« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月の31件の記事

人類にとって最も愚かな行為

「将来の戦いを避ける方法は唯一つ。即ち政府が戦おうとしても、人民が戦わぬから仕方がないと言う様にすることである。」二葉亭四迷

二葉亭 四迷(元治元年2月28日(1864年4月4日) - 明治42年(1909年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。

12月27日から始まったイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ空爆が全く収拾する気配を見せない。30日現在での死者は少なくとも363人、負傷者は1720人に増えた。

中東諸国というのは、我々日本人にとって最も危険な匂いのする地域ではなかろうか。いわゆるパレスチナ問題というのは、第一次世界大戦まで遡る。当時ユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマントルコ帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」は戦勝国であるイギリスの委任統治領となった。

その後、1947年11月29日の国連総会において、残ったパレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が可決された。それにより旧パレスチナから、イスラエルが独立する訳であるが、この時イスラエルの独立に反対したアラブ諸国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)が隣国新パレスチナに侵攻した(第一次中東戦争)事が今に繋がるそもそものきっかけとなる。

中東問題は、民族問題、宗教及びその聖地の問題が、あたかもモザイクのように複雑に絡み合っており、隣国と国境を接していない島国である日本人の感覚ではなかなか理解することは困難である。だが、僕がこのような問題に接して何よりも悲しく感じるのは、イエス・キリストもアラーもマホメットも釈迦も恐らく他者と考え方や価値観、肌の色、言語、土地などの問題で、お互いが合い争う事を決して望んではいないはずだと思うからである。

みんな平和を望んでいるはずである。そうであるのに、自国民の平和を護る為に戦争をし、自国民にも被害者が出るというのでは、まったくの主客転倒である。お互いがエゴを押し付け合ったのでは問題も解決するはずがない。とくに当事者同士が話し合ったのでは、絶対に公正な判断はできない。国際社会の介入を認め、遺恨を残さないような解決を目指さなければならない。これからの時代は、国や地域というような小さな枠組みで物事を考える時代ではなくなってきているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

想像力を超える出来事に出会った時に

「想像力は、知識よりも大切だ。知識には限界がある。想像力は、世界を包み込む。」アルバート・アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ出身の理論物理学者。

昨日、また悲しい事件が起こってしまった。

12月28日午後5時20分頃、千葉市緑区の公立高2年の少年(17)が自宅の風呂場で母親の顔や頭を素手で殴り怪我をさせるという事件が起きた。少年は両親と祖父母、妹の6人家族。どういういきさつでこんな事になってしまったのか気になったのだが、この少年の母親は精神科への通院歴があり、少年らが日常生活の世話をしていたという。

調べに対し、少年は「母親を風呂に入れようとしたが言うことを聞かず、殴ってしまった」と供述しているというが、毎日の介護で心身ともに磨り減ってしまった少年が、自分の置かれた境遇に耐え切れなくなり、ついに暴発してしまったのだろう。確かに母親を殴ってしまった事は、良い事だとは言わない。

しかし、少年を責める気になれないのは何故だろう。僕自身にも経験があるが、精神疾患を持つ人との生活は、一言で言い表せないほど看病をする人間の神経を磨り減らすものだ。それをやった事のない人間にはおよそ想像もつかない生活だと思う。また、自分が人様から介護される立場になった時の事を考えると、なるべくなら介護してくれる方の負担になりたくはないと思うが、こればかりはその立場になってみないと分からない事だ。

こう考えると世の中には自分の想像力の及ばない出来事が多い。例えば日本にずっと住んでいると、世界の中に毎日の食事にも事欠く人々がいるという事を、知識として知っていても、本当の意味でそのひもじさが分かるのかというと自信がない。あるいは、言論の自由が護られていない国では、政権の批判をしようものなら、命の保障すらされない。日本でも戦時中は憲兵がおり、言論統制をしていたが、今の時代に生きている者には感覚的にピンと来ないのではないだろうか。

だが、それでも他者を理解する努力を放棄してはならない。その為には、想像力や感性を磨く事である。その方法は人それぞれであろうが、自分で経験できる事は限られている。人と会話をすること、読書をすること、映画をみることなど、なるべく直接的ではなく、その話なり文字情報なりを想像力で穴埋めする余地が残されているものの方が良いと思う。そうすることで、人は徐々に他者の経験した事を自分の事に置き換えて、物事を考えられるようになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夢は叶うのではなく、叶えるものである。

「どんな偉大な事業も、はじめは、すべて『夢』にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到の道をひとり征くには、勇気が必要なのです。真に新しいものは、何ごとであれ、人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです。」ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー

ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(1923年5月27日 - )は、アメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障担当大統領補佐官、国務長官。国際政治学者。

今日、北浜にある好日庵という古い長屋を改造した小料理屋で、気の合う仲間達と忘年会を催した。土壁塗りのその店の中には囲炉裏が2基あり、その内1基を8人で囲んで他愛もない話をして、旨い料理屋や酒に舌鼓を打つ。そんなささやかなひと時が、今の自分にとってすごく贅沢な時間に思えて、本当に楽しい時間を過ごした。

今、行動を共にしている仲間は、ある大きなミッションを実現する為に、色んな志を持って集まった、言わば同志とも言える人達である。みんな溢れんばかりのエナジーの発散場所を求めて集まった人間ばかりなので、実に前向きなエナジーを持っている人間である。しかも、他人を否定するという事がない人間ばかりなので、一緒に居てすごく居心地がいいのである。

だが、そこに集まったメンバーは決して、順風満帆な人生を歩んできた者ばかりではない。それぞれに起伏に富んだ経験や、人に言えないような過去も持った連中である。だが、それ故に皆人の痛みが分かる人間ばかりなのである。だからこそ、皆悩んでいる人や、立ち止まったまま動けなくなっている人達のために、自分達のできる事は何かを一生懸命考えている。

今はそれ程大きな事はできないかも知れない。でも、一人一人のその想いが連鎖を生み、それが長い鎖となった時、世の中を少しづつ変えていくひとつのきっかけになる筈である。その先にいる自分が救いたいと思っている対象は、もしかしたら各人微妙に違っているのかも知れない。だが、その純粋な気持ちの結集したものが、いつか今より心豊かな社会を創造する事を願って、今自分たちができる事を地道に一つづつ実行していこうと思う。そして、大事な同志達との出会いに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

出会いには必ず意味がある

「人生とは出会いであり、 その招待は二度と繰り返されることはない。」ハンス・カロッサ

ハンス・カロッサ(1878-1956)ドイツの詩人・作家

今日、岡山の知り合いから柿の贈り物が届いた。柿が一つづつ個包装されていて、1個当たり2~300円もする高級品だそうだ。柿は昔から「柿が赤くなると、医者が青くなる」という諺があるくらい栄養価が高い。ビタミンCやAを豊富に含み、特に肝臓に良いとされている。

この柿を下さった方とは、7年ほど前に仕事上の繋がりから付き合いが始まった。僕自身も当時は仕事でたまに岡山に行くことがあったので、その方のお宅にも度々訪問する機会もあったのだが、最近は岡山での仕事が無くなった為、その方と直接顔を合わせる事はなくなった。

だが年に何度か、電話や手紙などのやり取りで、付き合いが続いている。その方とは歳は親子程も離れているし、そんなに昔からの知り合いという訳でもないのに、何故かいつも懐かしい感じがする。僕自身がどういう訳だか岡山には浅からぬ縁があるようで、もしかしたら、「袖振り合うも多生の縁」の諺にもある通り、その昔何かしらの縁で繋がっていた人かも知れない。

「人生意気に感ず」という言葉がありますが、その方とは仕事上で助けたり、助けられたり、お互い相手の気持ちを大事にして、人間同士の付き合いを大事にしてきたからこそ、何かしらトラブルが起こったときにも、対立せずに済んだし、どちらかが困ったときには、何とかしてあげたいという気持ちになれるのだと思います。

人間が一生に知り合いになる人数には限りがあります。その出会いの一つ一つを何となくスルーするのか、大事に育てていくのか、どちらが良いのかは言うまでもありません。また、それぞれの出会いには必ず意味があります。助け合いの関係、切磋琢磨する関係、反面教師の関係、傷の舐め合いの関係、自分を引き立ててくれる関係、相手を育てる関係など、様々ですがどれ一つ取っても無駄はありません。

大事なのは、その人との関係が自分にとって、どんな学びがであるのか?その事にアンテナを張って、仔細漏らさず吸収することです。後で振り返ったときに、「あの時のあの人との出会いは、こういう意味だったのか」と合点がいく瞬間が必ずあります。それに早く気付いた方がきっとより多くのことを学べます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

緊張感と上手に付き合う

「緊張がありすぎては自分を出せず、だめだ。リラックスがありすぎてはだらけてしまう。いかに緊張とリラックスの間の精神を作るか。これが重要になってくる。」イチロー

イチロー(1973年10月22日 - )は、シアトル・マリナーズに所属するプロ野球選手。日本プロ野球とメジャーリーグのシーズン最多安打記録を保持しており、驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称される。

平成20年12月26日、代表選考会を兼ねたフィギュアスケートの全日本選手権ショートプログラム(SP)が、長野ビッグハットで行われた。女子は中野友加里(プリンスホテル)が67.26点で首位に立った。3連覇を狙う浅田真央(愛知・中京大中京高)が65.30点で1位、前回2位の安藤美姫(トヨタ自動車)が65.02点で3位に入った。

その放送を生で見ていたのだが、上位3選手とも息を飲むほど美しかった。安藤選手、浅田選手とも多少のミスはあったものの、魅せるという部分では完璧の演技だったと思う。その中でも中野選手の演技は、見ているものを惹きつけて離さない。堂々として、それでいてなんとも楽しげに滑る姿が見る者に感動を与える。

