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リビングウィルについて考える

「死のない生とは何か?死がなければ生を重んじる者はないだろう。」ボスハルト 「日記」

先日、友人が家に遊びに来た際、最も幸せな死に方は何か?という話題になった。その友人の職場でも偶然にして、その話題になったそうだが、彼女の職場で得られた結論は、「相手がドラキュラであり、血を吸われて、気持ちよく徐々に意識を失いながら死ぬ。」だそうだ(笑) 絶対にあり得ない話ではあるが、その気持ちは分からなくもない。つまり、死を迎えるに当たって、痛いのや苦しいのは嫌だということだ。とにかく楽に、かつ幸せを噛み締めながら死ぬのが理想であると彼女はいう。

その流れで、リビングウィルの話題になった。人間が自らの意思で、生命に終止符を打つことは是か非か?ここで言う終止符を打つとは、もちろん自殺の話ではない。つまり、絶対に助からない病になって、これ以上の治療を続けても、本人にとっても家族や周囲の人間にとっても、精神的・肉体的・経済的に負担の方が明らかに大きい場合、自分の死を悲しむであろう人間が居ない場合など諸々の状況下においての是非である。

今日尊厳死や安楽死という言葉で、表現されているこの問題であるが、日本学術会議は、1994年当時尊厳死容認のために、
   1. 医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
   2. 意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
   3. 延命医療中止は、担当医が行うこと。を条件としてあげた。

私たちは、代々受け継がれてきた常識として、自ら死を選択することは望ましくない行為だと教わってきました。ですが、自分が生きている事によって家族や周囲の人に迷惑を掛けているのではないかと考えた時、それでも生きたいと思えるほどの意志は働くのでしょうか。例えば、誰も身寄りのない人が不治の病に冒されてしまい、将来に対して何らの希望も見出せない状況で、それでも貴方は生きなければならない、とその人に強いることは果たして善であるのでしょうか。とても難しい問題です。

ただ、はっきりと分かっていることは、人はいつかは必ず終わりの時を迎えるということ。この運命から逃れられた人間は、歴史を遡っても唯の一人も存在しません。時の権力者の中には、不老不死の妙薬を探し求め、無益な殺生をした者も数多くいますが、その野望を果たせた者はいません。その限りある時間の中で、いかに自分の生を全うするのか?より有意義な時間を過ごす為にも、前向きな気持ちで考えてみてもいい問題なのではないでしょうか?残された時間は自分で想像している程は長くないように思います。

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コメント

KAZさん

こんにちは
しばらくコメントを残してなくてすいません!

毎日毎日、これだけの文量を書かれるのは大変だと思います。
コツコツと続けられるところを見習いたいと思います。

新しい訪問者の方も来られているようで自分のことのようにうれしいです。

これからも勉強させてください。

投稿: ishikawa | 2008年12月 1日 (月) 17時48分

ishikawaさん

コツコツと続けることの大事さ、確かにそれを身をもって伝えたいというのも根底にはあります。

色んな体調の時があるし、テンションが低い時もある。その中でコンスタントに書き続けるには、日々の自己管理やアンテナの張り方が問題になります。

これからも気を遣わずに、気が向いたときに覗いてみてください(笑)

投稿: KAZ | 2008年12月 1日 (月) 20時54分

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