良心を貫く強さ
「良心こそ、われわれの持っている唯一の買収のきかないものである。」フィールディング 「断片」
ヘンリー・フィールディング(1707年4月22日 - 1754年10月8日)は、18世紀イギリスの劇作家、小説家。
先日、郵便局の人が私服で我が家に訪れた。何故その方が来られたのか、見当が付かなかったのだが、よくよく話を聞いてみると、僕が窓口である代金の振込みをした際、キャッシュカードを受け取るのを忘れたのだそうだ。それで、すぐに追いかけたが既に姿が見えず、何度か電話を掛けてくれたそうだがそれも繋がらないため、休日にも関わらず持ってきて下さったのだ。お陰で一日とても気持ちよく過ごすことができた。その方の行動に計算がない事が分かったからだ。もちろん僕がクレーマーである可能性は否定できないものだっただろうが、とにかく誠意を感じたのだ。
良心という話でもう一点、裁判員制度が平成21年5月21日から始まります。これは一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいい、衆議院議員の選挙権のある人の中から、翌年度の裁判員候補予定者を抽選で選びます。このとき呼出状には、出頭すべき日時、場所、呼出しに応じないときは過料に処せられることがある旨その他最高裁判所規則で定める事項が記載されており、単に「仕事の都合」とか、「家庭の事情で」という理由では辞退することができません。
ただ、我々一般人が本当に自分の良心を貫けるかというと、なかなか難しいものがあります。というのも、罪を犯したとはいえ自分の判断によって、一人の人生を大きく変えてしまう責任を負ってしまう心理的負担に耐えることができる人間がどれ程いるのか、と考えると甚だ疑問だからです。裁判官や検察官は、目的意識を持って法曹界に飛び込んでいる時点で、その覚悟もできているだろうが、そうでない人間からすると、自分の事だけでなく、家族や関係者に何か害の及ぶ事はないのか、被告人から変に逆恨みされる事はないかなど、どうしても気になってしまうのである。
しかし、従来の裁判制度の下では、しばしば一般的な感覚から外れた、いうなれば被告人の人権保護や更正に対して重点の置かれた判決が下されている例がしばしばあり、我々には理解しにくい場合がある。それを解消し、被害者の方々にも納得のいく判決を導き出す為には、法律では割り切れない常識や慣習など、情状面に配慮した評議・評決がなされる事が理想である。その為には、我々ひとりひとりが勇気を持って、良心を曲げることなく毅然とした心で裁判に臨む必要があると思います。
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