中野選手は、バレエの動きをフィギュアスケートにも取り入れているそうだ。バレエもフィギュアスケートも魅せるという点や、その実かなりの体力を要する点では共通している。僕は素人なので、演技の細かい部分の配点などは分からないが、昨日の演技は素人目にも完璧なものだったと思う。

だが、唯でさえ緊張する大舞台。人は緊張すると手足がガクガクするものだが、選手たちはそれでも片足でバランスを取って、ジャンプをする訳であるから恐れ入る。僕は自分が緊張して、心臓がバクバクしたり、手足が震えてしまうときには、必ずあるおまじないをする。

それは、思いっきり大声を出す事である。周りに人が居て大声が出せない状況の時には、声をだ出さずにシャウトするのである。文章にすると少々分かりにくいが、つまり思いっきり頭に血を昇らせるのである。そして、血の気が引きクールダウンすると共に、緊張も収まるという原理である。これは結構効き目があるのでお勧めの方法です。

そして、その緊張が収まった後には、心地いい程度の落ち着きがやってくる。そんな状態の時は、いつもより集中力が発揮される。最近は人間が図太くなってきたのか、滅多な事では緊張しなくなりましたが、昔はこの方法でよく窮地を乗り切ったものです。

今夜は、フリースタイル(FS)の演技があります。上位3選手はどの選手が勝っても、おかしくない程点差が拮抗していて、今からワクワクしますね。でも、本当はその後のエキシビジョンの方が、選手たちが一番輝いていて、また楽しそうで好きなんですけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

他人をもっと理解する

「人々は彼らが理解しがたいことを潮笑する。」ドイル「四つの罪」より

アーサー・コナン・ドイル(1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズの著者。

12月24日、入院中の1歳10カ月の五女の点滴に汚れた水を入れ、殺害しようとしたとして、殺人未遂の疑いで、京都府警は母親の岐阜県関市の無職女(35)を逮捕した。母親は「子どもが病気になれば看病できるからやった」と供述していた。

また、この母親は、細菌が繁殖しやすくするため、「水道水にスポーツドリンクを入れ、室内より温度の高い状態になるこたつの中で1週間から10日ほど放置して点滴に入れた」と供述しているという。

僕は、この事件を聞いた当初、母親の供述の論理が破綻している為、理解することが難しかった。そもそも、殺意もなければ、万一死ぬかも知れない、とすら思っていない訳であるから、未必の故意にも該当しないのではないか。となると、重過失もしくは認識ある過失か。どちらにしても殺人未遂は成立しないのではないか。

それにしても、世の中にはかくも痛ましい事件が起こってしまうものなのか。と思って調べてみると、件のような症例はままあるそうで、「代理ミュンヒハウンゼン症候群」というそうだ。辞書には、「ミュンヒハウゼン症候群は自分に周囲の関心を引き寄せるために虚偽の話をしたり、自らの体を傷付けたり、病気を装ったりする症例の事。

ビュルガーの著作から「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族・ミュンヒハウゼン男爵の名前から付けられている。1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され命名された。自分以外を傷つけ、周囲の関心を引き寄せるのは代理ミュンヒハウゼン症候群。」と解説されている。

つまり、自傷行為や仮病などで、周囲の哀れみを誘う人を「ミュンヒハウゼン症候群」と言う。芸能人で言うと岸部 四郎みたいな人か。ただ、自分以外を傷付けて周囲の関心を引き寄せるなどというのは、今まで聞いたことがなかった。はっきり言って邪道である。もちろん周囲を見渡してもちょっと見当たらない。

この母親の義父によると、利発でよく子供を可愛がる母親だったようで、周囲の人間ですら、その行動の意味が理解できないでいるようである。かように世の中には自分の常識を遥かに超える出来事が起こるもので、そんな時ニュースキャスターなどは、決まって「理解できませんね」などとコメントする事がある。

だが、僕はそうは思わない。理解できないと断定した時点で、永遠に理解できないのだ。大事なのは相手の心境に自分をシンクロさせて、想像力を働かせてみること。そうすれば、分からないと思っていたものが、少し分かりかけてくる。

外国人など、他の文化を理解することも同じ原理である。自分の枠の中で物事を判断しようとするから、常識や過去の経験則に囚われてしまう。心の中の垣根を取っ払って、自由に思考を巡らせる事だ。そうすれば、見えなかったものもおぼろげに見えてくる。

お互いがその気持ちを持てば、みんなもっと平和に暮らせると思うのだが・・・。でも、この母親のように自分を分かって欲しいと、ただ求めるだけでは駄目ですよね。自分から働きかける事が何よりも大事だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

法曹界の倫理観はどこへ

「四つが裁判官に必要なり。親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判することなり。」ソクラテス

ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者。

最近、職業倫理が欠落しているとしか思えない事件が相次いでいる。

埼玉県警が京都家裁書記官の男(36)を、振り込め詐欺に使われ凍結された口座から約400万円を送金させたとして、偽造有印私文書行使の被疑事実により逮捕した事件があった。12月24日までの県警の調べで、同被疑者が今度は、認知症のため成年後見制度を申請した資産家の遺産を差し押さえるよう求める文書を偽造し、4000万円前後を詐取した疑いのある事が分かった。

裁判所の書記官というのは、裁判所において、裁判の記録や調書などの書類の作成・保管を行い、その他裁判の進行に必要な調査を補助する公務員のことである。法廷内において、裁判官の前に座って、その補助的な役割を担っている人と言えばお分かりだろうか。

今回逮捕された、家庭裁判所の書記官であるが、被害男性の成年後見制度(判断能力(事理弁識能力)の不十分な成年者を保護するため、一定の場合に本人の行為能力を制限すると共に、本人のために法律行為をおこない、または本人による法律行為を助ける者を選任する制度である)の申請手続きを担当した書記官であり、被害男性の資産内容等を把握できる立場を利用して犯行が行われており、悪質なこと極まりない。

同じ日、部下の女性にしつこくメールを送ったストーカー規制法違反事件で逮捕された、宇都宮地裁の下山芳晴判事(55)に対する弾劾裁判が、国会の裁判官弾劾裁判所で開かれ、下山判事の罷免判決が下された。

去る12月10日には、大阪市北区の商業ビル転売に絡む脱税事件で、元大阪府議の小川真澄弁護士(64)が所得税法違反と国税徴収法違反(滞納処分免脱)の被疑事実で逮捕された。

平成21年5月21から裁判員制度が始まろうとするこの時期に、法曹界の倫理観の乱れは見るに耐えないものがある。人が人を裁くということ自体、ただでさえ齟齬を生じやすいものであるのに、この様な体たらくでは、自分が裁判当事者となった場合に、正しい裁判が行われるのかどうか不安になる。

もちろん、倫理観が欠如している人間はごく一部であろうとは思う。だが、公の代表として高い志と倫理観を持っていて然るべき立場である事を忘れないで頂きたいものである。もちろん、裁判員として選任された私たち一般市民も同じ責務が課せられる事も忘れてはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハッピークリスマス!!

「And so this is Christmas そうさ、これこそがクリスマス
For weak and for strong 弱きものにも強きものにも
For rich and the poor ones 富めるものにも貧しいものにも
The world is so wrong 世界は今とても間違っている
And so happy Christmas だから、幸せなクリスマスを
For black and for white 黒人にも白人にも
For yellow and red ones 黄色や赤色の人たちにも
Let's stop all the fight 全ての争いを終わらせよう」

Yoko Ono & John Lennon  ビートルズ”Happy Christmas !”より

今日の夜は、クリスマス・イヴです。というわけで、クリスマスについて、改めて調べなおすことにしました。私たちは昔から、12月25日はイエス・キリストの誕生日だと教わってきました。ですが、実はそうではないらしいのです。

実は新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないそうで、1993年9月15日に、イギリスの天文学者D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を発表。

また、新約聖書の記述中には、羊飼いが誕生を祝ったあと夜中の見張りに戻ったとあるが、羊を野放しにするのは4月から9月の間で、冬の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、イエス・キリストの誕生日はこの4月から9月の間ではないか、という説がある。

では、いつの間に12月25日が誕生日とされたのか、気になるところではあるが、これには諸説あり判然としない。現在分かっていることは、345年頃に西方教会(古代のローマ総司教区とほぼ同義語。現在はローマ・カトリックを指して用いられる場合と、プロテスタントと聖公会とカトリックを総称して用いられる場合とがある。)で始まったということ。

これはミトラ教(インド・イランの古代よりの神話に共通する、太陽神ミトラ(ミスラ)を主神とする宗教である。ヘレニズムの文化交流を通じて、地中海世界に入り、主に、ローマ帝国治下で、紀元前1世紀より5世紀にかけ、大きな勢力を持つ宗教となったが、実体については、不明な部分が多い。)の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。

というように実にその発祥が怪しいクリスマスではあるのだが、日本においてクリスマスを祝う習慣ができたのはいつ頃であろうか。これが意外に古く、日本で初めてのクリスマスは、1552年(天文21年)に現在の山口県周防において宣教師たちが日本人信徒を招いてのミサであった。

しかし、江戸幕府がキリスト教を弾圧したため、根付くことはなかった。それから250年の時が流れ、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、クリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。

現在では、日本人にとって正月よりも心躍るイベントになった感があるクリスマスであるが、平成18年の調査によると、66%の人が「家族とのんびりと過ごす」と答えているのが少し意外だった。なぜ意外だったかというと、クリスマスは恋人と過ごすという答えが一番多いと思っていたからである。

今日のニュースで、プレゼント額ついてのアンケートがあった。その結果、女性が男性に期待するプレゼント額は平均約6万円。女性が男性にあげるプレゼント額は平均約2.9万円だそうだ。昨年と比べて男性→女性は増え、女性→男性は減っているそうであるが、クリスマスプレゼントはどうも不況の影響を受けていないらしい。

世の男性の財布は確実に軽くなっているのにも関わらず、要求されるプレゼントの額は増えているというのは、男性にはなんとも厳しい話ではあるが、男たるものここはひとつ、気風のいいところを見せて、世の女性に夢を与えようではありませんか。女性が笑顔でいられる世界は必ず平和であるはずです。僕はそう信じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年賀状は、贈り物だと思う

「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、 しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。

今日年賀状を書いた(印刷した?)。毎年この時期になると、どんな文章にするのか?絵柄はどんなものがいいか?など頭を悩ませる事となる。正直言って億劫な作業なのである。だが、今年は少し違う気持ちで年賀状を書いた。

それは、日本郵政株式会社のCMの影響かも知れない。嵐の櫻井翔さんと女優の谷村美月さんが出演している「年賀状は、贈り物だと思う」というあのCMである。

僕はこれまで、お中元やお歳暮、暑中見舞いや年賀状はどこか儀礼的で形式主義的な気がして、ある意味否定的な気持ちを持っていた。そこに本当に気持ちがこもっていればいいのだが、もしそうでないなら止めてしまえばいいのに、とさえ思っていた。

人間関係には、賞味期限がある。心理学用語に「単純接触の原理」という言葉がある。生理的に嫌いな人間でない限り、会う頻度が多くなればなるほど、相手への好意は増すという心理法則の事である。

これは逆もまた真なりで、疎遠になると、人間関係も希薄になっていく。それまでは、会えば自然に話が弾んだ同級生が、何年か振りに会うと、昔話にはある一定の盛り上がりを見せるが、それがひとしきり終わると、少し居心地の悪い空気が流れた、という経験はないだろうか。

その人間関係の繋がりを末永く大事にしていく為に、年に一度ないし二度、皆が共通のイベントを通して、お互いが元気であること、相手のことを忘れずに気に掛けていること等を確かめ合う。

古来から行われている儀式や習慣には、突き詰めていくとその意味が必ず見つかる。常識と言われることについてもそうである。だが、そこに含まれる本当の意味についてもこの機会に再考してみてはいかがでしょうか?もしかしたら、面白い発見があるかも知れませんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑いが世界を変える

「冗談による笑いは、世界を開き、これまでと異なる見方を一瞬に導入するような効果をもつことがある。八方ふさがりと思えるとき、笑いが思いがけぬ方向に突破口を開いてくれる。」河合隼雄

河合 隼雄(1928年6月23日 - 2007年7月19日)は、日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。

12月21日(日)、結成10年以内の漫才コンビの日本一を決める第8回「M-1グランプリ」が開催された。今年の優勝者は、「Non Style」という関西出身のコンビだった。

僕が子供の頃、“お笑い”というと勉強もスポーツもできない子が、唯一輝ける場所だった。学校の担任の先生でさえ、「お前は勉強もスポーツもできないから、吉本へでも行け」と言ったものだった。だが、今はお笑いの世界も高学歴化してきて、大卒などさほど珍しくなくなった。

M-1グランプリの本番の前に、決勝戦に出場するコンビの裏側を密着取材する、ドキュメンタリーが放送されていたのだが、これが実に面白い。それぞれに背負ったドラマが存在するのである。芸人はその舞台裏を決して明かさないのが美徳とされた時代もあった。真面目な部分を見せるのは、邪道とされていたからである。

だが僕は芸人も、その他の職業と同じように、その裏側をどんどん見せて良いと思う。関西での名声を捨てて、ゼロから再出発を図る者、昔ながらの師弟制度を大事にする者、緊張の余り舞台袖で嘔吐しそうになる者、ナーバスになって仲間割れをする者。

どのコンビも掛け値なしに真剣で、お笑いに対して真摯に向き合っている。その姿が、本番でネタを披露している最中にも思い出されて、ネタにより一層の味わいを加える。

人を怒らせたり、悲しませたりする事は至って簡単である。だが人を笑わせる事はすごく難しい。その場の空気や、タイミング、テンポ、言葉のチョイスなど、それらがピタリとはまった時に初めて笑いは生まれる。それは、究極の人間観察からくる最高のおもてなしかも知れない。

しかも、相手はお金を払って「さぁ、笑わせてくれ」と言って来ている人達ばかりなのだ。期待する分ハードルは上がり、簡単には満足しない。何を隠そう僕が一番苦手としているのが、笑いの分野である。

この不景気な世の中、放っておけば笑える事なんて殆どない。だが、職業としてそんな人達ですら笑顔に変えてしまうお笑い芸人の方々には心から敬服する。笑っていれば、その瞬間みんな幸せで、仲良くいられる。もしかしたら、この世で最も高尚な芸術かも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年も家計は火の車!?

「借金というものは、人を束縛し、債権者に対して一種の奴隷にしてしまうものである。」ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(1706年1月6日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている。

今日、読売新聞に面白い記事が掲載された。日本の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を家計に例えるとどうなるか?という趣旨の記事で、気になるその内容はというと・・・

その記事では、2009年度予算(一般会計)の財務省原案の貨幣価値1兆円を10万円に置き換えて家計の年収に例えている。以下はその内訳。

「年収(税収)は461万円。景気後退の影響で去年と比べ、75万円もカット(税収減)された。住宅ローンの元利返済(国債費)や田舎への仕送り(地方交付税)だけで、年収の8割にあたる360万円余りが消えてしまう。しかし、医療費など(社会保障費)は昨年と比べ30万円も増え、妻におねだりされたリフォーム代(公共事業)の出費もばかにならない。

生活費(一般歳出)は過去最高の517万円に膨らんでしまった。そこで妻のヘソクリ(埋蔵金)も取り崩して90万円余りを確保したが、それでも全く足りず、結局、カードローン(新規国債発行)で333万円も借りてしまった。積もり積もったローン残高は5800万円にも膨れ上がり、完済のメドは全く立たない。 」と結んでいる。

一般的に年収460万円の人間が、住宅ローンとして負担できる限界値は、通常約2000万円強である。医療費はともかく、リフォーム代や仕送りなどは、抑制するのが家計として正しい金の使い道である。そのうえ支出を見直さないままカードローンをすれば、返済の目処が立たない為、近日中に自己破産の申立をしなければならないだろう。

国債は、償還期限や利率によって、細かく分かれており、その種類もさまざまあるが、いずれも他人から借りている金であり、いつかは返済しなければならない金である。つまり、当座の資金は確保できたとしても、返済期日に財務状況が改善されていなければ、問題をただ先送りにしただけで、根本が解決していないため、いわゆる自転車操業を繰り返さざるを得なくなるのである。

とくに2008年は、1998年に小渕恵三内閣が発行した国債40兆円の多くが償還期限を迎える年であり、それにより国債危機が発生するのではないかと言われていた(2008年問題と呼ばれる)。実際には、すでに各種の借換対策が進行しており、2008年における償還集中は回避されているが・・・。

だからと言って安心するのはまだ早い。日本国債の格付けは、2007年10月現在、米スタンダード&プアーズ (S&P) が最高位から2番目の「ダブルA」、ムーディーズが21段階中4番目の「Aa3」としているが、他の先進国と比べると依然最低水準にあり、アルゼンチンが2000年にデフォルト(債務不履行)を出したのと同じ道を辿る可能性なきにしもあらずなのである。

これからも私達国民は、もっと当事者意識を持って、自分の家計と同じように国の財政状況に目を光らせて、無駄遣いをさせないように、チェックしなければならない。そうしないと、国家財政はいずれ破綻し、家庭で言えば一家離散し地方へ出稼ぎ(外国へ出稼ぎ)に行ったり、親戚を頼ってそこに住まわせてもらったり(移民や密入国)、最悪の場合には自ら命を絶つ(合併?)しかなくなる訳である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

語り継いでいくこと

「どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと世界は変わらない。」マイケル・ムーア

マイケル・フランシス・ムーア(Michael Francis Moore, 1954年4月23日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、 ドキュメンタリー映画 監督、 テレビプロデューサー、 テレビディレクター、政治活動家。

最近大学生の人達と話す機会が多い。その人達と話をしていて感じるのは、若いのに色んな事をちゃんとまじめに考えているんだな、という事。自分がその年代だった頃を思い出すと、もう少し稚拙、よく言えば純粋だったように思う。でも、話をしているとこちらも新鮮な驚きもあり、刺激も貰えるので、非常に有意義な時間となっている。

2001年、ハーレイ・ジョエル・オスメント主演の「ペイ・フォワード(原題 Pay it forward)」という映画があった。

主人公はラスベガスに住むアルコール依存症の母と、別居中のDV夫との間に生まれたトレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)。

あるとき、トレバー(中学1年生)の担任シモネット先生が生徒達に、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問いかける。生徒達はそれぞれ思い思いの考えを提出するが、なにぶん普通の中学生、既存の考え方の枠から抜け出せていない。

そんな中トレバーは“pay it forward”という考え方を提唱する。それは自分が受けた思いやりや善意を、その相手に返す(pay it back)のではなく、別の3人の相手に渡すというもの。トレバーは“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男。シモネット先生。いじめられている同級生。だが、なかなか結果に結び付かない。

その考え方が失敗だったと落胆するトレバーだったが、それを見ていた母親が、彼には内緒で“pay it forward”運動をはじめる。そしてトレバーの努力は日に日に報われ、遂にはテレビに取材されるなど、波紋が着実に広がっていく。という内容の物語。

僕は、この映画を見て衝撃を受けた。自分がお世話になった人に報いることは、ある意味当たり前の事として、誰の頭にも定着した考え方である。だが、それを周囲に伝言ゲームのごとく回し続ける事で、世界を少しでも良い方向に導いていくという発想が新鮮に感じられたからである。

それ以後、僕の行動は変わった。これまで自分が先輩達から教わったこと、してもらった色々な厚意を、後に続く後輩達に少しでも伝えていきたいと思ったのである。もちろん、恩に報いることと同時進行である。

だから、大学生など若い人達と交わり、僕自身も刺激などを貰いながら、自分が今まで培ってきたもの、見てきたものを、その時々僕を必要としている人に、その人に必要な言葉や、行動で伝えている。このブログもそういった行動原理に基づいて書いているものなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

病気になって改めて健康の有難さを知る

「三宝とは何やるやというに、第一に健康、第二に知識、第三に富の三つのものなり」西周

西 周 (文政12年2月3日(1829年3月7日) - 1897年(明治30年)1月31日)) は江戸時代後期の幕末から明治初期の啓蒙家、教育者。江戸幕府将軍徳川慶喜の政治顧問、明治の貴族院議員。

インフルエンザが流行している。かくいう僕自身も、最近のどの調子が悪く、関節の痛みも伴っているので、もしかしたら感染したのかも知れない。

インフルエンザは高熱、頭痛、関節痛など強い全身症状を伴い、高齢者では死に至ることもある。今年は国立感染症研究所の調査開始以来、三番目に早い流行。十二月に入って患者数が急増している。

そんな中、 厚生労働省では人前での「咳エチケット」の啓発に取り組んでいる。具体的には、
①咳・くしゃみの際にティッシュなどで口と鼻を押さえ、周りの人から顔をそむけて一メートル以上離れる
②使用後のティッシュはすぐにふた付きのごみ箱に捨てる
③咳をしている人にマスクの着用を促す
の三項目。僕も数日前から外出時にはマスクを着用するようにしている。

感染してしまった後で、悔やんでも遅いのですが、最低限職場や学校の他の人にうつさないような心掛けが必要です。インフルエンザの厄介なところは、症状が治まったと思っても、完全にウイルスが死滅しているわけではないこと。

だから、自己診断で治ったと言い張る社員を出社させてしまった事により、更なる感染者を増やす結果となっては、経営者としては迂闊と言わざるを得ない。感染者には、完治したことを証明する医師の診断書を提出させるなどの、慎重さが求められる。

一次感染者として最も多いのが幼児、二次感染者として最も多いのが母親となっており、子供が感染し、その看病をしている母親が感染してしまうケースが最も多い。この感染ルートを完全に防ぎきる事はできないとは思うが、世のお母さん方が倒れると、家庭が機能しなくなりますので、どうかご注意を。

しかも、今年は新型インフルエンザの流行が懸念されており、人類のほとんどが免疫を持っていません。よって容易に人から人へ感染するものであり、世界的な大流行(パンデミック)が引き起こされる恐れがあります。これに対してのワクチンは現時点でまだ製造されていないという事なので、どれ程感染が広がるのか想像もつきません。

この不況のさなか、インフルエンザの大流行により、経済が停滞することによる二次被害にも注意せねばなりません。大企業や公的機関などは、感染した者は自宅待機するよう指示をしているという事なので、社会の機能がそれにより麻痺する可能性もあり、その経済的損失たるや計り知れないものがあります。自然の脅威の前に私たち人間は、恐れおののくばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

体罰と暴行の違いとは

「叱ることは大切な教育である。叱られることが貴重な経験となるのだ。」堤康次郎

堤 康次郎(1889年(明治22年)3月7日 - 1964年(昭和39年)4月26日)は、日本の実業家、政治家。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長。

封建的な世界では、しばしば一般常識では理解しがたい事件がおこるものである。

平成18年6月26日、大相撲・時津風部屋の序ノ口力士だった時太山こと斉藤俊さん(当時17歳)が暴行を受けて死亡する事件があった。この事件で傷害致死罪に問われた兄弟子3被告に平成20年12月18日、執行猶予付きの有罪判決が下された。

相撲界では、昔から「かわいがり」という名のしごきが日常的に行われていたそうだが、私達の感覚からすると、金属バットやビール瓶で殴ったり、タバコの火を体に押し付けたりするなどは、れっきとした暴行である。それを集団で行うのであるから、これはリンチと言ってもいいかも知れない。

事件になってはいないものの、これに近い事例は枚挙に暇がないと言う関係者もいる。思い出してみれば、僕が小学生や中学生だった頃には、まだ体罰が日常的に行われていた。教師はその手に自分なりの工夫を凝らした「ケツバン棒」をそれぞれ持っており、忘れ物をしたり、授業態度が悪い生徒がいると、それで容赦なく、尻をぶっ叩いたものだった。ある時などは、密室に呼ばれて叱られたあと、何度も往復ビンタをされたことさえあった。

クラブ活動の時間になると、次は上級生からのしごきが待っている。体育館の舞台の上で歌を歌わされるという、笑い話で済まされるようなものから、今なら人権侵害で訴えられそうなものまであったが、世の中が平和だったのか、体罰やしごきがそれ程問題視されることもなく、ある意味是認されていた。

僕達の世代は、そういう環境の中で育ってきたためか、精神的にタフな人間が多いように思う。もちろん個人差はあれども、概してストレス耐性が高いのである。最近は学校現場でも体罰に対しては、教師の側が過剰にそれを避けるようになったし、何より親世代が「体罰をしなくとも躾けられる方法を考えるのが教師の役目ではないか」、というある種責任転嫁ともとれるような発言をする人も少なくないと聞く。

だが、体罰を受けてきた立場から言わせてもらえば、僕はあの当時ケツバン棒で叩かれたり、往復ビンタをされた事はむしろ良かったと思っている。無論その時は心の中で、相手を憎む気持ちが芽生える事はあるが、愛情を持って接してくれている事が伝わってくれば、素直に受け止められたものだ。今も当時のその痛みを思い出すからこそ、自分自身を引き締める事ができる部分もある。

つまり、大事なのは体罰を与える側の動機の問題なのである。そこに相手を思い、立ち直ってくれる事を期待しての行動であれば、それは相手にも伝わるであろうし、最後には理解される。だが、その根本もなしに安易な気持ちで体罰を与えると、そこには憎しみの気持ちしか生まなくなり、“教育する”という本来の目的からはほど遠い結果となって返ってくるのである。子を持つ親や、教育現場に携わる人々にもう一度考えていただきたい問題である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

共生以外の唯一の道は、共に破滅することである

「共生以外の唯一の道は、共に破滅することである。」ジャワハルラール・ネルー

ジャワハルラール・ネルー(1889年11月14日 - 1964年5月27日)はインドの初代首相。独立運動の指導者・社会主義者・著述家。

今年9月のリーマンショック以来、世界は未曾有の不景気に見舞われている。いま日本中がかつてない不況の波にさらされ、労働者や中小企業の経営者は毎日を薄氷を踏む思いで生きている。

そんな中、昨日放送分の日経スペシャル「ガイアの夜明け」は、この不景気をいかに生き抜くか、について一つの方向性を示したかも知れない。長距離移動に掛かる交通費を節約する為、ライドシェア(相乗り)を仲介するサイト。ブランド物のバッグやアクセサリーのレンタルサービスを行なっている会社。会員間で洋服やCD、家電などをシェア(貸し借り)できるシステムを作った会社。

そして最後にカーシェアリング(車の共同所有)のシステムを考案した会社が紹介されていた。自前で営業車を所有せずにこのシステムを使うことでコストを削減したり、マンション販売会社などは、マンションの付加価値としてカーシェアリングのシステムがある事を売りにするところもあるという。

以前、年収300万円時代をどう生き抜くか?という趣旨の書籍が売れていた時代があった。今風に言うと年収200万円時代をどう生き抜くか?になろうかと思う。今日本を含む世界経済は、急速にその規模を縮小しており、その出口はまだ見えていない。

家計の視点で考えてみると、収入を増やす事が難しければ、支出の見直しをすることは自明の理であるが、必要最小限の経費、つまり固定費部分の圧縮というのは、なかなか難しいものである。

しかし、例えばカーシェアリングなどのシステムを使えば、単純に、車両購入費、税金等の付随費用、車検や修理等の維持費用、ガソリン代・オイル代等の消耗品費、駐車場代等が節約できるのである。

日常的に車での移動が主である場合にはこのシステムの恩恵に与るのは難しいが、普段あまり車に乗らない人にとっては画期的である。料金的にもレンタカーやタクシーよりも安いというから驚きだ。しかも15分単位から利用でき、予約や空き状況もネットで全て済ませることができるという。

かつての日本では、ご近所さん同士が物の貸し借りをして、足りない物を補い合って生活する事は当たり前のことでした。ですが、今は「隣は何をする人ぞ」が笑い話ではなくなっています。今を逞しく生き抜く為に、昔ながらの長屋方式が、見直されていくかも知れません。共に支えあって生きる。人間に与えられた知性はそれを可能にするはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生き急ぐ必要はない

「やたらに忙しいのはどんなものでしょう。「忙」という字は「心が亡びる」と書きます。」 高田好胤

高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。

滋賀県草津市内の料理旅館で07年11月18日夜、ある運送会社の支店長や支店の運転手の大半を含む約40人が参加して、被害者の男性が定年退職するのに伴う送別会が開かれた。

その最中、同僚たちは男性(当時60歳)を空中に投げ上げ、受け止めずに畳の床に落とした。男性は床に落下して大けがを負い、約10カ月後に敗血症で死亡したことが分かった。男性の妻(59)は、胴上げした20~40代の同僚3人を重過失致死容疑で県警草津署に告訴した。

この記事を見て、僕は呆れ果ててしまった。酒に酔っていたのかどうか分からないが、分別のある大人が悪ふざけをして、あげく人の命に関わる大怪我をさせるとは・・・

毎年成人式のシーズンになると、各地で市長の祝辞の最中に野次ったり、式の後に夜の街に繰り出して、大トラを演じたりする若者がいる。その様子をニュースで見たときのおじさん達は決まって、「これだから今の若いヤツは・・・」と苦々しい顔で言う。

毎年の恒例行事であるので、若気の至りだと、ある程度は許される土壌もあるが、今回の事件はそれとは意味合いが違う。

政府の法制審議会において、成人年齢を18歳に引き下げる論議がなされています。昨年5月に国民投票法案が成立し、「18歳以上に投票権がある」と定められていることもあって、現在に至っているわけですが、果たして成人年齢の引き下げは是か非か。

個人的な感想ですが、日本人は総じて精神的に自立していない、更に言えば幼稚な気がしてなりません。その割に、小学校の早期から子供達は塾に通い、その精神が熟さぬまま、知識だけが増え続け、あげく頭でっかちの、(関西風にいうと)こまっしゃくれた子供になっているようです。

その後も、出来るだけ偏差値の高い中学・高校・大学を目指し、その先にあるのは解雇や減給のない安定した企業等に就職することをゴールとする人生設計。なぜそれ程までに生き急ぐ必要があるのか。もっとゆっくりと自分の人生について考える余裕が与えられても良いのではないか。

18歳成人説の根幹には、子供達を少しでも早く政治や社会のシステムに取り込みたい政府や産業界の意図が感じられます。もちろん、超高齢化社会の日本において、社会保障制度を支える現役世代を増やさねばならない台所事情も理解できます。

ですが、その事と契約等の法律行為をなし得る成人とは、個別の事情として勘案すべきと考えます。大人の自覚を促すという意味において、成人年齢の引き下げは一定の効果をもたらすかも知れませんが、反面そのスピードに付いていけない不幸な若者を増やす原因にもなりかねないのです。

文明の進歩は、交通やコミュニケーション、情報などのスピードを格段に飛躍させました。ですが、それが人々に時間的余裕を与え、心にゆとりをもたらしたのかというと、答えは否です。「急いては事を仕損じる」とは、人間の成長過程においても当てはまる格言だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

運転中は性格が変わる?

「一生に一度も親切な行為をせず、人に真の喜びを与えず、人助けもしないで過ごすことは、老後の人生を美しく照らしてくれる、楽しい記憶を手に入れそこなうことである。」ジョン・ワナメーカー

ジョン・ワナメーカー(1838年 - 1922年)アメリカの百貨店経営者、デパート王と呼ばれた。

昨日のこと、某電機量販店に行くために車を運転していた。その電機量販店は、片側三車線もある国道沿いにある為、普段であれば行くのにそう時間は掛からない。だが、その日は何故か大渋滞。よくよく考えてみると、ボーナス時期なのである。

しかも、電機量販店の隣には、家具量販店もあり、そちらに入ろうとする車列も長蛇の列。加えてどういう運転をしたのか不明だが事故が発生しており、わき見渋滞も起きている。さすがにウンザリして、目的地を変更したのだが、いつも以上に周囲の車の運転が荒っぽい事に気付く。

みんなが、殺気立っていて、余裕が感じられない。車線変更しようにも、全く入れてくれないのだ。車を運転すると、人格が変わるという人がいる。だが、本当にそうだろうか?

パーソナルスペースという言葉をご存知だろうか、人がそれぞれ持っているテリトリーのようなものである。一般に男性は広く、女性は狭いと言われている。つまり自分にとっての聖域ともいうべきスペースの事であり、人はそれを侵犯されると不快感を示す。

つまり車を運転している時はそのパーソナルスペースにいる状態であり、その中での自分は守られている状態なので、より素の自分がでやすいのである。だから、決して人格が変わるわけでも何でもなく、いつもの自分に戻るだけなのである。

恋人との結婚を考えている世の女性諸氏は、彼の運転をよく観察して下さい。本当の性格が分かります。もちろん、どんな車に乗っているかによっても、大よその性格は分かりますが・・・

とにかく、車に乗っている時は、自分自身にとって修行なのだと思います。自分の前に入れてあげる。対向車に道を譲る。信号待ちの時に店などの駐車場に入る、或いは出る車の邪魔にならないように車間距離を詰める。信号待ちで、対向車や歩行者が眩しくないようにライトを消す。など気遣いをすべき場面は幾らでもあります。

誰も見ていない場所でも、人前とくに仕事場や家の近所と同じような振る舞いや気遣いができるか?自問してみる必要がありそうです。「旅の恥はかき捨て」は免罪符にはなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

想像力は無限大

「考えることは己れ自身と親しむことである。」ウナムーノ 「人生の悲壮感」

ミゲル・デ・ウナムーノ・イ・フーゴ(1864年9月29日-1936年12月31日)は、スペインを代表する哲学者、文学者、詩人、劇作家。

昨日の21時~関西テレビで、土曜プレミアム・完全犯罪ミステリースペシャル新証言!「三億円事件 40年目の謎を追え!」という番組が放映された。

警視庁捜査一課、斉藤勲刑事が6年間の捜査内容を詳細に書き留めた通称“斉藤ノート”を基に、昭和の名刑事、平塚八兵衛を中心に構成された、延べ17万人の捜査員達の数時間では到底語り尽くせない、当時の映像や最新のCGを駆使したドラマ仕立ての番組。

ちなみに三億円事件とは、東京都府中市で1968年12月10日に発生した、窃盗事件である。1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。昭和を代表する完全犯罪として、あまりにも有名である。三億円は今の貨幣価値に直すと、約三十億円。

僕が、とにかく感動したのが、捜査員達の犯罪捜査に掛ける執念と地道な証拠調べの積み重ね。そこに若い捜査員の功名心や、警察の管轄の問題などが複雑に絡みあい、事件をよりいっそう難しくさせる。

当初警察は、その遺留品の多さから、この事件は簡単に解決できるものと思い込んでいたそうだ。実行犯が被っていたとされる帽子を、捜査員が遊び半分にかわるがわる被ったことによって、付着物の鑑定を不可能にしてしまったというエピソードからも、当時の楽観ムードが窺える。

だが、事件はそう簡単には解決しなかった。今でも、犯人の最有力候補は、立川グループの少年だと言われている。その理由は、
①父親が白バイ隊員でそれに関する知識が豊富。
②地元出身で土地勘があり車やバイクの運転技術が巧みである。
③事件前に東芝や日立の現金輸送車を襲う話をしていた。
ことなど。事件5日後の1968年12月15日に自宅で青酸カリで自殺している。

とにかく、事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。下手なミステリー小説を読むより余程面白い。だが、事件は迷宮入りとなったが故に、画面には現れない多くの不幸な人々をも生み出す結果となってしまう。この事件以来、多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について口座振込が普及する一因となった。

今の科学なら、結果はどうだったのであろうかと思いを馳せずにはいられない。そんな想像力を刺激して止まない、昭和の大事件の話でした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

自由を得る為には覚悟が必要である

「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を怖れる。」バーナード・ショー 「革命主義者のための格言」より

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)は、イギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者。

毎日新聞の記事によると、「日本漢字能力検定協会(京都市)は12日、世相を最も反映した今年の漢字に「変」が選ばれたと発表した。過去最多の応募11万1208通のうち「変」は6031通(5.42%)。協会はオバマ氏が当選した米大統領選や金融危機、気候異変など「変化」を象徴したとみている。2位は北京五輪などにちなんだ「金」(3211通)、3位は株価などから「落」(3158通)だった。」という。

かくいう僕の予想も実は「変」でした。オバマ大統領が、演説の際にしきりにキーワードとして使った「change」をはじめ、木村拓也主演フジTV系列春の月9ドラマも「CHANGE・チェンジ」だった。

政界では、コロコロと首相が交代し、世界経済を取り巻く環境は一変しました。雇用情勢も昨年までの、「超売り手市場」と呼ばれた時代から、「内定切り」という言葉まで生まれるほど激変しました。

原油価格も乱高下を続け、ガソリン税暫定税率問題の折には、1円でも安く買いたいドライバーが、価格があがる前にガソリンを入れようと、スタンド脇の道路に長蛇の列をなしていたことを思い出します。

食品業界では、相変わらず産地偽装や、原料偽装などが相次いで発覚し、中国産冷凍食品の農薬問題とも相まって、消費者の安全や、環境に配慮する機運が高まったことも、変化のひとつに挙げられると思います。

さて先日、ある集まりで、大学生の方々と、今の就職難や非正規雇用問題について話をする機会があったのですが、その中で今大量に職に就けない人々が増えているが、その事についてはむしろ、好機と捉えるべきではないか、という意見がありました。

というのも、社会というものが人々の集合体である以上、その中で多数派を占める人々が、社会に対して少なからず影響力を発揮する。つまり、低賃金の人々がかなりの割合を占めるようになった社会においては、その人々のライフスタイルが社会にとってメインストリームになる可能性がある。

例えば、今のような状況下では、限られた少ない収入でいかに効率よく暮らしていくか、という頭の使い方をしないと、あっという間に資金は尽きてしまうであろうし、それをカードで補おうとすれば、米国の消費者のように自己破産をするしかなくなってしまう。

考えようによっては、少ないながらも何とか暮らしていけるのであれば、自らのライフスタイルに応じた働き方を選択することが、一般的になっていく方向性もあるわけである。加えて日本は昔のように物が無い時代と違って、国民に共通の目標を設定する事が難しくなっていると言われる。

しかも、物が売れない時代ともなれば、右肩上がりの成長を続けていく事は非常に難しい状況である。であるならば、金銭的な豊かさに囚われるより、貧しくとも自分が本当にやりたい事を追求して生きる。というライフスタイルがこれからは市民権を得ていく気がしてならない。

みなさんもご存知のとおり、日本では憲法にも記載されている、教育・勤労・納税の義務があります。日本人の真面目な国民性は、それを律儀に守り、今までフリーターやニートという言葉を、ある種侮蔑的な含みを持って使ってきたように思う。

だが、他人に迷惑を掛けていないならば、儲からなくても好きな事を追求して生きていく事に、何らの後ろめたさも感じる必要はないと思います。もちろん相応の覚悟が必要であることは言うまでもありませんが・・・。みなさんはどう思われますか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

消費税は逆進性の税金である

「権力は人を酔わせる。酒に酔ったものはいつか醒めるが、権力に酔ってしまった者は、醒めることを知らない」ジェームズ・バーンズ

ジェームズ・F・バーンズ アメリカ合衆国、トルーマン大統領政権下の国務長官。

麻生首相は12月11日、官邸に自民党の保利耕輔政調会長を呼び、社会保障費の伸びを2200億円抑制する政府方針に対し、抑制額を圧縮するための財源確保を指示した。首相はたばこ税増税で穴埋めする方針だったが、与党税制調査会が増税見送りを決めたことで新たな財源探しが必要になった。

これを受け麻生首相は官邸に与謝野馨経済財政担当相を呼び、年内にまとめる税制改正の「中期プログラム」に「3年後の消費税引き上げ」を明記するよう指示した。

つまり、今たばこ税の増税を決めると、たばこ業界の反発を招き、目先の総選挙で不利になる。その代わりに3年後に消費税を引き上げるという。いつも通りの近視眼的な考え方である。

とはいうものの、他の先進諸国、特に高福祉国家といわれる北欧の国々と比較すると、日本の消費税は依然低い水準にあることは確かではある。

だが、いわゆる嗜好品と呼ばれるたばこ税を引き上げる事に、異論を唱えるのは業界団体やヘビースモーカーくらいのものだろう。しかも、分煙が叫ばれている時代にあって、面と向かって増税に反対できるはずはないのだ。

以前、診療報酬の改定があった際、医療業界からの圧力により厚生労働省は医師による禁煙指導を治療として認め、それによって肺癌リスクを抑制し、ひいては医療費全体を抑制するという方針に転換したはずである。

たばこの小売価格が上がれば、たばこ税のみならず、消費税もその分上がるのである。しかも、喫煙者はそれを理由にたばこを止めるきっかけとする事もできるはずだ。実際に米国では次のようなデータが既に出ている。

・ニュージャージー州……2002年に80セント(96円)から2.4ドル(288円)に増税。喫煙率は35%低下。
・カリフォルニア州……1999年に87セント(104円)へ増税。喫煙率は18%低下。
・サウスカロライナ州……1977年以来7セント(8.4円)のまま。2000年以来喫煙率は5%低下。

目先の総選挙の事ばかりに捉われ、将来のビジョンを描けない今の与党に対して、国民がどう審判を下すのか、見物である。僕自身も自分の持つビジョンに照らして、冷静に判断したいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

孤独なのはあたりまえ?

「人間元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。」田山花袋

田山 花袋(1872年1月22日(明治4年12月13日)- 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。

東京都世田谷区の自宅で覚醒剤と大麻を所持したなどとして、覚せい剤取締法違反等の罪に問われた俳優、加勢大周こと川本伸博被告の初公判が12月10日、東京地裁で開かれた。加勢被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。

検察側は論告で「違法薬物の常習性や依存性が顕著だ」として懲役2年6ヶ月を求刑。即日結審した。判決は同月18日。

被告人質問で加勢被告は「こんなことで、今までやってきたことを自分の手で終わらせてしまい、とんでもないことをした」「田舎の親元に戻って一からやり直したい」と述べ、芸能界から引退する意向を示したという。

加勢被告はその昔、織田裕二や吉田栄作らと共にトレンディ御三家と言われ、一世風靡した俳優だった。事件を起こした背景には、本業で結果が出ないことや、所属事務所との芸名使用を巡ってのトラブル、離婚などがあるという。

それにしても、過去にこれほどまで薬物使用や所持によるニュースが頻繁に流される時代もなかったのではないか。もちろん当局が人員を割いていることも背景にはあるだろうが、もっと根の深い部分には現代社会が抱える病巣とも言うべき人々の心の闇がある気がしてならない。

人間関係が希薄になり、何か心配事や悩みがあっても誰にも相談できない。社会が複雑になりすぎて、相談したとしても返ってくるアドバイスが自分にしっくりこない。カウンセラーや医者もそれほど経験豊富な人物ばかりではないので、そこに答えを求めて訪れると、肩透かしをくらったような気持ちになることは確かにある。

だが、いつの時代でも心配事や悩みは、最後には自分で乗り越えなければ根本的な解決にはならない。家族であっても基本は一人一人がしっかりしていない事には、その人を救うことはできないのである。ただ、心配事や悩みが深刻な事態になる前に、他人にどんどん話すことで気持ちが楽になることは大いにある。

僕の場合もなるべく他人に聞いてもらうようにしている。吐き出せばその度に気持ちが楽になっていく実感がある。それに自分が抱えている問題が他人にとっては、それほどの事ではないんだという事も分かる。つまり自分を客観視できるのである。

どうせ、人には分かってもらえないんだという、他者に対する過度の期待はこの際捨ててしまった方がいい。そんな事は口に出して言うほどのこともない、ごく当たり前の事だからである。薬物に頼ってしまう人の根本には、その辺りの誤解があるのではないか、という印象を受けるのであるが、みなさんはどう思いますか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

対話することの面白さ

「まったく違う知識や考えを持った人とまず対話できることこそ大事だ」盛田昭夫

盛田 昭夫(1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大とともにソニー創業者の一人。

昨日、とある集まりに参加した際になかなか面白いゲームをした。簡単に言うと、YES or NOクイズなのだが、作問者は元々意見が真っ二つに割れるようなクイズを意図的に作る。質問内容は、言葉は簡単であるがその実深く、自分の価値観や一般常識、過去の経験等に照らし合わせて、YESかNOかを選択する。

その後、なぜYESなのか、なぜNOなのかを各々が簡単に説明し、YES組とNO組に分かれて討論する。テレビ番組でもたまに見られる手法ではあるが、これがやってみると実に面白い。

元々の質問内容があまり具体的でないだけに、相手方を自分側の意見に趣旨がえさせようと、勝手に自分に有利な仮定を設定して説得したり、意地悪な質問を浴びせたり。

会場の都合もあって、途中で時間切れとなってしまい、討論後に最初に出した答えが変わったか否かまで検証できなかったのですが、ともかく討論をしている最中の頭をフル回転させている感覚が面白いのです。

人間はともすれば、自分が一番正しい、アイツの考えはおかしい、と思いがちです。ですが、色んな人と会話をすると、それが確固たるものではない事に気付かされます。

例えば靖国参拝問題、日本の立場としては現在のところ国会議員等が公式に参拝することは、中国をはじめ日本軍が侵略したとされる国々の情状に配慮して忌避されています。ですが、小泉元首相などは、終戦記念日以外の日に参拝するなどしてその矛先を微妙にかわしています。

中国やその他の国々がなぜそれほどまでに、内政干渉とも思える事柄について遺憾の意を表明するのか、靖国神社が建立された歴史的背景や、相手方の歴史教科書には掲載されない史実を知ると、その賛否は大きく揺れ動くと思います。

対話の中で、一番大事なことは相手の言い分も尊重することです。自分の意見と違うからと言って、喧嘩腰になったり、あるいは無理やり押し付けたりするのは、自分自身の内面の発展を阻害することに他なりません。

それは、生きていく上で非常に勿体無いことです。反対意見の人であっても受け容れる度量を持ちたいものです。それは、人の為ならずだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジャーナリズムの責任

「もし新聞がなかったら、フランス革命は起こらなかっただろう。」ユーゴー

ヴィクトール・ユーゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランスロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。

ここのところ、巷では不況続きであまり気持ちの明るくなるような話題が乏しくて心苦しいのですが、帝国データバンクが12月8日、本年1~11月の企業倒産件数(負債額1000万円以上)が1万534件になったと発表した。前年同期に比べ14.6%増であるという。

一方アメリカでは、「ロサンゼルス・タイムズ」、「シカゴ・トリビューン」などの発行元であるメディア大手のトリビューンが、早ければ今週中にもアメリカ合衆国連邦破産法第11章の適用を申請する準備をしているという。連邦破産法とは、日本でいうところの民事再生法にあたり、再建型の倒産処理手続である。

景気が悪化すると、各企業ではいわゆる3Kと呼ばれる、「交通費・交際費・広告費」が真っ先に見直される。この内の広告費を例に挙げると、私達が日頃目にする新聞や、TV、ラジオなどのメディアはその収入の殆どを、企業等からの広告収入で賄っており、これが今のように不況になると、覿面に売上げの減少となって表れてくる。

日本では今のところ、この不況で倒産した新聞社やテレビ局は、僕の知る限りないが、今のように出口の見えない状況では、スポンサーも積極的に広告料を出すという事は難しくなってくる。現にTV業界では、すぐに再放送をするし、相乗効果をあげる為にメディアミックスという手法が度々使われる。

これは、異なった媒体の短所を補い合う、あるいは長所を際立たせる事で相乗効果を期待する手法の事であるが、最近は、元々人気のある原作漫画あるいは小説があって、それをアニメ、ゲーム、音楽、テレビドラマ、映画等にする手法が一般的である。

話が逸れたが、不況になると各メディアとも今まで広告を出してくれたスポンサーの囲い込みを考える。するとどうなるか?どうしてもスポンサーに迎合した記事や番組を作らざるを得なくなる。各ニュース番組が行う、支持率世論調査もスポンサーが支持する政党や、そのテレビ局とゆかりの深い政党に対して、有利な結果を恣意的に作り上げる事だって可能なのである。

つまり、ある程度世論を誘導する事が可能だという事である。人間は自分が考える程、その情報に自信を持っていない。それだけならまだマシで、テレビや新聞記事を鵜呑みにする人も少なくない。それだけに、特に報道等のメディアに携わる者は、確固たる信念と倫理観、そして何より権力に阿らない強い心で臨んで欲しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国民が望む真の政治家とは

「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代のことを考える。」
ジェームス・クラーク

毎日新聞が12月6、7日に行った、電話による全国世論調査によると、麻生内閣の支持率は21%で10月の前回調査から15ポイント下落、不支持率は17 ポイント増の58%だった。「麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表のどちらが首相にふさわしいと思うか」という質問への回答は、麻生首相が21ポイント減の 19%、小沢氏が3ポイント増の21%で両者が初めて逆転したそうだ。

以前から、度重なる失言や朝令暮改とも思えるような政策決定における迷走ぶり、単純な漢字の読み間違いなど、首相としての資質に対して疑問符が出ていた麻生首相ではあったが、9月24日の就任からわずか3ヶ月足らずで、内閣の危険水域とされる支持率30%をあっさり割り込んでしまった。

自民党内での圧倒的な支持を得て、次期衆議院選挙の顔として、民主党に立ち向かえるのは麻生さんしか居ないと言われ、鳴り物入りで自民党総裁となり第92 代内閣総理大臣に就任した麻生氏ではあるが、ここにきて与党である自民党や公明党の議員からも、麻生さんでは次期衆議院選挙は戦えないとまで言われる始末。

何故、この様になってしまったのであろうか。僕は理由の一つに内向きの仕事をしている事が挙げられると思う。つまり、党内派閥の調整や、族議員に対する配慮、公明党に対する遠慮など、およそ国民を見ていないのである。選挙に勝ちたいのであれば、投票権のある国民が何を望んでいるのか、を首相としてはまず第一に考えねばならないのである。

小泉元首相が、自民党内で異端児と言われ、ある意味厄介者扱いされながらも、任期を全うできたのは、ひとえに国民を見ていた、あるいは国民の声をよく聞いていたからである。間違っても与党内の顔色を窺ったりするような仕草は見えなかった。

穿った見方をすればパフォーマンスだと言えなくもないが、少なくとも国民の目には「小泉さんは私達の事を考えてくれている」と映ったのである。小泉政権時代のいわゆる骨太の政策については、今となっては功罪はあるものの、国民に政治に対しての関心を向けさせた点においては、その功績を認められてもいいと思う。

巷では、「大連立構想」を支持する層というのも、少なからずいるみたいだが、少し前に福田元首相と民主党小沢代表が、その構想を話し合った際にこぞってバッシングしたのは一体何だったのか。もしそんな事が実現してしまうと、どんな悪法や政策でもすいすい成立してしまうような危険な状態である。もはや議会制民主主義でもなんでもない。行き着く先はファシズムの可能性だってあるのだ。

私達はそろそろ、政治家のその場凌ぎの甘言に惑わされないよう目を覚まさねばならない。自分がどんなリーダーを望むのか。間違っても、永田町や霞ヶ関の論理で物事を考える人物でない事だけははっきりしている。僕は多少時間は掛かっても、ずっと将来を見据えて国を良くして行くんだという気概の持ち主を選びたいと思う。今の日本の政治や官僚のシステムが疲弊してきている以上、一度ぶっ壊す位の人物であってもいいと思いますが皆さんはいかがでしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

人の役に立つ人間になるには

「私たちは肩を寄せ合って生きています。だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。」ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日 - )は、チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者。

私たちは、家族や友人、恋人、職場の人々、様々な人達に囲まれて暮らしている。自分は誰の世話にもなっていない、と言い切る人がいるとすれば、その人はきっと余程の恩知らずに違いない。曲がりなりにも大人になるまで、生き長らえてきたのであれば、少なくとも親の世話になっているであろうし、もし仮に両親がいないとしても、その代わりの誰かが育ててくれたはずだ。

日々の生活を送る中でも、知らず知らずのうちに他人の親切を受けていることは多い。例えば、車で細い道を走っていたときに対向から別の車がやってきたとする。どうあっても擦れ違う事が困難なときに、対向車がその手前で待ってくれた。そのときに貴方はどうするだろうか?女性に多いのだが、何の礼もせずに通り過ぎていく人もいる。対向車だって急いでいたかも知れないのだ。

例えば、レストランに行ったとする。その日は冬でもひときわ寒い日。日本のレストランでは頼まなくとも水とおしぼりくらいは運ばれてくる。でも、その店員さんはこちらが頼む前に熱いお茶を運んでくれた。そのときに、お金を払っているのだから当然だと思うか、それともこちらが寒いところから来たことを気遣って、お茶を出してくれたと思って感謝できるか。

このように私たちは、日常生活を営む中で、色々な人の好意を受けて生きているのである。このことに気付くか否かは、心豊かに生きていく為に、なくてはならない大事なアンテナだと思う。それと同じくらい大事なことは、目の前にいる相手がどうすれば喜んでくれるのか、快適に過ごせるのか、常に気配りするのを忘れないことだ。

最初は、自分でも無理をしてるという思いから、多少精神的な疲れを感じるときもあると思います。だがそれも板に付いてくると、相手から返ってくる反応が楽しみになったり、単純だが“ありがとう”という言葉で素直に喜べるようになってくる。人の役に立つというのは、そんな些細なことの積み重ねではないかと思います。何も社会的に貢献することを目指さなくともいいのです。まずは目の前にいる人に感謝されることを目指しましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛国心と国籍問題を考える

「愛国心は人類愛と同一である。私は人間であり、人間的なるがゆえに愛国者である。」ガンジー

モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディーとして知られるインド独立の父、宗教家、政治指導者。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味である。

日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた子供の国籍取得要件から、父母の婚姻を外すことを柱とする改正国籍法が、12月5日の参院本会議において、賛成多数で可決成立した。

これまでの国籍法はその要件を、出生時に父母が結婚している事としており、未婚の日本人の父親と外国人の母親との間に子供ができた場合については、出生前に父親が認知すれば日本国籍の取得を認めている。改正により父母の結婚の有無にかかわらず、父親が認知すれば日本国籍が得られることになり、出生後に父親が認知した場合でも国籍取得が認められる。

先月27日には、フィリピン国籍の中学生がオーバーステイ(不法滞在)の問題で、強制送還処分になるか否かという問題が起きた。今回のケースでは、すでに日本の中学校に通っており、国籍のあるフィリピンよりも日本に馴染みがあるため、法務大臣が在留特別許可を出すかどうかが焦点となっている。

現在の戸籍制度は、日本国が住民を把握する目的で1948年(昭和23年)に作られた。戸籍には、出生(親と生年月日)・氏名・婚姻(配偶者)・子・養子縁組・国籍の離脱等が記されている。正しく使えば非常に便利な戸籍だが、現代のようにグローバル化が進んだ社会では、それが元で不要なトラブルを生む原因となってしまう事もあるのがなんとも悲しい。

人間は、生まれ育った土地に愛着を感じるものである。人生の最後には故郷に帰ってゆっくり暮らしたいと望む人も多いという。その場所がないというのは、心を落ち着かせる、リセットできる場所を持たない事と同義のような気がする。

安倍内閣の頃、愛国心という言葉が流行ったが、これも生まれ育った土地に住む人々との交流を源泉として芽生えるものであり、家族や親戚、友人や隣人などを大事に思い、守りたいという気持ちが大きくなってくると、その先にあるものが即ち愛国心であると思うのだ。学校の授業で習ったからといって、芽生えるような類のものではあるまい。

先述の中学生のように、国籍という制度が障害となって、愛着のある国を出て行かなければならないというのであれば、せっかく芽生えた愛国心に水を差すのではないでしょうか。大事なのは制度の堅持ではなく、時代に合わせた柔軟な家族のあり方を認めることだと思いますが皆さんはどうですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

たばこ税をあげると・・・

「人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。」武者小路実篤 「人生論」より

武者小路 実篤(1885年5月12日 - 1976年4月9日)は、日本の小説家。

中川昭一財務相と舛添要一厚生労働相は12月4日、来年度予算編成をめぐり閣僚折衝し、医療や介護などの社会保障費について抑制額を圧縮する原資として、たばこ税引き上げを検討した。

たばこ税増税論議はかなり以前からあった。日本で販売されているたばこの標準的な価格は300円、ドイツやフランスが600円程度、イギリスでは1000円強、であり他国と比べて日本はまだまだ低い水準にあることに加え、嫌煙権という言葉もあるように、増税するに当たって消費者に比較的抵抗感が少ないこともターゲットとされている所以であろう。

ちなみに、たばこに掛かる税金の内訳は1箱20本入り300円とすると、本体価格が111円、たばこ税が175円、消費税が14円となっている。これを1000円に値上げした場合、本体価格は変わらず、たばこ税が841円、消費税48円となり、売り上げ本数が変わらないと仮定すると、税収は8兆4000億円増える計算となるそうだ。

これを見てわかる通り、消費者にとってみれば、たばこ税を上げることは即ち、消費税の負担増にも繋がるわけであるが、愛煙家からすれば声を大にしては、なかなか文句の言いにくい、ある意味画期的な増税方法なのである。僕自身はたばこの臭いや煙が嫌いなので、個人的にも大賛成である。ぜひとも上げて頂きたい。

それともう一点、仮に全体としての売り上げ本数が減少してしまい、税収増に直接結びつかなくとも、喫煙を控える人が増えれば、肺癌を始め喫煙を原因とする様々な疾病リスクを減らす事にも繋がり、国が負担する医療費の抑制にも寄与することになる。もちろん副流煙を吸い込む機会も少なくなることであろう。

現在生活習慣病の中で最も割合の高いのが癌である。その中でも肺癌は成人男性にとって死因のナンバー1である。少し古い考え方かも知れないが、自らの健康に配慮し、家族を守ることは一家を支える大黒柱として、最低限の務めである。この機会にたばこを止めてみてはいかがでしょうか。ちょっとした意識改革が、多くの者を救うと思えば、そのくらい安い努力ですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

社員を大事にすることは、お客様を大事にすること

「 家族すら幸せにできない人が、何で社員の幸せが考えられるのでしょうか? ましてお客様の幸せなど考えられるのでしょうか?」 市川善彦「幸せになる法則」より

市川善彦(1952年 長崎県佐世保市生 日本ガードサービス株式会社代表取締役、講演家)

日本IBMが、1000人規模で正社員の削減を計画していることが11月25日分かった。他にもトヨタが国内の期間従業員を来年3月までに前年度比約3分の1の3000人に減らすほか、シャープが派遣社員約300人を年内にも削減する方針であるという。

厚生労働省の調査によると、派遣労働者や期間作業員など非正規雇用労働者の雇い止めを2008年10月~2009年3月に実施又は予定の事業所は、全国で延べ477事業所、3万67人に上った。うち派遣労働者が1万9775人と65.8%を占めた。

一方、2009年3月卒業予定の新卒者の内定取り消しは11月25日現在、87事業所で331人に上った。内訳は大学生・短大生などが302人、高校生が29人。そのうち8事業所が倒産、10事業所は民事再生法が適用された。まさに未曾有の不景気である。2002年2月から2008年1~3月まで続いたとされるいざなみ景気も今は昔という感さえある。

アメリカでは、リーマンショック以後、経済状態を回復する特効薬は見当たらず、経済を長らく牽引してきた自動車会社ビッグ3の一角を担うGM(ゼネラルモーターズ)ですら、政府に対して180億ドル(約1兆7000億円)の融資を要請している有様である。

アメリカ型資本主義は、効率性を追い求める事によってこれまで成功を収めてきたわけだが、ここにきてそのスキームが完全に崩壊してしまった。期間従業員や派遣社員を雇用の調整弁として安易に解雇してしまう今の日本企業も問題である。これらの人々は労働者である前に一消費者であり、その家族や関係者も同様である。

何が言いたいかというと、その会社に対するネガティブなイメージを持つ人間を潜在的に増やすことを、忘れてはならないという事である。消費者から必要とされない企業や商品は、市場から撤退を余儀なくされる。その事までをも考慮した上で解雇を選択しているのか否か。

法的に問題がないというのは、一種の逃げ口上で、実際にはもっとエモーショナルな要素で消費者は企業の善悪を判断しているものだ。今、企業が取り組んでいるコンプライアンスやCSR、3Rの問題などももちろん大事ではある。だが、企業イメージを気にするのであれば、むしろ従業員に対するケアを万全にする事の方が、より上策だと思うのはあながち間違いではないと思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

クーデターでは変えられない

「平和が来るか来ないかということは、個々人の心の持ちようのなかに、したがってまた諸国民の心の持ちようのなかに作りあげられるものにこそかかっている。」シュバイツァー

アルベルト・シュバイツァー(1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。

タイ憲法裁判所が12月2日、昨年12月の総選挙で党ぐるみの選挙違反があったとして、最大与党「国民の力党」に有罪判決を言い渡し、解党処分を命じた。

これにより、ソムチャイ首相は退陣し、スワンナプーム空港を含む2空港などを閉鎖していた反政府派市民団体「民主市民連合(PAD)」は「2空港と首相府の占拠を3日午前10時をもって解除する」と発表した。同空港に足止めされていた観光客も順次解放される見込みとなった。

タイでは、政局不安があると未だに軍によるクーデターが起こる。日本でもかつては、二・二六事件に代表されるようなクーデターが起こっていた時代もあったが、いずれにせよ武力によって政局を覆そうという考えは、およそ文明国家とも思えない所業である。

また、記憶に新しいところでは、1970年11月25日三島由紀夫による陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室襲撃事件があった。最終的には三島の割腹自殺により終結を迎えるのだが、その悲痛なまでの訴えが自衛隊を変えることはなかった。

文明の成長期にはこのようにして、ある意味ヒステリックな行動により現状を変えようとする意思が働く場合がある。その根本にあるものは、社会や政治、経済などに対する鬱屈した不満であることが多い。

ただ、システムが十分に成熟していない状態の社会においては話し合いで民主的に解決するにも、時間が掛かりすぎる。または、今回のタイの例にも見られるように、そもそも民主的な解決方法であるはずの選挙において、違反が横行し、それで成立した政権下で作られた官僚システムでは汚職が日常茶飯事に行われる。

そのような中で、八方塞がりになった民衆が反乱を起こすことは、最後に取り得る手段として致し方のない事なのかも知れない。だが、それを繰り返すばかりではいつまでたっても国際的に認められる“大人”の国には決してなり得ない。それは、個人レベルでも同じことである。暴力の行き着く先は、復讐の連鎖だ。いつか誰かが許さなければ、その連鎖を断ち切ることはできない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

謝ることで実を取る

「トップに立つ人は、泥をかぶる覚悟で仕事に立ち向かえ。それでだめだったら潔くシャッポを脱いで謝る。ただ責任ということで、けじめをつけようとすることは間違いだ。」井深 大

井深大(1908年4月11日 - 1997年12月19日)は、日本の実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。

3つの目を持てという話がある。すなわち「鳥の目、虫の目、魚の目」である。鳥の目は、物事を俯瞰的・大局的に見る目。虫の目は、微に入り細を穿って、隅々まで注意深く見る目。最後の魚の目は、今回のテーマでもある、物事の流れを見極める目である。

今自分が、流れに乗っているか、逆流の中にあるのか、見極めることはそれほど難しいことではないように思う。例えば、何か事業を始めたいとする。それが自分にとって、本当にすべきことであり、かつ機が熟しているのであれば、自分の考えたプランがどんどん実現していき、タイミングよく協力者も現れる。反対にそれが自分にとって、まだやるべき時を迎えていないのであれば、目に見えない力が働いているかのように、色んな障害が立ちはだかり、結局は挫折することになる。それでも乗り越えてやるほどの情熱があるなら、また流れがくるかも知れない。

また、物事には流れ以外に鮮度というものがある。例えば“謝る”ということについても、タイミングがとても重要である。その機を逸すると、事態はもっと深刻になり、謝っても問題が解決しなくなる危険も孕んでいる。僕自身は昔やたらとプライドや意地を気にする人間だったので、人に頭を下げるということが嫌でたまらなかったのだが、今は良し悪しは別にして、その先の展開というものが見えるようになったので、下げるべき時にはサッと下げることに対して苦ではなくなった。

僕の周りにも謝ることのできない人がたまにいる。話を聞いてみると、一見筋が通っているように思えるのだが、更に追求していくと結局はつまらない意地を張っているだけというケースがままある。傍から見るとそれが実に些細な事が元で問題を複雑化していたりするのだが、本人にとっては生き方の根幹を揺るがす大問題として捉えられている。聞いているこちらとしては、それで目の前の問題が解決されるならば、自分の意地など捨て去った方が得策だと思うのだが、そうもいかないらしいのだ。

こういう場合には、あまり主観的に物事を考えるのではなく、もしあの人ならこういう時はどうするだろう?とか、自分が相手の立場に立った場合にどう感じるだろうか?など、極力第三者的な視点で判断すべきである。前述した鳥の目にも通じるものがあるが、自分というものを俯瞰してみる事が必要で、その際自分自身が積み上げてきた実績や、常識などの一切を脱ぎ捨てて、まっさらな気持ちで見詰め直さねばならない。日本には「負けるが勝ち」という有難い言葉がある。頭を下げて、相手に勝ったと思わせておいて、大局においては自分が勝っている。そういう状況を作り出せれば、謝ることもそれほど苦痛ではないはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リビングウィルについて考える

「死のない生とは何か?死がなければ生を重んじる者はないだろう。」ボスハルト 「日記」

先日、友人が家に遊びに来た際、最も幸せな死に方は何か?という話題になった。その友人の職場でも偶然にして、その話題になったそうだが、彼女の職場で得られた結論は、「相手がドラキュラであり、血を吸われて、気持ちよく徐々に意識を失いながら死ぬ。」だそうだ(笑) 絶対にあり得ない話ではあるが、その気持ちは分からなくもない。つまり、死を迎えるに当たって、痛いのや苦しいのは嫌だということだ。とにかく楽に、かつ幸せを噛み締めながら死ぬのが理想であると彼女はいう。

その流れで、リビングウィルの話題になった。人間が自らの意思で、生命に終止符を打つことは是か非か?ここで言う終止符を打つとは、もちろん自殺の話ではない。つまり、絶対に助からない病になって、これ以上の治療を続けても、本人にとっても家族や周囲の人間にとっても、精神的・肉体的・経済的に負担の方が明らかに大きい場合、自分の死を悲しむであろう人間が居ない場合など諸々の状況下においての是非である。

今日尊厳死や安楽死という言葉で、表現されているこの問題であるが、日本学術会議は、1994年当時尊厳死容認のために、
   1. 医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
   2. 意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
   3. 延命医療中止は、担当医が行うこと。を条件としてあげた。

私たちは、代々受け継がれてきた常識として、自ら死を選択することは望ましくない行為だと教わってきました。ですが、自分が生きている事によって家族や周囲の人に迷惑を掛けているのではないかと考えた時、それでも生きたいと思えるほどの意志は働くのでしょうか。例えば、誰も身寄りのない人が不治の病に冒されてしまい、将来に対して何らの希望も見出せない状況で、それでも貴方は生きなければならない、とその人に強いることは果たして善であるのでしょうか。とても難しい問題です。

ただ、はっきりと分かっていることは、人はいつかは必ず終わりの時を迎えるということ。この運命から逃れられた人間は、歴史を遡っても唯の一人も存在しません。時の権力者の中には、不老不死の妙薬を探し求め、無益な殺生をした者も数多くいますが、その野望を果たせた者はいません。その限りある時間の中で、いかに自分の生を全うするのか?より有意義な時間を過ごす為にも、前向きな気持ちで考えてみてもいい問題なのではないでしょうか?残された時間は自分で想像している程は長くないように思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »