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感謝と報恩の心

「信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である」新渡戸稲造

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月3日) - 1933年10月15日)は、農学者、教育者。

ビジネスの世界はギブ&テイクで成り立っていることは、説明不要の厳然たる事実である。物やサービスを買うには当然のことながら金が要る。だが、世の中には厚かましい人が増えたのか、ギリギリまで安く、できればタダで物を手に入れたり、サービスを受けたいと考える人が非常に多くなっているように思うのだ。

しかも値切る対象が手数料や報酬だったりすると、仕事をする側から言えば、正直その仕事に熱がこもらない。それはいけない事だと頭では分かっているのだが、人間同士のやりとりである以上無意識にそうなってしまう事もあるのは否定しきれないところだ。つまり、自分ができないから、代わりに何かをしてもらう。そのお礼としての手数料や報酬であるのにも関わらず、それを値切るというのは、僕にはちょっと考えにくい発想なのである。

お金を払っている側からすれば、客なんだからやってもらって当たり前、もっとサービスしてくれと、その要求はどんどんエスカレートしていくのだろうが、ただ考えなければいけないのは、安売りのその先には、回りまわって自分の収入の減少が待っているという事なのである。今の日本は主に中国をはじめとするアジア諸国に生産拠点を移すことによって、国際競争力を付けてきたわけだが、ここにきてその品質の低さや、安全性に対するコンプライアンスの欠如が決定的になってきた。

その最たる理由は、極論かも知れないが消費者の物作りやサービスに対しての敬意が不足してきている事が原因だと思う。確かに大量生産・大量消費社会になると、作り手側の顔が見えにくくなり、それに対して思いを馳せる事をしにくいのは事実である。また、作り手側も、流れ作業的になり、消費者が見えにくくなる。

だが、すべては人間同士の営み。何かを貰えばお礼をする。何かやってもらえば、こちらもそれに応える。ごく基本的な事だが、金銭が介在すると心情的にドライになるのだろうか、途端に相手も喜怒哀楽のある人間である事を忘れてしまっているかのようだ。

この間、仲間達とフリーマーケットを開いた。今回で二度目となるそのフリーマーケットが一度目と決定的に異なるのは、非営利団体が出店している事を前面に押し出した事だ。するとどうであろう、明らかに消費者の購買行動に変化が見られた。簡単にいうと、あまり値切らないのである。なぜか?

非営利活動≧値切る消費者≧営利活動、という力関係が働くのだ。つまり、非営利活動という善行をしている相手に対して、値切り交渉をする事は何か後ろめたい気持ちになるのである。そうでない相手には値切るであろう人であってもだ。もちろん、その向こう側に非営利団体から助けられている“誰か”を見ているのではあるが。だが可笑しな話だ、考えても見れば、誰が売っていようと同じものなのである。

人間は心のどこかで、何か善行をしたいと思っている。だが、その対象となる相手がいない、若しくはいても何をすれば良いのか分からないのだ。だから、それを代わりにやってくれている相手に対して、敬意を払い、お金を払うのである。だが、世の中には純然たる善や悪などそれ程存在しないものだ。

どんな会社や人であれ、何かしらの役には立っている。そうでないなら、一瞬で消え失せてしまうだろう。自分の仕事が社会のために何の役に立っているのか、分からない人は多い。仕事にやり甲斐がないと感じている人も多いだろう。だが、皆誰かのために少しずつ役に立っているのだ。そういう意味で我々は他者に対してもっと敬意ある態度で臨まねばならない。それは回りまわって自分に返ってくる事でもあるのだから。

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