な報酬や賞与を受け取っていることが分かった。また、各銀行が証券取引委員会に提出した年次報告書によると、資本注入を申請した金融機関は計116行に上り、これまでに1880億ドル税金が使われたことも分かっている。

これに対しオバマ大統領は、近くこれら金融機関経営陣の報酬制限などを発表する。オバマ大統領は予てより、これら経営陣の高額な報酬や賞与について「国民の税金で救済してもらっているこの時期に、あまりにも無責任であり、恥ずべき行為だ」と語気を強めており、彼らの報酬を大統領の年間給与とほぼ同水準の50万ドルまでに制限する方針である。オバマ大統領が考える新たな金融機関支援対策では、これら金融機関が抱える不良資産の買い取りや、追加的な公的資金の投入が必要になる見通しで、国民がこの不況で困窮しているさなかに、厳しく報酬制限を設けることが、理解を得るためには不可欠であるとの判断である。

日本でもかつて、1991年2月のバブル経済崩壊の折に公的資金が投入されたが、1995年12月住宅金融専門会社処理のため6850億円が投入された事を皮切りに、1998年3月には銀行21行に対して約1兆8000億円、1999年3月銀行15行へ約7兆5000億円もの税金が、国民生活が逼迫している時に湯水のように使われた。しかも、これと同時に公定歩合の引き下げや、量的緩和政策が施され、それまで保有していた資産が一気に値崩れを起こした。

つまり、アメリカでもかつての日本と同じような状況が起きている訳であるが、国民感情はおよそ両国とも同じようなものであろう。即ち「銀行屋は景気のいい時には自分達だけ儲けて、儲からなくなったら途端に国に助けてもらうなど、なんて都合のいい奴らだ!」と。確かに僕自身もそう思う部分もある。昔からよく使われる喩えで、「銀行家とは、日が照っている時に人に傘を貸し、雨が降り出した途端に返してくれと言ってくる連中である。」という表現がある。なんとも非情に思えるこの喩え話であるがこれは紛れもない真実である。現実に金を必要としている人間には、銀行はなかなか金を貸さない。反対に金が余っている人間には、向こうから借りてくださいと言ってくる。それが世の中のリアルな姿なのだから、実に世知辛い話である。

ただ、考えてもみれば、これは至極当たり前の話で、返してくれそうにない相手に貸してばかりいると、銀行経営としては放漫の謗りを免れないのである。確実に返してくれそうな相手にのみ金を貸すのが、銀行としては一番健全な経営なのである。そんな当たり前の経営をしてこなかった事が、今回の世界同時不況に繋がったのだと考えれば、たとえ傘を取り上げられても大きな心で許さねばなるまいか・・・。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

溺れた時に藁をつかんではならない!?

「良心なき知識は人間の魂を滅ぼす。」ラブレー

フランソワ・ラブレー(1483年 - 1553年4月9日)はフランス・ルネサンスを代表する人物で、「ガルガンチュワとパンタグリュエル」で知られる。

「泣きっ面に蜂」とは、まさにこのようなことを指すのであろう。米国でサブプライムローンの返済が滞り、住居を差し押さえられる人が急増しているが、そんな弱みに付け込んで現金を騙し取る詐欺の手口が横行している。

サブプライムローンとは、「プライム層」つまり、優良顧客向けではない層向けの補完的なローンを指す。日本では、低所得者向け住宅融資だと捉えられているが、実はそうではなくいわゆる信用度の低い、デフォルト(債務不履行)の可能性が高い層に対してのローンのことである。

全米の数万人が被害に遭ったとされる今回の巨大詐欺事件であるが、米国の報道筋によると、「差し押さえ回避会社」などと称した業者がまず、ウェブサイトに広告を出したり、債務者にダイレクトメールを送りつけたりする。しかるのちローン返済に行き詰まった人から相談を受けると、「債権者である銀行と交渉し、このまま住み続けることができるようにします」などと詐言を呈し、その手続報酬を現金や銀行振込みなどで前払いさせる手口が一般的であるという。

債務者からすれば、このような事態になれば再起不能である。ただでさえ、生活資金に窮しているところ、住む場所も奪われ、その上手元に残っている僅かの当座資金まで失ってしまっては、自己破産するしかなくなってしまうだろう。ただ、その自己破産ですら実際には相応の手続き費用が掛かるのであるから、それもできないとなれば後は夜逃げをして痕跡を消してしまうしかなくなる。もちろんすぐに債務がなくなる訳ではないが、そのうちその債務も消滅時効を迎える。もちろん時効の中断はあるが、債権者としても回収見込みのない債権に拘るより、適正な時期に損失処理をした方がコスト的にも見合うであろう。

そもそもこのサブプライムローンには本質的な欠陥があった。つまり住宅としての担保価値の算定段階における欠陥と、借り手(債務者)の信用力の調査段階における欠陥である。それをファンド方式にして、世界各地にバラ売りし貸倒れリスクを分散するあたりは、さすがに金融先進国たる面目を保っているが、根本的な部分、つまり金融屋としての商売の基本が抜け落ちてしまっているのだから、早晩破綻するのは目に見えていたのである。

この問題に対し、米連邦捜査局などは詐欺グループの摘発に全力を挙げるとともに、詐欺の手口を公表することで、これ以上被害者がでないよう取り組みを続けている。だが悪質業者の中には債務者の救済をする為の慈善団体であるかのように装う者もおり、その手口が巧妙である為、債務者の目には正式に政府から認められた団体との区別がつきにくく、さらなる被害が拡大することが懸念されている。

溺れた時に藁にすがってしまう人間の気持ちは分からなくもない。本当に窮地に立たされると、冷静な判断ができなくなることも理解できる。だが、日頃から自分なりに情報を集め、将来に潜んでいるリスクへの対処方法を予め用意しておくことはできる筈である。もちろん、知性にも個人差があるから、そんな時こそ周囲の人間がカバーしてあげないといけないのだが、今回の米国での事件は、そんな人間の良心を逆手に取った事件だけに余計に憤りを感じるのは、僕だけではないはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いま中国に学ぶべき事とは

「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである。」 ミル

ジョン・スチュアート・ミル(1806年5月20日 - 1873年5月8日)は、イギリスの哲学者にして経済学者であり、社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた。

先日日本の非正規雇用者の約12万5000人が今年の3月までに職を失うだろう。という内容の報道があったが、今中国ではそれとは比べものにならない程の失業者が出ている。

中国共産党が2月2日、農民工約1億3000万人のうち、15%強の約2000万人が金融危機による工場閉鎖などで失職したことを明らかにした。農民工とは、農民でありながら雇用主に雇われて働く肉体労働者の呼称であり、特に貧困地帯である内陸部の出身者が沿岸部を中心とする都市へと流入し、単純労働者として軽工業に従事する者を指す。

中国の人口が現在12億7627万人、対する日本が1億2776万人であるから、約10倍の人口である。この数値を基に今回の中国の失業者問題を日本に置き換えてみると、約200万人が失業した計算になるのである。先日の日本の失業者が約12万5000人であったから、日本のじつに16倍の失業者が出た計算になる。

日本においてすら、失業問題がこれだけの社会現象になっているのに、中国においてはその16倍の失業者が出ているのだから当然大問題になる。中国共産党の関係筋は、農民が起こす暴動や抗議行動は、これまでは土地の強制収用や環境汚染などが主な原因となっていたが、これ以後失業が新たな要因になる可能性があるとの見解を示している。

中国においては、昨年8月24日まで開催された北京オリンピック景気が一段落すると、都市部で大量の失業者が出ることは当初から予想されていたことである。日本においても愛・地球博や自動車産業のお陰で景気の良かった愛知県で最も多く約2万人の失業者が出ているが、中国都市部のそれは一段と深刻である。

その背景には1978年に当時の共産党総書記である鄧小平が主導した市場経済の導入(「改革解放政策」)がある。その結果、沿岸部を中心に急速に工業化が進むこととなるが、それと同時に沿岸部と農村部における地域的経済格差を生み出す原因となったことは記憶に新しい。それ以前の中国では戸籍に「農業戸籍」と「非農業戸籍」の二種を設け、人口移動を厳しく制限し、就職先としても国営企業しか存在していなかった。それが改革開放政策後には人口移動も自由化し、それまでも貧しかった内陸部の人々が沿岸部に職を求めて移動するようになった。それ以後彼ら農民工は都市部の単純労働者として現在の中国の経済発展を下支えしてきた。

だが恐るべきは、中国の経済成長力である。不景気で成長率が鈍化したとはいえども2008年度も9%を維持している。これはひとえに人民の「豊かになりたい」という枯渇した気持ちが根底にあるのではないか。かつての日本が昭和20~30年代に経験したような事が今まさに中国で起きているのである。家の中に便利な電化製品が増えたり、マイカーを所有したり、毎シーズン流行の洋服に着替えたり。そういった一般消費者レベルの購買欲求は、少々の不景気でも挫折することがない。つまり将来に対して希望を持っているからこそ、国全体としても底力を失わないのである。

そう考えると、物質的に満ち足りてしまった感のある日本の場合には、この状況を打破するには時間が掛かるかも知れない。これから、物質的ではない精神的な豊かさとは何か、ということを真剣に考え直す時代の転換期が到来している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

すべて多く与えられた者は、多く求められる。

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」新約聖書「ルカによる福音書」より

日本の国技とも言われる大相撲の世界に、スキャンダルの嵐が吹き荒れている。それにしても大麻というものは、かくも人を狂わせるものなのか・・・。

神奈川県警は2月1日、大相撲の十両力士、若麒麟真一(本名・鈴川真一)容疑者(25)の大麻取締法違反容疑事件で、同容疑者を送検した。県警の調べに対し、若麒麟容疑者は「ヒップホップが好きで、三年前から音楽CD販売店の事務所に出入りしていたら大麻を吸っている人がいて興味を持った」と供述しているという。

若麒麟容疑者は、元露鵬や元白露山が解雇された原因となった2008年9月のドーピング検査の簡易検査では陰性だった。その後再検査を2回受けたが、それでも陰性であったという。こうなると、ドーピング検査の信頼性についての疑念が出てきてしまう。陰性だった他の力士達も、実際にはどうだったのか、と訝る気持ちになるのは僕だけではあるまい。それほど今の大相撲の世界は、八百長疑惑も含め信用が地に墜ちてしまっているのだ。

大麻について少し調べてみると、今回事件になっている大麻とは、一般に乾燥大麻(マリファナ)といわれるもので、出回っている大麻の約80%がこの乾燥大麻であるという。タバコやコカイン、ヘロインなどと比べ、精神依存度や身体依存度が低く、オランダやインド、ラオス、ジャマイカ、イビザ島、モロッコなどの国や地域では、個人が嗜好品として使用する程度の量なら、刑法に抵触しない為、日本人の中にも大麻の吸引をその目的のひとつにして観光する人も少なくない。

ただ日本においては、麻薬及び向精神薬取締法等において、輸出入・所持・販売・譲渡・栽培等について明確に規制されており、違反すれば当然のことながら懲役刑が科される事がある。故に日本国内で生活する者はすべからく定められたルールに則って生きていかねばならない。その法律がどれだけ時代に則してなかろうと、それはいい訳にはならない。まして大相撲の幕内力士ともなれば、国民の模範とならねばならない存在である。

フランスにノーブレス・オブリージュ (noblesse oblige)という言葉がある。「貴族の義務」あるいは「高貴な人間の義務」という意味の言葉で、一般的に財産、権力、社会的地位を有する人間には、それに相応した責任や自覚が伴う、という考え方であるが、テレビなどの公共性の高いメディアに出て活躍する力士は、それなりの社会的義務が伴うことを自覚せねばならない。それがプロスポーツの世界で生きていくという事の意味であると思うのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »